もとの世界ではまだ夏休みだったはずなのに、この世界ではもう冬が近づいてきていて少し肌寒くなってきた。
わたしは早乙女くんの家から梨央と一緒に帰り道を歩いているところだった。
「じゃあ今週の土曜日、また早乙女の家に集まる感じでいいんだよね?」
「うん、大丈夫だと思う」
早乙女くんはわたしがもとの世界に帰れるよう協力してくれるということだったので、今後もとの世界に帰る方法をみんなで探すことになった。
わたしのせいで迷惑を掛けてしまって本当に申し訳ない気持ちがある。
「じゃあ愛音、また明日学校でね。早くもとの世界に帰れるといいね」
「うん、ありがとう、梨央。また明日」
わたしは梨央を見送ってから、家に入った。
「ただいま」
「愛音、おかえりなさい。遅かったじゃない、部活は十一時までよね? もう一時よ?」
「ごめん、ちょっと梨央の仕事を手伝ってたんだ」
本当は早乙女くん家に行っていたのだけれど。
でも梨央の仕事を手伝ったのは本当だ。
「それならいいけど、今度からちゃんと報告しなさい」
「うん、分かった」
「あ、そうそう。今週一年生はテストがあるでしょ? だから有紗の勉強見てあげてほしいの。愛音が教えてあげたら成績もマシになるはず」
もとの世界の有紗は意外と優秀で、わたしが勉強を見てあげるなんてことは少なかった。
だけどパラレルワールドとはいえお母さんの頼みを断るわけにはいかないので、渋々頷く。
「いいよ。有紗の部屋行ってくるね」
「ありがとう、愛音。さすがお姉ちゃんね」
わたしは苦笑いをし、有紗の部屋の前まで行った。
そしてトントン、とノックする。
「有紗ー、わたしだけど。ちょっと入ってもいい?」
「お姉ちゃん? ……いいけど」
ドアを開けると、数学の教科書を見て真剣に机と向き合っている有紗の姿があった。
「何の用?」
「お母さんから有紗に勉強教えてほしいって頼まれたの」
そう言って横目でチラッとワークを見ると、全然進んでいない様子だった。
スマートフォンのタイマーで時間を測っていたみたいだけど、もう勉強してから二時間も経っていた。
それなのにニページほどしか進んでいないなんて……。
「余計なお世話だよ。別にお姉ちゃんに教えてもらわなくてもできるし」
「実際、悩んでるんでしょ? 確かにお姉ちゃんじゃ頼りないかもしれないけど……。お母さんに怒られるし。見てあげるくらいダメ?」
「……はぁ。絶対口出ししないでよ」
何とか、勉強を見てあげることに許可を貰えた。
口出ししないようにはしていたけれど、まだ数問しか解けていなかったので、教科書を指差しながら教えていく。
「ここは法則覚えちゃえば簡単だから。法則に当てはめて、計算していけばいいんだよ」
「覚えてたら苦労しないでしょ! 去年まで算数だったから、いきなりこんな難しいのできないしっ」
「でもいつまでもそんなこと言ってたら一生できないよ? 数学は一年生の頃からやっていれば後々困ることはないと思うよ」
「お姉ちゃんは勉強できるんだから、そりゃあ簡単に言えるよね。あたしの気持ちなんか分からないくせに」
限界が来たのか、頭のなかでプツッと何かが切れる音がした。
「わたしは……わたしは、優等生しか称号がなかったから、必死で勉強したの。努力したの! もともと天才なんかじゃない! “学年一位”としかみんな言ってくれないのもつらいんだよ!」
「学年、一位……? 学年一位は、梨央先輩でしょ?」
「……っ」
そうか。この世界では梨央がいるから、“学年一位”はわたしじゃない。
じゃあこの世界のわたしのこと、みんなどう見えているの? 梨央の次の人ってこと?
