広い世界で、あなたに出会って恋をした。

 パラレルワールドに来て三日が経った。
 わたしは未だにもとの世界の早乙女くんに出会えていない。だからもとの世界に帰れるのかも、ずっとこのままなのかも分からない。
 知らないことだらけなのを後悔した。もっと早乙女くんにいろいろ聞いておけば良かったと思う。

 「おはよー、愛音」

 「梨央、おはよう」

 今日は土曜日。
 正式にイラストクラブがイラスト部になったから、土日のどちらかは活動して良いことになった。
 わたしたちの今後の活動は、来月にある文化祭へ向けて大きいキャンバスボードに絵を描くこと。
 今年の文化祭のテーマは「新しい扉」。そのため色とりどりの扉を描く予定だ。

 「梨央ちゃん、愛音ちゃん。おはよう」

 「あっ、凪先輩だ。おはようございます」

 「おはようございます」

 坂井先輩が昨日は制服だったけれど、今日は体操服で来ていた。
 スカートで隠れていた足は、とても細くてスラッとしていて綺麗だった。
 わたしもこんな美人になれたらな……なんて、心の中で思う。

 「あの、凪先輩。先輩ってやっぱり美人ですね。絶対モテてそう」

 「えー、そんなことないよ。嫌だなぁ、梨央ちゃんのほうが可愛いじゃない」

 「それはないです! ね、愛音」

 「えっ、わ、わたしは……坂井先輩も梨央も可愛いと思うけど」

 突然話題を振られて、急いで答えてしまった。
 だけど坂井先輩も梨央もどちらも可愛いと思っているのは事実だ。

 「愛音ってば、本当に昔から優しいよね。人の気持ちをちゃんと考えてるって言うか」

 「あ、分かるかも。愛音ちゃんって自分のことより他人のことを優先しちゃう性格でしょ」

 「そんなこと……ないです。本当に思ってることを言ってるだけで」

 ーーわたしは、美人の坂井先輩にも、優等生の梨央にも及ばない。
 ただもとの世界では、梨央になりたくて、梨央の真似をしていただけなのだから。

 「あっ、せんぱーい! おはようございますっ」

 「おはようございます」

 「璃奈ちゃん、小雪ちゃんおはよー」

 全員集まったので、部長の梨央が前に出て朝の挨拶をした。
 テキパキ動いてちゃんと周りを見ている、梨央は部長にぴったりだと思っている。

 「えー、今日は正式に部になってから初めての部活ですね。そこでまず今日は副部長を決めたいと思います!」

 「副部長かー」

 「確かにいたほうがいいもんね」

 みんな頷いている。梨央は満足げな顔をしていた。

 「部長ももう一度決め直したほうが良いと思ったんだけど、山内先生曰く部長は部を立ち上げた人じゃないとダメみたい」

 「じゃあ、副部長はどうします? やっぱり二年じゃなくて、上級生がやるべきだと思うけど」

 「わたしも璃奈には賛成です」

 璃奈ちゃんと小雪ちゃんが早速意見を出した。
 となると、わたしか坂井先輩が副部長に適任ということになる。

 「でも、わたしは入ったばかりでイラスト部のことも何も知らないし、梨央ちゃんと一緒に立ち上げた愛音ちゃんが良いと思うな」

 「そうですね、愛音先輩は梨央先輩と仲良いし!」

 「愛音先輩ならこの部をまとめてくれると思います」

 「うんうん、わたしもそう思います。どうかな、愛音」

 わたしが、副部長……。
 副部長をやるのは構わない。だけど、副部長をやるのはわたしではなく、この世界の“わたし”だ。
 勝手にやっても良いのかなと考えてしまった。

