だって別に私がどうであれ、周りには関係ない事なのだ。
 私が大変な思いをしようがしまいが、それが周りの人間の人生を左右したりはしない。
 私が幸福だから周りの周囲が幸福になる事は無いし、不幸になる事もない。
 私が苦労しようがしまいが、周りにその責任が被さる事はない。
 誰かが不幸だから自分も不幸でなければならない――そうなってしまう方が逆におかしいのだ。
 もし仮にそうなってしまうのだっとしたら、その考えはある意味呪縛だ。
 幸せになれる人間は勝手に幸せになっていい。それが健全なあるべき姿なのだ。
 夕食の準備を淡々と進めながらそんな考えに頭を巡らせる。
 電子レンジが音を立てて、温めが完了した事を知らせてくれたので、私はそちらへ向かう。
 扉を開けると、今夜のメインであるスペアリブがとても良い感じに温まっていた。
 タッパの蓋を取り外した途端、食欲をくすぐる香りがふわりと立ち上る。
 今日も最高の夕食になりそうだ。
 用意してくれたお手伝いさんに毎食ごとにありがとうの気持ちが湧いて来る。
 おかげさまで労力と時間を使わずに最高の食事がいつも出来ています。
 私達の生活に協力してくれてありがとう。
 お手伝いさんも労力を提供することで給金を貰って幸せになっているから、私はそう言って済ませるだけでいい。
 彼がそれを許してくれているから。
 ふと彼をまた見つめると、彼は付け合わせのおかずを別の皿に移している所だった。
 そして移し終わったタッパーをシンクに。
 そんな同じ行動の繰り返しだけで、まるで自分で必死で労力を割いたかのような夕食が完成してしまうのだから、現代社会のシステム自体は本当に便利だ。
 そう今でこそある程度割り切れるようになっているものの、こんな考え方に至るまでにはトラブルもあった。
 と言っても、私の判断基準でのものなので、厳密に言えばトラブルと言うトラブルではないのだと判断されるかもしれないけれど――何があったかと言うと、つまり作ろうとしても結局失敗してしまった、それだけだ。
 一応真面目に毎日働いている彼を見ているうちに、最初は何だか申し訳ない気持ちになったりもして、彼だけ頑張らせてる感覚に陥ってしまい、落ち着かなくなり自分でも料理をしてみたいと申し出た。
 彼は私がそうしたいならいいと許可をしてくれて、一時期だけ頑張った事もある。
 だけどやはりとことん私には家事という物自体が性に合わなかったらしい。
 それなら何が性に合っているのかと言われたらそれはそれで困るのだけど、とにかく包丁を握ったらお決まりのように指を切ってしまったし、鍋の蓋を開けようとした時には火傷するし、それでも何とかとキッチンに立ち続けた結果、しまいには許容範囲を超えてしまったようで体調を崩して寝込んでしまった。
 負傷した事実そのものよりも、いちいち上手くスムーズに行かないストレスが蓄積された結果だったのだと思う。
『無理しなくていい、篠田(しのだ)さんに頼もう』
 どこまでも優しい彼は、頭痛に唸って寝込んでいた私の頭に手を置いて撫でながら言ってくれて――結果、私達の結論は今の形になった。
 因みに篠田さんと言うのは結婚当初から週に四回、我が家の手入れ、家事全般諸々をしに来てくれている四十歳の家政婦さんだ。
 最初は全て私に丸投げされた状態でさせられていた夕食作りの仕事を、私の都合で減らされたりまた追加されたり、間違いなくこの件で一番迷惑だったのは彼女だと思う。
 振り回して申し訳ない篠田さん――と思いつつ、着々と夕食の作業を進め、出来上がった夕食の数々を見る。
 綺麗な彩の、栄養のバランスも整った食事。
 今日もどれもこれも美味しそうだ。
(完璧)
 やっぱり変に意地を張らずに篠田さんに任せて正解だ。不器用な私がしゃしゃり出て無駄にトラブルを起こす必要は全然無い。
 タイミングを見透かしていつの間にかキッチンの向こうに移動していた彼に、出来上がった皿を渡す。
 受け取った彼がテーブルに綺麗に並べて行く。
 この呼吸も、約三年の結婚生活の中で合う様になった。
 何て心地いい時間と空間だろう。
 仕上げた料理を出し終えると、シンクに溜まった洗い物を整理して水に浸ける。
 食洗器はあるけれど、手洗いの仕上がりにはかなわないという理由から私達はあまり利用しない。
 私は何故か食器洗いの作業だけはそんなに嫌いではないし、彼も苦にしている様子はない。
 一度だけ管理が大変になるだけだったら処分する? という話題になった事もあるけれど、篠田さんが結構使ってる、と私が言うと彼はああ、と納得してくれて、そのまま現在もこのまま置いてある状態だ。
 間接的にでも私達の生活に活用されてるなら、存在する意味と価値は充分ある。
 片付けに備えてシンクの中の整理を終えて、私はテーブルに向かった。
 直ぐに食事開始出来る状態にまで準備を整えてくれていた彼が、椅子に腰を下ろして私のグラスに麦茶を注いでいる。
 手際が良い。全てに不満が無い。
「食べよう」
 彼に促されるまま、私も向かい合う形で椅子に腰を下ろす。
 頂きますという軽い挨拶をした後で、二人で食事を開始する。
 代わり映えのしない、毎日の私達の日常。
 ――篠田さんの料理はやっぱり今日もとても口に合った、絶妙の味付けだった。