恋の囚人番号251107都合いい女

土曜の夜が始まる。

お気に入りの服を着て、
丁寧に髪もメイクもセットして、
どんどん気分をアゲていく。


自分で自分の機嫌を取らなくちゃ。


リセットしたいとき、
私はいつもそう思うことにしている。

LINEがコウヘイの到着を知らせる。
乗りやすそうなコンパクトカーには、
遠目でもキラキラしてるマリが、助手席に乗っていた。

後部座席を開けると、
途端に重低音がおなかに響く。

「うぇ~い。」「おは~」
挨拶ともつかぬ、とりあえずの掛け声で、
私たちは不夜城を目指した。

前の二人に合わせてテンション上げながらも、
心の隅っこでは
少しだけ乾かぬ傷が疼いていた。


全部、
夜に隠れて消えてしまえばいい。

昨日の夜が、
音にかき消されてなくなってしまえばいい。


何も言わず帰ったのに、
連絡もくれなかった⋯



Jo'sと呼ばれるクラブは、
吹き抜けの3階建てで
艶々の真っ黒な箱のような形をしている。

1階をを見下ろすように、
ぐるりと囲む2階のVIPフロアは
行ったことがないけれど、
1階のバーカウンター周辺には
ハイテーブルやソファがあって、
まったりしたり、
一夜の相手を探したり。

酒と煙草と男と女が
闇夜に紛れて絡み合う宿り木だった。



「それにしても、せりハズレひいたな」
音楽に遮られないように
大きな声でコウヘイが笑う。

「笑い事じゃないよバカ!
せりは悪くない!
あのやりちんチャラくそ男が全部悪い!」

マリはまだ憤慨していて
思いつく限りの悪名を銀丈くんに注いでいる。
怒りの勢いに任せて
ジントニックのピッチが速い。
マリとコウヘイは私そっちのけで、
人の悪口で盛り上がったり大笑いしていた。

当事者の私は、
まだあの夜の何もかもを嫌いになれなくて、
悪口をいう気にはなれなかった。

「おぉ~」
口を付けたばかりのコロナを一気に飲み干す私を、
マリとコウヘイが呆気にとられている。
酔いが回り始めると
フロアは熱気を帯びてきて、
音も人の波も気持ちがいい。

「あ、いいね。これ」
コウヘイが乗り出したのを合図に
私達もフロアに混ざって身体を音に預ける。

笑う声、はしゃぐ声、揺れる音、響くリズム…
気持ちがいい。
今は、なんにも考えたくない。

ひとしきりフロアで騒ぎ
一息つこうとテーブルに戻ると
コウヘイがコロナとジントニックを持ってきた。

コウヘイは運転手らしくコーラを飲んでいたが、
不満はないようだった。
マリは、思い出したようにトイレで中座した。



「あ、見ろよ。やっぱ3階ってあるんだな」
コウヘイが言った。
黒い壁には、
極彩のプロジェクトマッピングが散らばって
幻想的な空間を映し出している。

見上げると
天井にほど近い場所に長方形の灯りが見えた。

「あそこ?たまに灯りついてんね。
超超超VIP?階段は2階までだよね。
どうすんだろ?はしご?」
「はしご上るVIPだせぇだろ」
くだらない話でも、
笑ってしまえるぐらい音と酒に酔っていた。

「そういや、こないだの新曲pv見た?」
コウヘイが携帯を見せるので、覗き込む。
顔が近くなる。
こんなに顔をくっつけたって、
コウヘイにはなんも感じない。

「やっぱ、あんたじゃなぁ。」
「は?」
「コウヘイじゃないんだよな〜って。」
「ハハハ。今更アホか。
俺だってせりじゃねーよ。」
この軽口が今は嬉しい。
二人で肩くんで
コーラとコロナで乾杯して笑い合った。

まっすぐな瞳をした銀丈くんが
頭をよぎったけど、
勢いよくコロナで流し込んだ。


「え?なに?」
コウヘイの話がよく聞こえなくて、
肩越しに顔を寄せたら、
さらに顔が近づいた。
「大丈夫かよってーの。やっぱショックだろ?」
コウヘイが真顔になった。

今はまだやめて。

「あぁ、もーいーよ。その話。」
「だって、お前一目惚れとか初めてじゃね?
そんで、これじゃきついっしょ」
男友達とは言え
気心知れている友達だからこそ、
お見通しなんだろうな。

慰められるのはきつい。
笑い飛ばしてくれてた方がましだった。

「え~ん。きついわ~」
わざとらしく棒読みで抱き着き
笑い飛ばそうとしたとき

覚えのある香りが鼻腔をくすぐった。


両腕をコウヘイの肩にかけた肩越しに

銀丈くんが向かって歩いてきているのが見えた。

むしろ目前。



「やり逃げして、もう次の男?やるな。」


場違いだけど黒いスーツの銀丈くんは、
昨夜同様、漆黒の騎士で、
めちゃくちゃかっこよくて。

ただ一つ違うのは
昨夜一度も見たことのなかった
憮然とした冷たい目。
チラリと見据えながら吐き捨てると
何事もなかったように、通り過ぎていった。


何かにひびが入った。
悲鳴を上げてきしむような音がする。
私の中で。


「おい、せり。あいつ⋯」
「ごめ~ん。トイレ死ぬほど混んでたわ。
⋯って、あれ!?あいつ!!!」
口を固く結んで一点先を見つめる私の視線を辿って、
マリが指差してる。


すぐ先のバーカウンターの中に何か声をかけると、
ペコペコとバーテンが頭を下げていた。
続いて、
ピタピタのワンピースを身体に張り付かせた華奢な女が、銀丈くんの首に両腕を回しすり寄っている。
銀丈くんは、
口の端に笑みを作って女の腰に手を回し、
耳元で何か囁くと、
女は得も言われぬ顔でうっとりと笑った。


また、何かにひびが入った。
悲鳴を上げてきしむような音がする。

その何かが
決壊した。
私の中で。


「あっ、せり!」
マリとコウヘイが同時に言った時、
私は、もう走り出していた。


途中で誰かにぶつかる。
「いてっ。あれ?」
ぶつかった男の声を
どこかで聞いたような気がしたけど、
そんなんどーでもいい。

手近にあったグラスを奪う。
「あ、おい!それ俺の」
知らない誰かが
驚きの声を上げたけど、
そんなんどーでもいい。


もう、全部全部
どーでもいい。

くっそ。バカヤロ。
人の気も知らないで!!


バシャッ

勢いよく、奪ったグラスの中身を
黒いスーツの背後からかけた。