……わたし、つらかったね。よく今まで耐えてきたね。
やっぱりこの世界が一番幸せになれると思ったのは間違いだったんだ。わたしのことなんか、誰も見てくれやしないのだから。
この世界のわたしが向こうの世界にいたいと思うのも当たり前だ。
「もういいよ」
「え?」
「もういい。有紗の勉強も見てあげない。どうでもいい、全部。本当に……馬鹿みたい。この世界ではわたしの努力も、全部全部水の泡になっちゃうんだから」
何もかも全て、どうでもよくなってしまった。
「そんなの……あたしだって嫌だよ、こんな世界。学年一位じゃなくたって、お姉ちゃんは勉強できるじゃない! お母さんたちだってお姉ちゃんのこと認めてるじゃない! あたしは何もできないから、お姉ちゃんの影にいるだけなんだよ、つらいよ!」
「わたしは……有紗が羨ましいよ」
「羨ま、しい? 何言ってるの、羨ましいのは、お姉ちゃんだよ」
わたし、変だ。
羨ましいと思っている有紗は、もとの世界の有紗なのに。
この世界の有紗に言っても意味がないのに。分かっているけれど、言葉が止まらなかった。
「いつも明るくて、元気で、友達も多くて、一生懸命で、バスケの才能もあって。自由で、好きなこともできる有紗がずるい。わたしは梨央みたいになりたくて、学年一位の座を取り続けてきた。でも、梨央にはなれなかった。わたしはいったい、何のために生きてるの……!?」
「お姉ちゃん……」
「ねぇ、教えてよ!! わたしはっ、わたしは……!!」
いったい、誰なの?
「お姉ちゃんじゃ……ない」
息ができなくて苦しいと思ったその瞬間、ぷつりと意識が途絶えた。
目が覚めると、そこはパラレルワールドの装置のなかだった。
……今のは、なに?
もしかして、夢を見ていたのだろうか。
「……水川?」
「さ、早乙女くん」
うそ。もしかして、わたし、もとの世界に帰ってこれたの?
先ほどの悪夢が嘘のようだ。
「良かった、水川、帰ってこれたんだな」
「うん……って、早乙女くんどうしてそのこと知ってるの?」
「俺、水川より先に一足早くこの世界に帰ってきたんだ。それで水川がいたから話しかけたんだけど、パラレルワールドから来たっぽかったからさ。水川帰れなくて困ってたでしょ」
「う、うん、焦った」
そう言うと、早乙女くんは、ははっと笑った。
早乙女くんの笑った顔を見ると安心する。
「もしかしてだけど、早乙女くんがパラレルワールドのわたしに帰るよう説得してくれたの?」
「ちょっと話しただけだよ」
「……ありがとう。早乙女くんのおかげでわたしは帰ってこれたんだね」
「違うっつーの」
やっぱり優しい。早乙女くんは。
わたし、早乙女くんのことーー……好きだ。
『愛音、この世界で坂井先輩と早乙女が付き合ってるって言ってたとき、悲しそうな顔してたよ』
向こうの世界で梨央が言っていたことを思い出す。
梨央の言ってた通り、わたしは本当に早乙女くんが好きだったんだね。今更気づいたよ。
「……ふふっ」
「何急に笑ってんの。そんなに嬉しかった? この世界に戻れて」
「うん、嬉しい。わたしね、大切なことに気づいたの。わたしがずっと会いたいと思ってた梨央は、パラレルワールドの世界の梨央じゃなく、この世界の梨央だったんだって。誰でも良いわけじゃなかった。今までずっと気がつかなかったの、馬鹿だよね」
梨央がいなくなってしまっても、別の梨央を探してはいけなかったのに。
ごめんね、梨央。空から見て、わたしを叱ってるかな。
わたしは過ちを犯してしまったんだね。
「……馬鹿じゃないよ」
「えっ」
「それだけ、あんたが幼馴染に会いたいって思う気持ちが本気だったんでしょ。そのことをパラレルワールドだけど、本人に気づかされた。それってすごいことだと思うけど」
胸がかーっと熱くなる。
早乙女くんはわたしが落ち込んでいるとき、自分に腹を立てているとき、いつも優しい言葉を掛けてくれる。
そんなに優しくしないでほしい。もっと好きになるから。なんて、本人には言えないけど。
「ありがとう、そうだね。そういえばどうして早乙女くんはこの世界に戻ってきたの?」
「俺は気持ちにケジメをつけてきた。凪に最後に“ありがとう”を伝えて戻ってきたんだ。この世界で水川の世話もしないといけないしな」
「なにそれ。わたしの世話を焼くために戻ってきたって言うの?」
「おん」
なにそれ、喜んでいいのか喜ぶことではないのか、分からないじゃん。
でも、気持ちは正直だ。坂井先輩よりわたしを選んでくれたことがすごく嬉しい。
……坂井先輩にも、梨央たちにも、最後挨拶できなかったな。
そう思うと、少しだけ悲しくなる。
「ま、これから単純にこの世界を楽しんでいけばいいでしょ」
「うん、そうだね」
「じゃ、今日は解散」
「分かった。またね、早乙女くん」
「また」
これからは早乙女くんへの恋に集中しよう。大丈夫、今までだって”学年一位“としてひとりで頑張ってきたのだから。
そう、決心したときだった。
まさか好きな人に会えなくなるなんて、思ってもみなかった。
