今日も外の気温は四十度に迫る勢いだった。
連日の猛暑により熱中症患者は急増しており、おまけに夏に増加する水難事故も例年通り多発しているとニュースでは言っている。
熱中症アラートも毎日当たり前のように発令中。
加えて異常気象によりゲリラ豪雨が襲って来る可能性まで高くなっていて、いくら外出時に日差しが照り付けていたとしても油断が出来ない。
空模様はすぐに変わり、あっという間に大粒の雨が上空から襲って来る。かと思ったら、すぐにまた日差しが照り付ける。
毎日がその繰り返し。
つまり要するに、とても人類にとって生息しにくい環境。
こんな日に無駄に外に出る人間なんて、理解の範疇を超えているし正気の沙汰じゃない。
人間の活力を容赦なく奪っていく八月の暑さと湿度とは、不必要に敵に回して戦うべきじゃないのだ。
そう、こういう日は無理に外に出ずに、こうして冷房の効いた適温に保たれた家の中に黙って居るに限る。
冷房の効いた、湿度も適切に排除された、雨風にさらされる心配もない部屋の中。
3LDKのホワイトカラーで基調されたセキュリティ万全のマンションに、値段の張る紺色のカーペットとソファーベッド。
部屋の隅には生き生きと葉を伸ばす観葉植物が置かれている。
ここは私の聖域であって、誰にも邪魔されたくないストレスフリーの空間だ。
こうしてゆったりした気持ちで穏やかに毎日を過ごす、それが健全なセオリー通りの過ごし方。
だけどそれはあくまでも私にとってのものであって、他の大多数の人には多分当てはまっていないのだろう。
例え適当にでも二十三年生きていれば流石に世間とのズレというものは嫌でも分かってきてしまうものだ。
こういう考えを徹底してしまう私の方が世間では少数派だというのは理解している。
『桐谷さんっていつも落ち着いてるよね』
思えばそれが幼い頃から耳にしていた私への、周りからのおおまか且つ、お決まりの評価だった。
ちなみに言うと今の私の名前は桐谷じゃない。
現在の苗字は周防。
――周防萌。約三年程前に結婚してから、私の名前はそう変更された。
最近では夫婦別姓とかいう問題などという問題が発生する場合もあるらしいけど、私は気にしなかったし、相手の方も気にしてなかったので、揉める事も無く、普通に現代の大多数の流れに則って私が相手の苗字に合わせるという形で落ち着いた。
狙ってなった訳ではないけれど、周防というこの苗字は響きが綺麗で、結構気に入っている。
こういう点で結婚して良かったと思うのは少しズレているのだろうか。
一般的にどう判断されるは分からないけれど、どう判断されても余り気にしないし、正直あまり興味もない。
だから私はただ淡々と流れて行く日常を、ただ淡々と繰り返す。
毎日同じことの繰り返しの日々。それが苦痛でもない。
感情の波もさほど立てないので、落ち着いているという周囲からの評価は、あながち間違ってはいないのだろう。
でもそれは決していい意味ではなく、平たく言うと『面白味のない人間』という表現をオブラートに包んだだけのものなのだ。
別に気にしないのにわざわざ親切な言い回しにしてくれてありがとう、そんなに私に対して気を使って大変ですねと思う。
こんな茹だる暑さの中で動き回らなければいけない人間も同じだ。
全部大変で、おかしい。
そうしている人間がではない。世の中のシステムそのものがきっとおかしいのだ。
私に言わせればそうなのだが、やはりこの考えは世間には理解されないものらしい。
私はテーブルに座って目の前のパソコンに向き合った。
いつもよりも多少辛辣な考えになってしまうのは、今日まさに、たった今さっきまで自分も外出をしていたからだ。
もちろん望んでではない。役所にちょっとした用事があった上での、必要にかられてだ。
でもそれも本当にやらなければいけなかったかと言えばそうじゃない。
多分私はその気になればずっと外に出ずに、この部屋の中で快適に暮らせる。
