広い世界で、あなたに出会って恋をした。

 ーー……眠れない。
 眠いはずなのに布団に入ってもなかなか寝付けない時がしょっちゅうある。最近は特に。
 隣で寝ている妹を起こさないように、そーっと布団から出る。
 部屋中真っ暗で、物音ひとつしない。わたしはこんな夜が苦手だ。夜って、何故か孤独を感じさせられるから。
 時計を見ると、もう二時を上回っていた。

 「はぁ……学校行きたくないな」

 ぼそっと呟く。
 誰も答えてくれるはずないのに。わたしは、ひとりなのに。
 カーテンを少し開けて、隙間から空を見てみる。まだ闇のような暗い空が広がっていて、呑み込まれてしまいそうだった。
 ……やることもないし、頑張って寝るか。
 そう思い、わたしは布団の中に再び入った。すると驚くことに、すんなり眠りにつくことができた。


 「愛音(あいね)ー、そろそろ起きなさい! 遅刻するよー!」

 耳がキンキンする、お母さんの大声で目を覚ます。
 わたしは誰にも見られないようにあくびをした。
 ……いつの間にか眠れてたんだ。夜中まで起きてたからすごく眠いけど。
 起き上がって階段を降りようとするも、足が重くて思うように動かない。

 「はぁ」

 あー、学校、嫌だな。
 あんなところにもう行きたくない。そんなことを毎日思っている。
 あと一ヶ月ほどで夏休みが来る。それまでの辛抱だと分かってはいるけれど、やっぱり行きたくないものは行きたくない。

 「あ、お姉ちゃん、おはよ。寝坊? 珍しいね」

 「……有紗(ありさ)、おはよう。別にいいでしょ。わたしは夜遅くまで勉強してるの」

 嘘を吐いてしまった。
 本当は勉強なんか全くしていないのに。

 「ふーん。受験生って大変だねー。あたしだったら死にたくなっちゃうかもー」

 そんな有紗の言葉に、お母さんは「こら、有紗。死ぬなんて簡単に言っていい言葉じゃないよ」と叱る。
 有紗は「はーい」と適当に返事をしていた。
 わたしは拳が割れそうなくらい強い力で握る。お母さんは甘すぎるんだよ。有紗にもっとビシッと強く言ってよ。

 軽々しく“死”なんて口に出してほしくない。

 「……お母さん、ごめん。今日はもう学校行くね」

 「あら、もう行くの? 朝ごはんは?」

 「大丈夫。ちょっと食欲もないし。じゃあ行ってきます」

 「行ってらっしゃい」

 そう言って家から出ようとすると、朝ごはんを食べ終わった有紗が急いでこちらに駆けてくる。

 「あー、走ったから前髪崩れちゃった。じゃあ行ってきまーす!」

 「有紗、行ってらっしゃい。ふたりとも気をつけてね」

 ……今日もバタバタしていて、最悪の朝だ。
 そう思いながら家を出ると、隣の家の紫陽花が視界に入った。
 梅雨は嫌いだけど、たまには花を見るのも良いなぁなんて思う。

 「ねぇ、お姉ちゃん。高校はもう決めたの?」 

 「うん、一応ね。お母さんやお父さんたちが期待してる弁護士を目指そうとは思ってるよ」

 胸に霧がかかったようにモヤッとする。

 「さすが、学年一位は違うねー。一年の間でもすごいって言われてるよ、お姉ちゃん」

 「そうなんだ。嬉しいな」

 嬉しいだなんて、一ミリも思っていない。
 だけど有紗だって、悪気があって言ったわけではないことは分かる。
 だからわたしは素直に言葉を受け止めて、喜んでいる“フリ”をすればいい。

 「有紗、おはよ」

 「有紗ちゃんおはよう」

 「おはよー」

 さすが有紗だ。
 有紗は小学校の頃から明るくて元気で、クラスのムードメーカー的な存在らしい。そんな妹を持っていて、わたしは誇りに思っている……はずなのに。
 こんなに胸が痛んでしまうのは、どうして?

