玄関のチャイムが鳴りドアを開けると、笑顔のイチカが立っていた。イチカはいつも明るい。

「早かったじゃん。バイト?」
「うん。近くまで来てたから……」

イチカのバイト先ってこの辺だっけな。そんなことを考えているうちに、イチカは勝手に部屋に上がり込んで、豪快にソファーに座った。

「はぁ〜……ここ落ち着くなぁ〜」
「そ?」

麦茶を入れてテーブルに置くと、俺はイチカの隣に腰を下ろした。

「ありがと。」
「それで?なんの相談?」

「何も言ってないのにわかるんだ。」
「相談もなしに来ないだろ?」
「まぁね〜」

イチカは相談があるとすぐ俺の部屋に来る。髪をどれくらい切ったら良いか、どっちの色の服が良いか、そんなことでも聞きに来る。

「実は……サークルの先輩に誘われていまして……」
「ふーん。何?デート?」

恋愛の相談は初めてかもしれない。

「わかんないけど、2人で行きたいって言われてて……」
「へー、どんな人?」

「いい人だよ。1つ上の先輩で、頼り甲斐があるし、人気もあるし……」

「顔は?」
「まぁ、カッコいいと思う。」

「じゃあ、いいじゃん。」

好きなら勝手に付き合えば良い。

「でもなんかさー……」
「なに?何が気になってんの?」
「なんか気になるんだよね……なんかちょっとこう……」

相手は、男らしいリーダーシップのあるタイプか。

「引っ張りすぎな感じ?」
「うん……」

そんな気がする。

「俺様ってわけじゃないけど、なんとなく口出せないような感じで、これやろうぜーみたいな?」
「そう、それ!なんでわかるの?」

イチカが引っかかるなら、そんなとこだろう。

「イチカって頼られたい側じゃん。だから、気になるんじゃないの?」
「そうなんだよねー……彼氏には頼りたいんだよ。でも、私も決めたいからさ、こっちの話も聞かないで、ここ行くから来てよ〜みたいに言われるとちょっと……」

「萎えるよね。」
「うん。萎える。」

イチカには聞き上手な相手の方が合ってると思う。

「断った方がいいんじゃない?」
「そうなのかなぁ。」

「そこまでわかってるなら、付き合っても楽しくないでしょ。」
「でも断ったら彼氏できないじゃん。」

そんなこと気にしてるのかよ。

「そんなことないだろ。」
「ユウくんは彼女できたの?」

彼女ねぇ……

「いない。」
「彼女いなくて平気なの?」

どういう意味だ?

「なんだよ。平気だよ、べつに。」
「いや、年頃の男子はなんか、そういう気持ちになるって言うし……」

あー……

「いなくてもなんとかなってるから。」
「えっ……」

イチカにはわからないだろうけど。

「なに?」
「彼女いないんだよね?」

「いないよ。」
「そういう相手がいるってこと?」

──いる。

「……さぁ?」
「うわー……なんかイメージ変わったー」

「男なんてそんなもんじゃないの?」
「そんなことないでしょ。」

そんなもんだと思う。

「俺、モテるから。イチカと違って。」
「傷つくからやめて。」

モテなくていいよ、イチカは。

「イチカはちゃんと好きな人とした方がいい。」
「なに真面目に言ってんの、腹立つなー」

イチカは自分を大切にした方がいい。

「無駄にしたらだめだ。」
「ユウくんは無駄にしてるってこと?」

「俺は男だから。」
「ふーん……」

男と女は違う。

「イチカは好きな人いないの?告白された人じゃなくて、イチカが好きだと思う人。」
「……いないなぁ。」

そんな人がいたら、もう告白してるか。

「じゃ、待ってたら?王子様が来るでしょ、そのうち。」
「待ってても来ないよ。」

きっと来るよ、イチカのところには。

「べつに焦る必要ないと思うけど?」
「ユウくんはいいの?彼女じゃなくて、そういう関係だけって割り切れるの?」

俺はイチカとは違う。

「俺は気持ちがなくてもできるから。」
「それ言ったら、私ともできることになんない?」

「え?」
「女なら誰でも良いってことでしょ?」

何言ってんのかわかってんのか?

「そこまでは言ってないけど。」
「じゃあ、私ともできる?」

俺は麦茶を手に取った。

「ユウくんは、私ともできるんですか?」

顔を覗き込まれた俺は、麦茶を飲まずにグラスを置いた。

(イチカ、お前は何もわかってないよ。)

「──っ、ちょっ……!!」

イチカの体は、想像よりずっと軽かった。あっという間に俺に押し倒されて、イチカは目を泳がせている。

「イチカが言ってるのは、こういうことなんだけど。」
「……」

「めっちゃ怖がってんじゃん……」
「……こ、怖がってないし。」

イチカの声は震えてる。

「していいならするけど?」

このまま抱いたらどうなると思う?

「どうすんの?」

俺は……

「あーあ。」

わざとらしくため息をついて起き上がると、体をこわばらせているイチカが目に入った。

「ほら、起きて。」

手を差し出すと、イチカは普通に俺の手を握った。

(手は握れるのかよ。変なの。)

「そういうことは簡単に言うな。」
「……うん。ごめん。」

「俺はしないから。イチカにはしない。」

イチカに言ってるのか、自分に言ってるのかよくわからない。

「先輩の誘いは断った方がいいんじゃない?イチカには合わないと思う。」
「……うん。そうだね。」

相談は終わりだ。

「シャワー浴びてくるわ。帰ってていいから。」
「……うん。」

俺はイチカの顔を見ずにシャワールームへ向かった。蛇口を捻ると水の音が響いて、俺はそのままイチカが出ていくのを待った。

イチカは俺の幼なじみ。
なんでも相談してくる友達。

「ごめんな、抱いてやれなくて。」

グラスをキッチンへ片付けると、床に口紅が落ちていた。俺はスマホを手に取って、口紅の持ち主へメッセージを送った。