ひと夏の経験、五つの誘惑

その落ち着いた口調に、なぜか自分よりも大人びた雰囲気を感じた。

「俺、羽月とまだなんですよ。」

予想外の告白に、さらに言葉を失う。

気まずさが胸に広がり、視線を落としたまま絞り出す。

「……それは、すまん。」

謝るしかなかった。

佐々木はほんの一瞬だけ笑い、真っ直ぐな目で言った。

「いつか、羽月が俺に抱かれたいって思うまで待ちます。」

迷いのない声だった。

そう言い残し、ラケットを肩に担いでコートへ戻っていく。

残された俺は、蝉の声に包まれながら立ち尽くす。

胸の奥に重く沈むものは、敗北感なのか、安堵なのか、自分でも分からなかった。

「あーあ……何やってんだ、俺。」

吐き出した声は、夜風に溶けていく。

ふと顔を上げると、紺色の空いっぱいに星が散りばめられていた。

夏の熱気がまだ地面に残っているのに、頭上の光はどこまでも冷たく、遠い。

手を伸ばしても届かない星々を見ながら、胸の奥の空虚だけが、じわりと広がっていった。