 「あっ、水川(みなかわ)先輩っ!」

 「え、本当だ! 水川先輩、おはようございます」

 有紗の友達ふたりが、挨拶をしてくれた。
 わたしはまたいつものように笑顔を作る。

 「おはよう。わざわざ挨拶してくれてありがとう」

 「きゃっ、水川先輩とお話できるなんて!」

 「有紗と友達で良かったーっ」

 「へへ、感謝してねー。じゃあお姉ちゃん、また後でね」

 わたしは有紗の言葉に頷く。そしてひとりで学校へ向かった。


 教室へ行き、席につく。
 急いで準備を終わらせて、持ってきていた本を開く。
 周りを見渡すと、みんな誰かしら友達がいて、ホームルームが始まるまで話を続けていた。その光景を見るとまた胸が痛む。
 わたしは視線を本に向ける。読書は良い。現実から目を逸らし、その本の世界に入ることができるから。
 ……わたしは、友達なんていらない。だって、“あなた”がいないと意味がないから。
 空を見上げると、“あなた”が返事をしてくれたような気がして。少しだけ心が軽くなった。

 「はーい、みんな、席についてー。今日はお知らせがありまーす」

 「え、なになに」

 「せんせー、勿体ぶらずに早く教えてよー」

 クラス中がざわついた。
 そこで担任はパンパン、と手を叩いてみんなを落ち着かせた。
 そのとき、ドアがガラガラッと開いた。反射的にそちらを見ると、知らない制服の男の子がいた。

 「えー、突然だが、今日からこのクラスに転校してきた早乙女 悠(さおとめ はるか)くんだ。みんな、仲良くするように。早乙女、何かひとことあるか?」

 「はい。俺は別に誰とも仲良くする気はないので。友達ごっこなんてやるつもりないので、よろしくお願いします」

 ーー……早乙女、悠。
 早乙女くんは、みんなの目を釘付けにした。
 まず見た目が中学三年生にしては大人っぽく、女子が騒ぎそうな“イケメン”だ。
 だけど、唐突の“誰とも仲良くする気はない”宣言に、みんなが目を丸くしていた。

 「席は水川の隣な。いいよな、水川?」

 「えっ、わ、わたしですか?」

 「そうだ。学年一位の水川の隣の席だったら、早乙女もいろいろ勉強できるだろうし」

 ……うそ。早乙女くんが、わたしの隣の席?
 断るなんて選択肢、わたしにはない。頷く他なかった。
 早乙女くんは言われた通り、わたしの隣に座ってきた。早乙女くんの顔を近くで見ると、とても整った顔立ちをしていて、遠くからでは分からないくらいの色の茶髪だった。
 早乙女くんの瞳に吸い込まれそうになる。なんて綺麗なんだろう……。

 「なに?」

 「あっ、ご、ごめんなさいっ。え、えっと、わたし、水川愛音です。よろしくね」

 「……あんた、本当に学年一位? 信用できないんだけど。挙動不審だし」

 「えっ」

 ……なにそれ。そんな言い方はないんじゃない?
 初めて会った人にそんなことを言うなんて、あまりにも失礼じゃないだろうか。
 抑えろ、わたし。感情を抑えるんだ。

 「……そうだよ。私、一応学年一位なんだ。だから分からないことがあったら何でも聞いてね、早乙女くん」

 そう言うと、早乙女くんは目をぱちくりさせる。
 そして、はぁ、とわざとらしいため息を吐いた。

 「俺と同じだな。面倒くさい性格してる」

 「は?」

 「ちょっとおもろいかも。水川、ね。よろしく」

 一瞬、ほんの一瞬だけ、早乙女くんはニッと笑った。
 自分でも馬鹿馬鹿しいと思うけれど、ドクンドクンと胸の鼓動が高鳴ったのが分かった。