恋の囚人番号251107都合いい女

「やり逃げしようがしまいが、
最初からダメなんじゃん!」
思ったより大きな声が出た。
肩が震える。

水も滴るなんとやら、な、
広い背中が振り返ると、
黙って私の罵声を聞いていた。

浴びせたグラスは空になり、
振り上げたまま
私は泣いた。

酔ってるからって、
こんなに泣いたことない。
ましてや、こんな大勢の前で、
人様に液体ぶっかけたこともない。

ハラハラと涙がこぼれ落ちるのを、
止める術はなかった。

見てほしかった
悲しかった
悔しかった
でも、なかったことになんかできなくて。
ぐちゃぐちゃな思いは、
せき止められていた涙が決壊するとあふれ出た。


「全部欲しいって言ったのに…。
どっちか1個なんてヤダよ…。」

第一声の威勢のよさは、もう品切れで。
絞りだしたセリフは本音だった。

涙で視界が歪んで、
よく見えないし。
なんだか立ってるのもやっとだった。

ペコペコバーテンダーが血相変えて、
タオルを銀丈くんに渡そうとしていたけれど
片手で制止すると、無言で近づいてきた。

そっとグラスを取り上げられると、
力が抜けた。
下ろした腕はうなだれて重い。


「嫌ならやめろよ。居たけりゃいろよ。」
さっき聞いた冷たい声色はどこにもなかった。

ちょっと困ったような、
あきれたようなため息交じりの声。

声を聞いただけで、もう、またスタート地点。

ドキドキして、
落ち込んで、
怒って、
またドキドキしてる。

私バカだ。


「嫌じゃない。居たくなくない。
…でもスペアはやなの~。」

駄々っ子みたいに、
こぼれる涙と一緒に獅子が眠る左胸に頭を預けた。


「んなこと、一言も言ってねーだろ。」

大きな左手がまた私の頭に乗っかった。
もう覚えてしまった銀丈くんの香りが、
また私を包むから、
ますます涙が止まらない。


「じんくん。」
私の頭の上を
銀丈くんの良く響く声が通り過ぎてった。


「先行ってて。
着替えたら合流するから、迎えよこして。」
ポケットから取り出した車のキーを投げ、

反対方向に歩きだした。


私の手を引いて。


え?

咄嗟に振り返ると、
車のキーごと手を振るじんくんがいた。
あ、昨日のロン毛!さっきぶつかった!
どうりで聞いたことあると思った。

更にその少し後ろに、
キラキラ笑顔で高揚するマリと、
何とも言えない顔をしたコウヘイが見えた。


足早の長い脚に追いつくには
小走りしかなかった。
つないだ手を離したくなくて、
酔いの回った頭と心で必死について行った。

長いバーカウンターをぐるりと回って、
薄暗い壁に番号を打ち込むと扉が開いて、
エレベーターが現れた。

すご。
ハイテク忍者屋敷だ。


すぐ来て、すぐ上がって着いた3階。
扉があくと、
”はしごで登る超超超VIP席”だと
勘違いして笑ってた長方形の灯りの中だった。


呆然としているうちに
自動でカーテンが締まり、
向こう側はあっという間に見えなくなった。

引き続き、呆然としながらあたりを見回すと、
いくつものモニター
大きなテーブルや革張りのソファ。
香水の瓶を大きくしたような
お酒を並べたキャビネット。
ダーツやビリヤードの台まである。


「ここ、なに?」
「事務所。」
「え?事務員さん?」
銀丈くんが吹き出して笑いだした。
「やっぱお前面白いな。」

スーツのジャケットを脱いで、
ネクタイを外すと、ワイシャツも脱いだ。

昨日見た筋肉質な上半身がむき出しになって
割れた腹筋があらわになる。

あ、昨日あの胸の中にいたんだ⋯。

ついさっきの騒動なんてすっかり忘れ、
静寂の中で少し早くなった鼓動を感じた。

ひときわ大きなデスクの後ろの扉を開ける。
どうやら部屋があるらしい。

暗闇に消えると、
新しいワイシャツとネクタイを取ってきた。
「ここ俺の店」

え?!

場違いなスーツなのも、
バーテンがペコペコするのにも納得。

同時に、
とんでもない人に、
とんでもないとこで、
とんでもない理由で、
アルコールぶっかけたことを猛省。


「そんで?
なんでお前昨日、黙って帰ったの?」

簡易キッチンらしき水道の蛇口をひねり
豪快に頭に水を掛けながら聞いてきた。


私がぶっかけた液体は、
当然のごとく、
人が飲んでたアルコールだったので、
「頭がベトベトギシギシする」
とエレベーターにいる間中ぼやいていた。
でも、それ以上、私が叱られることはなかった。


「好きな人いるって言われたら、
隣で寝れない。」

相変わらず上半身丸出しの銀丈くんは、
タオルを肩にかけ、何も言わず
冷蔵庫からペリエを取り出し喉を鳴らした。

「ん。」
飲みかけを渡されドキッとしながら口にする。
炭酸が喉を刺激したけれど、
アルコールで失った水分補給には丁度良くて、
手っ取り早く浄化された気分だった。


「私はさ、全部欲しいって言ったんだよ?」
「あげたじゃん。」
「違う。精子じゃなくて」
銀丈くんがまた吹き出す。

「全部って言ったら”身も心も”だよ」
「そっちか。
お前エロ過ぎて煽ってくんから、
そこまで考えれんかった。」
まだ笑ってる。楽しそう。

ソファに派手な音を立てて身を沈めると、
足をテーブルに投げ出し、
煙草に火をつけた。


手を伸ばしてきたから、
今度は私の飲みかけになったペリエを渡し、
丁度良く隣に座った。
「いや、もういらんし。お前天然か」
そう言って、
笑いながらペリエの瓶をテーブルに置くと
私の肩を強引に引き寄せた。


あ、飲み物じゃなく、私を呼んでたのか。


片手で私を抱くように体を起こすと、顔を覗き込んだ。

「身も心も全部って…欲張りすぎじゃね?」

フッと短く煙草の煙を吹きかけて、
残りは顔を横に向け、
私を避けるように吐いた。

両手で銀丈くんの頬を挟み正面から見つめる。
決してそらさず
まっすぐ見つめ返してくれる銀丈くんを
また好きになる。


「どっちも欲しいんだもん。」
「そんなに俺が好き?」
「ん。好き。」

「何も知らねーくせに。」
「これから知るんだよ。」
「後戻りできなくなるかもよ?」
「しないし。」

「好きな女いるけど」
「あ、また嫌なこと言った!」
「いや、まじで。」
「でも、好きになっちゃったんだもん。」
「これから毎回、ヤるたびこっそり帰る気?」
「わかんないけど…がんばる。」
「何をだよ。」
銀丈くんは堪えきれずまた笑った。

「わかんないけど!
…でも、”これから”って言ったからね!」
「んあ?」
これからがある。それだけで嬉しい。

「一番好きになるから。私が。」
また、銀丈くんが笑う。それだけで嬉しい。

「根性みせろよな」
そう言って、口を開けると長い舌で
私の唇をこじ開けた。






私は、ただ一緒にいられるだけで嬉しかった。


本当二 願イハ ソレダケダッタノニ