恋の囚人番号251107都合いい女

「下に虎丈さんいるから、行ってきて」

少し低い凛とした声が聞こえた。
これが椿さんの声か。

急いでニットをかぶると
寝室を出たところで出くわした。
そりゃそうか⋯

今1番見たくない顔。
透き通る陶器のような肌に
肩までの黒髪と血色の良い赤い唇
膨らんだお腹を覗けば
本当に日本人形みたいだった。


「あ、すみません。帰ります。」
目を逸らしペコっと頭を下げて
玄関に急いだ。

「待って。あなたに会いに来たの」
「え?」
驚いて振り返ると
日本人形は微笑んでいた。



お腹を抱え
ヨイショとソファに座った日本人形は
「やぁね。ヨイショって」
フフフと笑った。

「銀の兄嫁の椿です。」
「あ⋯宮崎せりです。」
改めての自己紹介をするものの

真意が分からず戸惑った。
「あ、何かお飲み物⋯って言っても人んちだけど。
あっビールとプリンしかないやっ。
コーヒーは…あっそか。良くないですよね。
すみません」
戸惑いすぎてテンパった。

「優しいのね。でも、あるある。」
そう言って
紙袋からテイクアウトの飲み物を2つ出して
「どうぞ」
笑みにつられて受け取った。
「ありがとうございます。いただきます。」

シナモンがよく香る温かいチャイだった。
「美味しい」
思わず口に出すと
「でしょー!」
フフフとまた笑った。


「花火の日いた子よね?」

ズキン。
銀丈くんがこの人を見つめた時の顔を
思い出して胸が痛んだ。

「はい。椿さんは、
銀丈くんの好きな人ってちゃんと聞いてます。」

かさぶたが剥がれる気がした。

「そうね。そうだったのかもね。」

聞きたくない。
でもキッチンに立ったままの私は
一歩も動けずにいた。

「銀はアメリカで会ったと思ってるけど
本当はもっと前なのよ」

椿さんは、静かに話し始めた。

家同士に仕事の付き合いがあり
小さい頃、会ったことがあるのだと。
「その時、虎丈さんに一目惚れ。初恋よ」
嬉しそうに笑った。

でもすぐに椿さんは海外へ行くことになり
その後しばらくして銀丈くんも渡米した。
「様子を見に虎丈さんが来るって分かると
学校休んで銀の部屋で待ち構えてたんだからっ」

可愛らしい話だけど⋯

「でも、そうね。1度だけ。」

銀丈くんの進学パーティの日
虎丈さんも来ていたので
長年の想いを伝えたが
本人曰く"こっぱみじん"に振られたらしい。
で、やけ酒を煽りまくって
勢いで…。

「だって、あの兄弟、顔が似てたし」

え!?そこ???

「でも、すぐ後悔したわ」

でしょうね。

「だからすぐ帰国して
OKするまで追いかけちゃった」

相変わらず"フフフ"と笑ってるけど
最初の儚げな"フフフ"は
ある意味、私の中でも"こっぱみじん"だった。

「銀丈くん、ずっと好きみたいですよ?」
「そう?最愛の人の弟。それだけよ」

いやいや、待って。
こんな悲しい片思いある?
私の大好きな人が
全然報われてないって…。
すごく複雑。

「今の銀が大切にしてる人は、
せりちゃんでしょ?
あの銀が
血相変えて助けたり怒ったりしてるんだもの。」


「私は…。
椿さんを想ったままでも、
一緒にいれればいいって最初は思ってたけど。
それじゃやっぱ苦しくて。
今も、椿さんと旅行行くって聞いただけで
喧嘩になっちゃうし。

全然ダメなんです。
でも、私なんにもできないから、
せめて銀丈くんの足手まといになって…
銀丈くんが恐いことや、辛いことを
少しでも避けてくれたらいいなって思って。
そばにいる方法って他にわかんないから。」

ひと息にまくし立てた。
椿さんは、じっと見つめたまま
黙って聞いていてくれた。

こんな事
誰にも言ったことなかったのに。

「足手まといなんかじゃないのよ。
どんな時もそばにいてほしいと思うから守るの。
それは、好きだからでしょ。
何より大切なのよ、せりちゃんのこと。
もう私じゃないの。」

ずっと苦しかった。
身体を重ねてないと不安で
それでもいいって思いながら
こっちを見てって
ずっと思ってた。

「私でいいのかな」
「せりちゃんじゃなきゃダメなのよ。
私も虎丈さんじゃなきゃダメなの。
離れるなんてできないわよね」

椿さんは自分に言い聞かせるように言うと
電話をかけた。
「虎丈さん?いいわよ来て。」

「せりちゃんで良かったわ。」
椿さんは嬉しそうだった。

「銀丈くんは、どこに?」
「心配性なあの兄弟の事だもの。
どこへも行かず駐車場でハラハラしてるわよ」
フフフと笑うとすぐ玄関が開いた。
「ほらね」
今度は私も
フフフと笑った。



「せりっ」
銀丈くんが、困った顔で入ってきた。
「駐車場にいた?」
「あ?⋯あぁ。」
椿さんと目が合ってまた笑う。
銀丈くんは、不思議そうな顔で
私と椿さんを見比べた。

「終わったのか」
表情を変えずお兄さんが言う。
「虎丈さん。話があります」
「え?」
あ⋯ちょっとびっくりしてる。


「シンガポールへは行きません!」

皆が椿さんを見て驚いた。


「こんな時に虎丈さんのそばを離れたりしません。」
「⋯っ!!理由を言っただろう。お前の為にっ!」
「いいえ。行きません。
心配なら遠く離れずそばで見てればいいのよ。」
あ⋯椿さんに言われ負けてる。

「大事なものを守るのが男の役目でしょ。
銀はちゃんと分かってるじゃない。私はあなたといたいの」
お兄さんは、まっすぐな椿さんの視線に応えようと
眉間にシワを寄せ考えているみたいだった。


「⋯クソ。わかったよ。」
帰るぞと言って椿さんの肩を抱く手が
とっても優しかった。


「あのっ⋯えっと雷鎚さん!!」

「おい、みんな雷鎚だぞ」
銀丈くんの突っ込みに赤面する。

そうだけど!
虎丈さんじゃ馴れ馴れしいし
お義兄さんじゃ図々しいじゃん!
って思ったんだってば。
察してよ~もう。

「倉庫では、来てくださってありがとうございました。
銀丈くんが大変なことになんなくてよかったです。」

ずっとお礼言えなかったから
言えて良かった。


「自分のことより、銀の心配か。
…銀を止めたのはキミだよ。こちらこそありがとう」

「キミじゃないわよ!せりちゃん。いい子でしょう?」
椿さんに突かれて照れているのか
咳払いをして急かした。

「じゃあね。せりちゃん。今度ご飯行きましょ。」


バタンッ。


静かなリビングは
嵐が去ったよう。

でも、さっきまでの
負の感情は全くなくなってた。

椿さんってすごい。

さすが
銀丈くんが好きになった人だな。



「私も、椿さん好きになっちゃった。」
笑って銀丈くんに抱きついた。


「私も・・って。俺はもう、お前だけなんだけど。」
銀丈くんも笑って抱きしめてくれた。


「さっきはごめんね」
見上げて仲直りの合図を待った。
「お前は俺が守ってやっから心配すんな。」

銀丈くんは
とびきり甘くて、優しいキスをくれた。