千咲は後部座席の紬を振り返る。あの口が半開きになった可愛い寝顔を見れば、多少の苦労などなんでもないと思えてくるのだから不思議だ。
「千咲は、すごくいいお母さんだな」
「え?」
「今日一日、君たちを見てて思った。千咲といる時の紬の安心しきった顔とかもそうだけど、今みたいに千咲が紬を見つめる優しい眼差しとか、当然のように自分よりも紬を優先するところとか。そうやって君は愛情を注いで、ひとりでここまで育ててきたんだな」
まるでよく頑張ったと言わんばかりに微笑まれ、千咲は咄嗟に俯く。櫂の労るような言葉に、思わず泣いてしまいそうになった。
嬉しいのに、なぜか胸が苦しくなる。俯いたままなにも言わない千咲に、櫂は気まずそうに謝った。
「ごめん、知ったような言い方して。気を悪くしたか」
「違うんです。その、いい母親っていうものがわからなくて。櫂さんはそう言ってくれましたけど、余裕がない時は何度も紬にイライラしちゃうこともあって」
頼れる家族がいない千咲には、育児書やネットの情報だけが頼りだった。そこに載っている通りに育児をしなくてはと考え、情報との違いを見つけるたびに不安になる日々。
なかなか寝ない紬を産後のボロボロの身体で抱っこしてあやしている時、一日に何度もミルクを吐き戻されて洗濯に追われた時、癇癪を起こして道端で泣かれた時、紬にはなんの落ち度もないのに、彼女に対してイライラしてしまうことがあった。



