眼下に広がる巨大な工場と眩暈がしそうな高さの本社ビル。
国内はもちろん国外にも名をはせる“天水グループ”は各方面でずば抜けた企業で国内GDPの約22%を占めている。

「はぁ~。着いた着いた」

首をコキコキと軽く回して地上とは全く別の区間に足を踏み入れた。

窓もない薄暗い部屋の入口には広報部資料課と書かれたシルバーのプレートと資料関係の本や素材の山。

華やかな上の階層とは真逆で資料が日に焼けるのを気遣いほぼ外の光は入らない。

毎日メールで各部署から届く資料の内容を確認して限られた人しか権限が持てない社外秘の資料をフォルダの中から選びメールや社内便で送ると言う作業をしている。

「おっ、初果(ういか)ちゃん帰ったかね」

部屋の一番奥にポツンと灯る電気の下から声がした。

「課長、全部点けて下さいよ~」

ここの灯りは特殊加工された電球が使われていてどれだけ点けようが資料が痛む事もないのに課長は昔の癖だと言って点けるのを忘れるらしい。

「僕も今帰ってきた所だから。上は大丈夫だったかい?」

ポチャリとしたお腹を揺すりながら近寄って「お茶入れてくれる?」と優しい目をした。

「バレてないみたいですよ。嫁がまさか地下に居るとは思っても無いんでしょうね。お茶どうぞ」

天水 初果(てんすい ういか)28歳。
広報部資料課に配属されて丸6年になる。
至って何もかもが普通人間だけど恋愛には夢見がちな女。

「そうか。なら安心安心」

今さら心配されても困る。
元はと言えば小田原(おだわら)課長が私にお見合いを勧めた人。
だから旦那の浮気(でっち上げ)の話は耳に入っていて心配なんだと思う。

「大丈夫ですからー!」

課長の不安な顔をよそに力こぶを作って見せて差し入れの塩大福を口いっぱいに頬張って見せる。

(…本当にそんな心配されるのは色々と心が痛い)

私は天涯孤独の施設育ち。
小田原課長の奥さんが私の高校の担任で色々面倒見てくれて何とか大学を卒業!
この天水グループの末端だけど入社出来ることになった。

「課長の人脈って謎ですよね」

「ん?そうかな」

社長とのお見合いを普通持ってこれる?

会長(旦那の父親)とは同級生であり親友らしく
結婚願望ゼロの旦那に不安を感じた会長は課長にお見合い相手の相談をして来たらしい。

「七織くんには初果ちゃんがお似合いだとビビっと来たんだよね」

そのビビッは間違えだと思う。

勝手に決めたお見合いに旦那の母親は激怒。
結局、会長には逆らえず一応表向きは認めたことになってる。

そこにプラスして現れた川崎さんと高梨さん。
この二人は入社当時から仕事に恋愛とライバル関係らしい。

「あなたなら大丈夫ね」

彼女達はお見合い相手の私をわざわざ確認に来てこう言い放った。

施設育ちのメンタルなめんな!
そんな言葉にめげる私じゃない。

留学と異動の中、他の女に彼を奪われるより私とお見合い結婚させといて離婚させれば良いと考えたみたいで手切れ金の前払いで300万ほどお二人から頂いた。

「まぁ、満足かな~」

お茶をすする私の前で課長は微笑んで「幸せなんだね」と塩大福に舌づつみを打つ。

課長…何か大きな誤解をしてる!
申し訳ないけど放っておこう!

「課長!口の周り粉が!」

「ハハハッ!粉まみれになったよ~」

「また笑うから!ハハハッ」

結婚するならこんな風に笑い合える関係になりたかった。
どこで間違えた?
ううん、最初から間違えばかりだった。
だって私と旦那と結婚は契約だから!

そもそも私と旦那っていかにもお見合いって言う物じゃなかった。
高級ホテルでも料亭でもなく獅子落としも振袖も仲人みたいな人も居ない。

相手はただただ普通の生活では知りえない人。
そんな彼から釣り書代わりのメールが届いた。

ー社長室に来てくれないか。

お見合いと言う堅苦しさより社長室で会う方が私も気楽で簡単だと思った。

「俺は妻が居ると言う肩書だけ必要。籍だけ入れるってことで。結納金として申し分ない額出す」

彼はバカ高そうなスーツに身を包み長い足を組んで面接の総合評価のように私に告げた。

早い話、彼は妻の影のみ必要。
私は偽りの夫婦でも家族の温かさを味わってみたかった。