 「……分かった、引き受けるよ、副部長」

 「本当に! ありがと、愛音」

 「じゃあ部長は引き続き梨央先輩、副部長は愛音先輩に決定ですねっ」

 わたしは頷いた。
 ごめんね、この世界のわたし。
 でもやるからには、副部長頑張るよ。

 「じゃあ早速だけど、絵の具を使って扉の絵を描いていきましょう! キャンバスボードは結構な大きさだけど、みんなイラストの案とかありますか?」

 「はい! 扉が開いている演出にして、そこからいろいろな物が出てくる絵は素敵かなって思いまーす。宝箱とか、びっくり箱みたいな」

 「おぉ、璃奈ちゃんセンスいいね。じゃあ扉から出てくる物は何がいいかな」

 みんなでうーん、と悩んでいると、坂井先輩が手を挙げた。

 「はい。ひとつに絞らなくても良いと思います。みんなの好きな食べ物や果物、本や宝石とか、いっぱい詰まってる扉っていうテーマはどうかな?」

 「はい。坂井先輩のアイデアに付け加えて、扉にキラキラなオーラを付ければ、もっと文化祭っぽく青春がテーマになるのではないでしょうか」

 「凪先輩も小雪ちゃんもいいですね! 愛音は何かある?」

 「わたし、は……特にないかな。みんなの案で決定で良いと思う」

 「そっか。じゃあこの案で決定! 次に作業の分担を決めよう。扉はわたしと璃奈ちゃん、扉から出てくる物は凪先輩と愛音、オーラは小雪ちゃんでどうですか?」

 わたしたちは梨央の案に一斉に頷いた。

 「じゃあ各自、作業開始!」

 わたしは坂井先輩と一緒に、いろいろな絵の具を少しずつパレットに出していく。
 何を描くかはまだ決まっていないけど、さっき先輩が出してくれたアイデアが一番良いだろう。

 「坂井先輩、水汲んできました」

 「わぁ、ありがとう。じゃあ早速描いていこう」

 「はい。何を描きますか?」

 「うーん、そうだなぁ。愛音ちゃん、好きな物はある?」

 坂井先輩に言われて気づいたけれど、思えばわたし、好きな物なんてない気がする。
 前は勉強ばかりしていて、趣味と言えるものはなかったから……。

 「えっと、特には……」

 「え、愛音ちゃん、好きな物ないの?」

 「すみません」

 「あ、ううん。わたしこそごめんね。そっかぁ、愛音ちゃんって真面目なんだね。でも好きなことはしていいと思うよ。もうちょっと気楽にさ、人生楽しもうよ、ね」

 気楽に人生を楽しむ。
 確かにわたしは、この人生を楽しんではいないのだと思う。
 梨央がいなくなったもとの世界では、窮屈な日々を送っていたから。

 「……ありました、好きな物」

 「えっ、なになに」

 「宇宙、というか……世界ですかね」

 「世界、かぁ」

 自分で言ったのにも関わらず、わたしは坂井先輩の返事に驚いてしまう。

 「へ、変だと思わないんですか?」

 「変? どうして?」

 「……世界が好きだなんて、そんな人珍しいですよね」

 「うーん、確かに珍しいけど、愛音ちゃんは世界が好きな理由があるんでしょ? だったらそれは立派な“好き”だよ」

 立派な、好き。
 わたしはパラレルワールドというものが好き。
 パラレルワールドに来て、梨央に会えたから。幸せになれたから。だから世界が好きだと思った。
 その考えを否定せず、立派だと言ってくれる先輩を心から優しいと思った。

 「優しいんですね」

 「えっ?」

 「坂井先輩って本当に優しい方なんですね。早乙女くんが好きになるのも分かるなぁって」

 口にしてしまったところでハッと気がつく。
 早乙女くんは言っていた。坂井先輩に好きということを伝えられなかったって。
 なのにわたしは、今口走ってしまった。

 「え、悠が?」

 「あ、いや、今のはそのーー」

 「なんだ、愛音ちゃん知ってたんだね」

 「え?」

 どういう意味だろうか。訳が分からず混乱してしまう。

 「まさかそんなに悠と仲が良くなってるなんて思ってなかった。あ、隠すつもりじゃなかったんだよ。何だか恥ずかしくてさ」

 「……え、あ、あの、先輩たち、って」

 「うん、愛音ちゃんが言う通り、付き合ってるよ、わたしたち」

 その言葉で、一気にどん底に落とされた気がした。
 梨央が亡くなったのを知ったときと同じような、胸の痛みと同時に。

 「付き合い始めたのは今年の春なの。悠が夏に転校するってなったときに告白してくれてね。ふふ、やっぱり恥ずかしいな、後輩に話すのって。悠、愛音ちゃんにわたしのこと何か言ってた? 笑い話とか聞いてない、よね?」

 「……特には、聞いてないですよ」

 「そっか、良かったー。愛音ちゃんに誤解されちゃったらどうしようかと。これからも悠のことよろしくね」

 坂井先輩と、早乙女くんは付き合ってる。
 この世界では、ふたりは恋人同士。

 どうして、こんなに胸が苦しくなるのーー。
 どうして。どうして、もとの世界に帰りたいなんて思っちゃうの?

 そのときだった。突然視界が真っ白になり、意識を失ってしまった。