フェアリーヤーンが紡いだ恋 〜A Love Spun with Fairy Yarn〜

 その頃、カウンターの奥では。一連のやり取りを見ていた副主任・東野が、松本のデスクへ急いでいた。

 ちょうどタイミングよく電話を終えた松本が、受話器を置くところだった。間髪入れず、東野がカウンターを指しながら伝える。


 「主任……あの営業マン、ひどいですよ。何度も里桜ちゃんに食事を断られてるからって、こんな形で八つ当たりするなんて」


 松本の片眉がわずかに動く。その言葉に反応したかのように、早足でカウンターへ向かっていく。

 その後ろ姿に、長年付き合ってきた東野は思わずふっと笑った。

 (いつも冷静沈着なナオ君--主任が、あんなに慌てた顔を見せるなんて)

 

 カウンターでは相変わらず広田の罵声が続き、里桜はただ俯いていた。

 その時、静かに、しかし鋭く刺すような松本の、いつもより一段低い声が放たれる。


 「期日を守れない人間が、数字を取ってくると思うな。文句があるなら私に言え。部下に当たるな」


 広田が息を詰まらせた瞬間、さらに言葉を重ねる。


 「今回の件は、君の上司にも報告させてもらう」


 サッと顔色を変えた広田は、逃げるように部屋を後にした。

 広田が出て行ったのを確認すると。松本は里桜と目を合わせる。

 その瞬間、彼女の鼓動がうるさく鳴り始めた。


 「このようなことがまたあったら、すぐに私を呼びなさい」

 「は、はい。ありがとうございます」


 短く告げると、松本は広田の領収書を手にしてデスクへ戻っていく。その後ろ姿を見つめながら、里桜はそっと胸に手を置いた。

 (ああ、助かった。でもなんで……心臓の音がこんなに早くて、うるさいの?)

 悟られないように、そっと席に着く。
 受け取った領収書を申請用紙に書き写しながら、考えてしまうのは先ほどの松本のこと。

 (そうだ……主任に助けてもらうのは、これが初めてじゃない。いつも困っている時は、さりげなく助けてくれていた。私だけじゃなく、この課のみんなにも)

 ふと手が止まり、さりげなく左前方を見やる。松本はいつも通り、いかにも『真面目』な表情でコンピューターに入力している。

 (さっき守ってくれた後に見た主任の顔も、普段の無表情マンだった。でも……なぜか安心できて。主任の瞳が、とても優しい色に見えたのは……私の勘違いなのかな?)

 再び申請用紙へ目を向ける。だが鼓動は、また速くなっていた。

 この時の里桜は、まだ気づいていない。
自分の心の中にある壁の変化が何であるかを。そして、彼女の穏やかで単調な生活と心が少しずつ、しかし確実に変わり始めていることを。