特に何の変哲もない、フォロワーもせいぜい三桁の暇つぶしの毎日の記録をしているだけのアカウントに、何をそんなに固執しているのだろうか。
 ここまでくると逆にこの相手から詳しく話を聞いてみたい程だ。
(金持ちアピール、ね)
 確かに実際の環境がそうだから、そう見えても仕方のないことなのかもしれない。
 だけど残念ながらこっちにはそういうつもりは全く無い。
 出来るだけ穏便に、言葉も選んで投稿をしているつもりだ。
 実際、貰うコメントの九割がたは好意的に褒めてくれるコメントだから、ある程度それは成功しているのだろう。
 それでも人なんてそれぞれ抱く感情は違う。どんなにこちら側が細心の注意を払ったとしても、気に入らないと思う人間も一人や二人は出て来るのは仕方のない事だ。
 そしてこういう相手とは分かり合える事はない。まともに取り合うだけ時間の無駄なので、ひたすらスルーするに限る。
 いつも通り何のアクションもしないまま、私は今度こそ他の画面に飛んだ。
 必要な人にレスを返す。私は必要な成すべきことは成している。それだけでいい。
 もし本格的に自分にとって面倒臭い物になったら、その時はさっさとアカウントを閉じればいい。
 多分私のアカウントに執着しているのは私よりも、このエリンギさんの方だ。この人も大変だなと思う。
 今目にしているタイムラインからは、次から次へとひっきりなしに新しい話題のネタが飛び込んで来る。
 それこそ一般人のふとしたツイートから、政治経済、時事問題、芸能ネタに関するものまで。
 みんな日々の生活に色んな思いと考えを巡らせて生きているんだなとつくづく感じてまう。
 殺伐とした中ではあるものの、それがこうして誰かの暇つぶしとストレス発散の材料になっているのならそれはそれでいいのかもしれない。
 需要がなけれはこういうものは世の中において成立しない。
 現に自分もこうして今これを楽しんでいる。
 他に何か集中しているものでもあればまた違うのだろうけれど、生憎今の私にはそんなものはない。
 多分私は人よりも興味をひかれるもののストライクゾーンが狭い。というかほぼ無いに等しい。
 そんな適当でもそれなりに恵まれた生活を送れているのだから、やっぱり私は運がいい。
 窓の外を見ると、街の灯りが大分目立ち始めていた。
 比較的高い立地の比較的高い階のマンションのこの号室からは毎晩、夜景が一望出来る。
 流石に新婚当初ここに住み始めた時の様に新鮮な感動する気持ちは無くなって来ているけれど、それでもまだこのロケーションを綺麗だと感じれる位には、感性は鈍っていない。
 ここに来て良かったのだ。彼と結婚したのは間違いなく大正解だった。
 そうでなければ、この今の生活も無かった。
 そういう意味では、彼と引き合わせてくれた両親にも感謝しなければならないだろう。
 父親がそこそこ大きい事業を起こしていて彼の両親と接点を持てていた事にもだ。
 色んな巡り合わせの下で自分は今の幸福を手に入れている。
 頭の中でそんなプラスのイメージをしつつも、その実、手と目はネット上で繰り広げられる不毛な争いを目にしている。
 私の閉塞した考えを打ち消す音が立ったのは、その時だった。
 がちゃり、という家のドアが開く音に続いて、こちらに向かって廊下を歩く音。
 たいした間もなく、今度はリビングへ続くドアを開ける音が立つ。
 彼の帰宅の合図であるこの三点セットの音もすっかり耳になじんでしまった。
 いつもと同じ時間帯。いつもと同じ足取り。雰囲気。
 当たり前に訪れた日常を、私は今日もやり過ごす。
 待っているとやがてリビングのドアが空いて、紺色のスーツ姿の彼が姿を現した。
 外出から戻って来たばかりのはずなのに、疲れも暑さも感じさせず、いつも一定の感情を崩さない。
 非の打ち所のない彼は、まるでスーパーマンのようだ。
 この人物に欠点というものが存在するのだろうか。
 しいて言うならば、寝起きが少し悪いとか、仕事にのめり込んで時々夜更かしをしがちだとか。
 でもそれは全て些細なもので、たとえば寝起きなんて特にこちらが必要以上に干渉せずにやりすごせばいいだけの話だし、仕事にのめり込んでるのもその姿そのものは尊敬に値するものなのでさほど気にならないと言っていい。
 見た目も性格も完璧。そして地位もある。
 世の中にこういう人が本当に存在するのだ、と彼を見てるといつも思う。
 彼が私を選んでくれたのは奇跡に近い。
 ――そう、私は選ばれたのだ。彼に。
「ただいま」
 帰宅の挨拶と一緒に添えられた微笑みも綺麗だ。二十八歳とは思えない。
 顔立ち自体はかっこいいという部類の方かもしれない。だけど笑い方は綺麗。
 流石最上級の家庭で育っただけはある。
「お帰りなさい」
 私も視線を合わせて彼に対してそう返す。
 どこでもある、普通の家庭の普通の挨拶だ。
「どうだった? 仕事」
 今朝、朝食の時に会社に関する大事な話し合いがあると呟いていたのを思いだして、私は訊ねてみる。
 実際にその件が気になってはいない。ただのコミュニケーション上の話題の提供だ。
「うん、いい感じだったよ」
 にっこりと笑みを深めて言って来たのを見ると、どうやら結構いい方向に転んだようだと判断できる。
 彼の集中しているものが上手くいったというなら、それは自分にとっても嬉しい事だ。
 そう思える自分になったのは想定外と言えば想定外だ。
「そう。良かった」
 私に返せる言葉はそれしかなくて気が利かないとも言えるかもしれないけれど、私は気にしない。
 ――なぜなら、彼が私に対して何も求めていない事を私はもう知っているからだ。