白い壁にかけてある時計に目をやると、時刻は三時を示していた。
帰宅したのは一時間半程前。家を出たのが確か十時くらいだったから、計算するとざっと三時間半ほど外に出ていた事になる。
最低限の事しかしてこなかったはずだけど、最近にしては長い時間をかけた外出だった。きっと脳も疲れているのだ。
パソコンの横に置いていたグラスに手を伸ばして、中に入っていたアイスティーを口に運ぶ。
氷でよく冷やされた飲料が、内臓を心地よく冷やしてくれる。
外出の帰りにも、休憩がてら立ち寄ってランチをしてきた店でこだわりと謡ってあるアールグレイを飲んで帰ってきた。
それなりの食材を使った料理をそれなりの料理人が作っているという事もあって満足したけれど、今この場でゆっくりくつろいで飲むお茶の美味しさは、また違う。
本当はいつも買ってるアイバリッシュのガレットがここにあればもっと良かった。
あの洋菓子店のお菓子は絶品なのだ。
外出時には毎回買っていて、今日も手に入れるつもりだった。だれど店が店内が思いの他混んでいたのだ。
どうやら私にとっては運の悪い事に、ケーキのセールをやっていたらしい。
心残りはあったものの一刻も早く家に戻ってゆっくり涼みたい気持ちが勝って、諦めてもう次の機会を待つ事にした。
おかげで少しだけ糖分不足気味だ。
それでも無事戻ってシャワーを浴びて着替えも完了しているので、大分気持ちは静まってる。
水色のブラウスとあさぎ色のロングスカート。この格好が一番しっくり来て好きだ。
手に持っていたグラスを置いて、パソコンの画面に再び目を向ける。
そこには、とある有名子持ちさんの育児に関する投稿が表示されていた。
毎日の子育てに対する記録や思いを発信している、いわゆるママ垢というやつだ。
特に追っても、応援してもいない。逆に、俗に言うアンチでもない。
ネットサーフィンをしていたら勝手に流れて来て、内容にちょっとした興味が湧いて覗いている――それだけの相手だ。
SNSなんて、たまたま飛び込んで来た話題に飛びついて、勝手に自分の思った事を発信するだけの、ただの暇つぶしの世界。
だからそんなものにまともに向き合って神経と労力をすり減らす方がおかしい。
『頭大丈夫そ?』『こいつヤバい』『親ガチャ外れ』
スクロールする度に次から次へと湧き出て来る、悪意に満ちたコメント。
ああ、荒れてるなあ、と私はその状況をただありのまま起こってしまっている事態として、第三者として把握する。
コメント内容をざっと見る限りどうやら世間一般では考えられないマナー違反とも言える事象をその自覚無く投稿した結果、炎上してしまっているようだ。
シンプルに何をしているんだろうという感想が浮かぶ。
この投稿主のポストは私から見ても大分斬新な主張の内容だった。
しかもそれを指摘してきた相手に対して、これ位普通だ、こっちの苦労も知らない人間が偉そうに言うな、と火に油を注ぐ発言をしてしまったせいで、もう収集のつかない事態へと発展している。浅はかすぎだ。
最初の投稿にしてもそうだけど、多分その後の対応も含めて、全てが間違っている。
あの投稿が世間一般からどう判断されるか客観的な視点を持てていない、SNSに向いていない人間の典型だ。
指摘された時点ですぐに謝罪でも入れていればここまで傷は深くならなかったはずなのに。
心まで伴わせる必要のない『ごめんなさい』というその一言を、何故そんなに拒絶するのだろう。
反応をして来てる相手の大半は、承認欲求を抱いたインフルエンサーと同類で、結局自分の意見と存在を認めて欲しいだけなのだ。
割り切って表面上のお付き合いをしてそこさえ満たしてやれば、それだけで満足してくれる。
第一、イイねをくれたりリツイートしてくれるその画面の向こうのお相手は、あくまでもそういう相手というだけであって、それ以上でもそれ以下でもなく、結果的に自分に代わって痛みを引き受けたりはしてくれない。
