- 病気の告白と夢の誕生 -

音々との出会いから、怜の世界は少しずつ色づき始めていた。

放課後、怜が図書館で勉強していると、音々がやってきて隣に座る。彼女は、机上の参考書ではなく、窓の外を指さして言った。

「ねぇ、怜くん。あの雲、うさぎの形に見えない?」

怜は、無意識のうちに窓の外を見た。確かに、白くもこもこした雲は、耳の長い可愛らしいうさぎの形をしていた。彼は、そんなことすら気にしたことがなかった。彼の視界はいつも、文字と数字で埋め尽くされていたからだ。

「そう、見えるね」

怜がそう答えると、音々は満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、太陽のように温かく、怜の心の奥底に染み込んでいくようだった。

「ねぇ、怜くん。今日の夕焼けは、どんな色かな?」

音々の問いかけに、怜は戸惑う。彼は、これまで夕焼けの色を意識したことなどなかったからだ。しかし、音々と話すうちに、怜は少しずつ変わっていく。空の色、風の匂い、鳥のさえずり。これまで気にも留めなかった日常の些細な出来事が、音々を通して、彼の中に鮮やかな色彩を帯びていく。

ある日、怜が音々の病室を訪れた。そこには、音々の母親がいた。彼女は、怜を一目見て、音々が話していた「勉強ばかりしている男の子」だと気づいたようだった。母親は、優しく微笑んで怜を迎えた。

「いつも、ねねの相手をしてくれて、ありがとう。ねねが、こんなに楽しそうにしているの、久しぶりなの」

その言葉に、怜は胸が締め付けられるような痛みを感じた。音々の笑顔の裏に隠された、深い孤独。それを知らなかった自分を恥じた。

その日の夜。音々は、ベッドの上で震えていた。彼女の瞳には、恐怖と不安が満ちている。怜は、どうしていいか分からず、ただ、彼女の手を握ることしかできなかった。

「ねぇ、怜くん。私ね、もうすぐ、何もかも忘れちゃうかもしれないの」

音々の言葉に、怜は息をのんだ。彼女が患っている病気は、未だ未知の脳神経疾患。徐々に記憶が欠落し、身体の自由も失われていくという。余命も、そう長くはないと告げられていた。

「どうして、私がこんな病気に…」

音々は、そう言って涙を流した。彼女の瞳には、絶望の色が浮かんでいる。怜は、彼女の涙を見るのが辛かった。

「私、もっと、生きたい。もっと、色んなことを知りたい。怜くんと、もっと色んな話をしたい…」

音々の言葉は、怜の心を激しく揺さぶった。彼の人生は、完璧な成績を収めることだけだった。しかし、音々が涙ながらに語った「もっと生きたい」という言葉は、彼の心を根底から揺るがした。

「僕が、君の病気を治す脳科学者になる」

それは、怜が人生で初めて、自分の意志で口にした言葉だった。音々は、その言葉に深い感動を覚え、失いかけていた未来への希望を取り戻す。

「怜くん…ありがとう」

そう言って微笑んだ音々の顔は、これまで見た中で、一番美しい笑顔だった。怜は、彼女の笑顔を守るために、自分の人生を捧げると誓った。

その日から、怜の世界は一変する。勉強は、もはや彼の自己満足のためではなく、音々を救うという明確な使命のためにあった。彼は、音々という希望を見つけたことで、本当の「生きる意味」を知ったのだった。