わたしは早乙女くんの家から梨央と一緒に帰り道を歩いているところだった。
「じゃあ今週の土曜日、また早乙女の家に集まる感じでいいんだよね?」
「うん、大丈夫だと思う」
早乙女くんはわたしがもとの世界に帰れるよう協力してくれるということだったので、今後もとの世界に帰る方法をみんなで探すことになった。
わたしのせいで迷惑を掛けてしまって本当に申し訳ない気持ちがある。
「じゃあ愛音、また明日学校でね。早くもとの世界に帰れるといいね」
「うん、ありがとう、梨央。また明日」
わたしは梨央を見送ってから、家に入った。
「ただいま」
「愛音、おかえりなさい。遅かったじゃない、部活は十一時までよね? もう一時よ?」
「ごめん、ちょっと梨央の仕事を手伝ってたんだ」
本当は早乙女くん家に行っていたのだけれど。
でも梨央の仕事を手伝ったのは本当だ。
「それならいいけど、今度からちゃんと報告しなさい」
「うん、分かった」
「あ、そうそう。今週一年生はテストがあるでしょ? だから有紗の勉強見てあげてほしいの。愛音が教えてあげたら成績もマシになるはず」
もとの世界の有紗は意外と優秀で、わたしが勉強を見てあげるなんてことは少なかった。
だけどパラレルワールドとはいえお母さんの頼みを断るわけにはいかないので、渋々頷く。
「いいよ。有紗の部屋行ってくるね」
「ありがとう、愛音。さすがお姉ちゃんね」
わたしは苦笑いをし、有紗の部屋の前まで行った。
そしてトントン、とノックする。
「有紗ー、わたしだけど。ちょっと入ってもいい?」
「お姉ちゃん? ……いいけど」
ドアを開けると、数学の教科書を見て真剣に机と向き合っている有紗の姿があった。
「何の用?」
「お母さんから有紗に勉強教えてほしいって頼まれたの」
そう言って横目でチラッとワークを見ると、全然進んでいない様子だった。
スマートフォンのタイマーで時間を測っていたみたいだけど、もう勉強してから二時間も経っていた。
それなのにニページほどしか進んでいないなんて……。
「余計なお世話だよ。別にお姉ちゃんに教えてもらわなくてもできるし」
「実際、悩んでるんでしょ? 確かにお姉ちゃんじゃ頼りないかもしれないけど……。お母さんに怒られるし。見てあげるくらいダメ?」
「……はぁ。絶対口出ししないでよ」
何とか、勉強を見てあげることに許可を貰えた。
口出ししないようにはしていたけれど、まだ数問しか解けていなかったので、教科書を指差しながら教えていく。
「ここは法則覚えちゃえば簡単だから。法則に当てはめて、計算していけばいいんだよ」
「覚えてたら苦労しないでしょ! 去年まで算数だったから、いきなりこんな難しいのできないしっ」
「でもいつまでもそんなこと言ってたら一生できないよ? 数学は一年生の頃からやっていれば後々困ることはないと思うよ」
「お姉ちゃんは勉強できるんだから、そりゃあ簡単に言えるよね。あたしの気持ちなんか分からないくせに」
限界が来たのか、頭のなかでプツッと何かが切れる音がした。
「わたしは……わたしは、優等生しか称号がなかったから、必死で勉強したの。努力したの! もともと天才なんかじゃない! “学年一位”としかみんな言ってくれないのもつらいんだよ!」
「学年、一位……? 学年一位は、梨央先輩でしょ?」
「……っ」
そうか。この世界では梨央がいるから、“学年一位”はわたしじゃない。
じゃあこの世界のわたしのこと、みんなどう見えているの? 梨央の次の人ってこと?
……わたし、つらかったね。よく今まで耐えてきたね。
やっぱりこの世界が一番幸せになれると思ったのは間違いだったんだ。わたしのことなんか、誰も見てくれやしないのだから。
この世界のわたしが向こうの世界にいたいと思うのも当たり前だ。
「もういいよ」
「え?」
「もういい。有紗の勉強も見てあげない。どうでもいい、全部。本当に……馬鹿みたい。この世界ではわたしの努力も、全部全部水の泡になっちゃうんだから」
何もかも全て、どうでもよくなってしまった。
「そんなの……あたしだって嫌だよ、こんな世界。学年一位じゃなくたって、お姉ちゃんは勉強できるじゃない! お母さんたちだってお姉ちゃんのこと認めてるじゃない! あたしは何もできないから、お姉ちゃんの影にいるだけなんだよ、つらいよ!」
「わたしは……有紗が羨ましいよ」
「羨ま、しい? 何言ってるの、羨ましいのは、お姉ちゃんだよ」
わたし、変だ。
羨ましいと思っている有紗は、もとの世界の有紗なのに。
この世界の有紗に言っても意味がないのに。分かっているけれど、言葉が止まらなかった。
「いつも明るくて、元気で、友達も多くて、一生懸命で、バスケの才能もあって。自由で、好きなこともできる有紗がずるい。わたしは梨央みたいになりたくて、学年一位の座を取り続けてきた。でも、梨央にはなれなかった。わたしはいったい、何のために生きてるの……!?」
「お姉ちゃん……」
「ねぇ、教えてよ!! わたしはっ、わたしは……!!」
いったい、誰なの?
