そう低い声で尋ねられ、櫂が糸井を千咲の夫だと勘違いしていると気づいた。紬を抱っこしているのもあり、家族に見えたのだろう。千咲は慌てて首を振った。
『たまたまここで会っただけで、お名前しか知りません』
『⋯⋯そうなのか』
櫂の視線がちらりと紬に向けられたように見えたのは、気のせいだと思いたい。彼は糸井の乗ったストレッチャーをヘリの後部ハッチから乗せると、自身もすぐに乗り込んだ。
言葉を交わしたのは一瞬で、それも傷病者に関することのみ。けれど、彼は去り際に千咲に向かって言った。
『適切な救命措置のおかげでROSC(心拍再開)した。あとは任せてくれ』
救命士として現場を離れて二年。その頼もしさに胸がぐっと締め付けられたのと同時に、千咲の心の底で燻っていた救命士への未練が浮き彫りになってしまったような気がした。
「えっ! 待って、この辺りでドクターヘリの基地病院なんて、うちの病院しかないじゃない」
未依の驚きに満ちた声で、千咲は我に返った。