連日の猛暑により熱中症患者は急増しており、おまけに夏に増加する水難事故も例年通り多発しているとニュースでは言っている。
熱中症アラートも毎日当たり前のように発令中。
加えて異常気象によりゲリラ豪雨が襲って来る可能性まで高くなっていて、いくら外出時に日差しが照り付けていたとしても油断が出来ない。
空模様はすぐに変わり、あっという間に大粒の雨が上空から襲って来る。かと思ったら、すぐにまた日差しが照り付ける。
毎日がその繰り返し。
つまり要するに、とても人類にとって生息しにくい環境。
こんな日に無駄に外に出る人間なんて、理解の範疇を超えているし正気の沙汰じゃない。
人間の活力を容赦なく奪っていく八月の暑さと湿度とは、不必要に敵に回して戦うべきじゃないのだ。
そう、こういう日は無理に外に出ずに、こうして冷房の効いた適温に保たれた家の中に黙って居るに限る。
冷房の効いた、湿度も適切に排除された、雨風にさらされる心配もない部屋の中。
3LDKのホワイトカラーで基調されたセキュリティ万全のマンションに、値段の張る紺色のカーペットとソファーベッド。
部屋の隅には生き生きと葉を伸ばす観葉植物が置かれている。
ここは私の聖域であって、誰にも邪魔されたくないストレスフリーの空間だ。
こうしてゆったりした気持ちで穏やかに毎日を過ごす、それが健全なセオリー通りの過ごし方。
だけどそれはあくまでも私にとってのものであって、他の大多数の人には多分当てはまっていないのだろう。
例え適当にでも二十三年生きていれば流石に世間とのズレというものは嫌でも分かってきてしまうものだ。
こういう考えを徹底してしまう私の方が世間では少数派だというのは理解している。
『桐谷さんっていつも落ち着いてるよね』
思えばそれが幼い頃から耳にしていた私への、周りからのおおまか且つ、お決まりの評価だった。
ちなみに言うと今の私の名前は桐谷じゃない。
現在の苗字は周防。
――周防萌。約三年程前に結婚してから、私の名前はそう変更された。
最近では夫婦別姓とかいう問題などという問題が発生する場合もあるらしいけど、私は気にしなかったし、相手の方も気にしてなかったので、揉める事も無く、普通に現代の大多数の流れに則って私が相手の苗字に合わせるという形で落ち着いた。
狙ってなった訳ではないけれど、周防というこの苗字は響きが綺麗で、結構気に入っている。
こういう点で結婚して良かったと思うのは少しズレているのだろうか。
一般的にどう判断されるは分からないけれど、どう判断されても余り気にしないし、正直あまり興味もない。
だから私はただ淡々と流れて行く日常を、ただ淡々と繰り返す。
毎日同じことの繰り返しの日々。それが苦痛でもない。
感情の波もさほど立てないので、落ち着いているという周囲からの評価は、あながち間違ってはいないのだろう。
でもそれは決していい意味ではなく、平たく言うと『面白味のない人間』という表現をオブラートに包んだだけのものなのだ。
別に気にしないのにわざわざ親切な言い回しにしてくれてありがとう、そんなに私に対して気を使って大変ですねと思う。
こんな茹だる暑さの中で動き回らなければいけない人間も同じだ。
全部大変で、おかしい。
そうしている人間がではない。世の中のシステムそのものがきっとおかしいのだ。
私に言わせればそうなのだが、やはりこの考えは世間には理解されないものらしい。
私はテーブルに座って目の前のパソコンに向き合った。
いつもよりも多少辛辣な考えになってしまうのは、今日まさに、たった今さっきまで自分も外出をしていたからだ。
もちろん望んでではない。役所にちょっとした用事があった上での、必要にかられてだ。
でもそれも本当にやらなければいけなかったかと言えばそうじゃない。
多分私はその気になればずっと外に出ずに、この部屋の中で快適に暮らせる。