「お姉ちゃんじゃ……ない」
息ができなくて苦しいと思ったその瞬間、ぷつりと意識が途絶えた。
目が覚めると、そこはパラレルワールドの装置のなかだった。
……今のは、なに?
もしかして、夢を見ていたのだろうか。
「……水川?」
「さ、早乙女くん」
うそ。もしかして、わたし、もとの世界に帰ってこれたの?
先ほどの悪夢が嘘のようだ。
「良かった、水川、帰ってこれたんだな」
「うん……って、早乙女くんどうしてそのこと知ってるの?」
「俺、水川より先に一足早くこの世界に帰ってきたんだ。それで水川がいたから話しかけたんだけど、パラレルワールドから来たっぽかったからさ。水川帰れなくて困ってたでしょ」
「う、うん、焦った」
そう言うと、早乙女くんは、ははっと笑った。
早乙女くんの笑った顔を見ると安心する。
「もしかしてだけど、早乙女くんがパラレルワールドのわたしに帰るよう説得してくれたの?」
「ちょっと話しただけだよ」
「……ありがとう。早乙女くんのおかげでわたしは帰ってこれたんだね」
「違うっつーの」
やっぱり優しい。早乙女くんは。
わたし、早乙女くんのことーー……好きだ。
『愛音、この世界で坂井先輩と早乙女が付き合ってるって言ってたとき、悲しそうな顔してたよ』
向こうの世界で梨央が言っていたことを思い出す。
梨央の言ってた通り、わたしは本当に早乙女くんが好きだったんだね。今更気づいたよ。
「……ふふっ」
「何急に笑ってんの。そんなに嬉しかった? この世界に戻れて」
「うん、嬉しい。わたしね、大切なことに気づいたの。わたしがずっと会いたいと思ってた梨央は、パラレルワールドの世界の梨央じゃなく、この世界の梨央だったんだって。誰でも良いわけじゃなかった。今までずっと気がつかなかったの、馬鹿だよね」
梨央がいなくなってしまっても、別の梨央を探してはいけなかったのに。
ごめんね、梨央。空から見て、わたしを叱ってるかな。
わたしは過ちを犯してしまったんだね。
「……馬鹿じゃないよ」
「えっ」
「それだけ、あんたが幼馴染に会いたいって思う気持ちが本気だったんでしょ。そのことをパラレルワールドだけど、本人に気づかされた。それってすごいことだと思うけど」
胸がかーっと熱くなる。
早乙女くんはわたしが落ち込んでいるとき、自分に腹を立てているとき、いつも優しい言葉を掛けてくれる。
そんなに優しくしないでほしい。もっと好きになるから。なんて、本人には言えないけど。
「ありがとう、そうだね。そういえばどうして早乙女くんはこの世界に戻ってきたの?」
「俺は気持ちにケジメをつけてきた。凪に最後に“ありがとう”を伝えて戻ってきたんだ。この世界で水川の世話もしないといけないしな」
「なにそれ。わたしの世話を焼くために戻ってきたって言うの?」
「おん」
なにそれ、喜んでいいのか喜ぶことではないのか、分からないじゃん。
でも、気持ちは正直だ。坂井先輩よりわたしを選んでくれたことがすごく嬉しい。
……坂井先輩にも、梨央たちにも、最後挨拶できなかったな。
そう思うと、少しだけ悲しくなる。
「ま、これから単純にこの世界を楽しんでいけばいいでしょ」
「うん、そうだね」
「じゃ、今日は解散」
「分かった。またね、早乙女くん」
「また」
これからは早乙女くんへの恋に集中しよう。大丈夫、今までだって”学年一位“としてひとりで頑張ってきたのだから。
そう、決心したときだった。
まさか好きな人に会えなくなるなんて、思ってもみなかった。



