「……お前もイタイやつだよなぁ。兄貴が兄貴だもんな」
心臓が、嫌な音を立てた。
田川が『兄貴』と言った瞬間に。
私の、お兄ちゃん……?
どうして、そこでお兄ちゃんが出てくるの……?
「知ってんだぜ?お前の兄貴のことも。風切達と同じ──」
ダメだ、やめて
言わないで
嫌な予感がするんだ、すごく
お兄ちゃんのことに触れないで
いやだ
やめて
足が震え動悸が速くなって、息をすることすら困難になる。
耳を塞ぎたくなる。
それなのに、コイツは
この男は
にたりと笑って、凶器の口を開いた
「落ちこぼれのクズなんだろ」
その瞬間
私は、私に負けた。
我を失い、叫びながら田川に飛びかかった。
最後まで、冷静にいようと、いられると信じていた。
でも無理だったんだ。
何もかも、見失った。
私を抑えていた鎖はいとも容易く、田川の一言によって引きちぎれた。
「っ、よくも……よくもそんなこと……!!!」
「な、何なんだよお前!!放せよ!!」
田川の胸ぐらを掴み上げ、その勢いで廊下に倒れ込む。
田川に馬乗りになった私の瞳に、驚愕した顔が映る。
憎くて憎くて、仕方がなかった。
こんなにも人を滅茶苦茶にしたいと思ったのは、初めてだった。
何を言った?
コイツは今、お兄ちゃんのことを何て言った?
──あれは、私が小学一年生の時だった。
お兄ちゃんは小学六年生で、泣いて帰ってきた私に、顔色を変えて詰め寄ってきた。
『もも、どうした!?誰かにイジめられたのか!?』
『ふえ……っく、六年生のひとたちに……』
『なに!?よし、兄ちゃんが仕返ししてやるからな!』
次の日、服も顔も泥だらけになって帰ってきたお兄ちゃん。
『もも!兄ちゃんが、ワルモノは退治しといてやったからな!』
『お兄ちゃん……鼻血、出てるよ……?』
『はっはっは、そんなわけないだろ。兄ちゃんは無傷で勝ったんだ』
『いや、出てるよ!思いっきり、両方の鼻の穴から出てるよ!!』
『はっはっは、ももは大げさだなあ』
『いや……うん。もういいよ……』
『何かあったら、兄ちゃんにすぐ言えよ?守ってやるからな』
そう言って傷だらけの顔で、お兄ちゃんは優しく微笑んで、私の頭を撫でてくれた。
柔らかい、木漏れ日のような……遠い日の記憶。
膝から伝わる廊下の冷たさに、私は現実へと戻る。
私の下敷きになっている田川が、眉をひそめて私を見上げていた。