白い壁にかけてある時計に目をやると、時刻は三時を示していた。
帰宅したのは一時間半程前。家を出たのが確か十時くらいだったから、計算するとざっと三時間半ほど外に出ていた事になる。
最低限の事しかしてこなかったはずだけど、最近にしては長い時間をかけた外出だった。きっと脳も疲れているのだ。
パソコンの横に置いていたグラスに手を伸ばして、中に入っていたアイスティーを口に運ぶ。
氷でよく冷やされた飲料が、内臓を心地よく冷やしてくれる。
外出の帰りにも、休憩がてら立ち寄ってランチをしてきた店でこだわりと謡ってあるアールグレイを飲んで帰ってきた。
それなりの食材を使った料理をそれなりの料理人が作っているという事もあって満足したけれど、今この場でゆっくりくつろいで飲むお茶の美味しさは、また違う。
本当はいつも買ってるアイバリッシュのガレットがここにあればもっと良かった。
あの洋菓子店のお菓子は絶品なのだ。
外出時には毎回買っていて、今日も手に入れるつもりだった。だれど店が店内が思いの他混んでいたのだ。
どうやら私にとっては運の悪い事に、ケーキのセールをやっていたらしい。
心残りはあったものの一刻も早く家に戻ってゆっくり涼みたい気持ちが勝って、諦めてもう次の機会を待つ事にした。
おかげで少しだけ糖分不足気味だ。
それでも無事戻ってシャワーを浴びて着替えも完了しているので、大分気持ちは静まってる。
水色のブラウスとあさぎ色のロングスカート。この格好が一番しっくり来て好きだ。
手に持っていたグラスを置いて、パソコンの画面に再び目を向ける。
そこには、とある有名子持ちさんの育児に関する投稿が表示されていた。
毎日の子育てに対する記録や思いを発信している、いわゆるママ垢というやつだ。
特に追っても、応援してもいない。逆に、俗に言うアンチでもない。
ネットサーフィンをしていたら勝手に流れて来て、内容にちょっとした興味が湧いて覗いている――それだけの相手だ。
SNSなんて、たまたま飛び込んで来た話題に飛びついて、勝手に自分の思った事を発信するだけの、ただの暇つぶしの世界。
だからそんなものにまともに向き合って神経と労力をすり減らす方がおかしい。
『頭大丈夫そ?』『こいつヤバい』『親ガチャ外れ』
スクロールする度に次から次へと湧き出て来る、悪意に満ちたコメント。
ああ、荒れてるなあ、と私はその状況をただありのまま起こってしまっている事態として、第三者として把握する。
コメント内容をざっと見る限りどうやら世間一般では考えられないマナー違反とも言える事象をその自覚無く投稿した結果、炎上してしまっているようだ。
シンプルに何をしているんだろうという感想が浮かぶ。
この投稿主のポストは私から見ても大分斬新な主張の内容だった。
しかもそれを指摘してきた相手に対して、これ位普通だ、こっちの苦労も知らない人間が偉そうに言うな、と火に油を注ぐ発言をしてしまったせいで、もう収集のつかない事態へと発展している。浅はかすぎだ。
最初の投稿にしてもそうだけど、多分その後の対応も含めて、全てが間違っている。
あの投稿が世間一般からどう判断されるか客観的な視点を持てていない、SNSに向いていない人間の典型だ。
指摘された時点ですぐに謝罪でも入れていればここまで傷は深くならなかったはずなのに。
心まで伴わせる必要のない『ごめんなさい』というその一言を、何故そんなに拒絶するのだろう。
反応をして来てる相手の大半は、承認欲求を抱いたインフルエンサーと同類で、結局自分の意見と存在を認めて欲しいだけなのだ。
割り切って表面上のお付き合いをしてそこさえ満たしてやれば、それだけで満足してくれる。
第一、イイねをくれたりリツイートしてくれるその画面の向こうのお相手は、あくまでもそういう相手というだけであって、それ以上でもそれ以下でもなく、結果的に自分に代わって痛みを引き受けたりはしてくれない。

