魔獣王の側近は、ヤンデレ王子の狂愛から逃れられない

 エメラの叫びは、怒りというよりは涙を浮かべての懇願に近い。

「エメラ様、そんな顔しないで下さいよ」

 クルスはなぜ、エメラがそんな顔ばかりを向けてくるのか分からない。
 笑顔が消え、憐れむような顔をして歩み寄ってくるクルスは一層の狂気を感じる。
 エメラは一歩、また一歩と後ろに下がる。
 やがて背中に木が当たって足を止めると、すかさずクルスが木に両手を突いてエメラの身動きを封じる。壁ドンならぬ木ドンだ。

「……離れて下さい……! ……?」

 エメラは迫り来るクルスの体を押し返そうとしたが、手足が全く動かせない事に気付いた。これは何かの魔法だろう。

「エメラ様、知ってますか? 封印の魔法には別の使い方があるんですよ」
「記憶の封印……ですわね」

 口は動かせたので、エメラは精一杯の反発の目でクルスを睨み返した。

「正解です。でも、もっとありますよ。動きを『封じる』事も出来るんです」
「なんですって……」

 それはエメラも知らない効果であった。少なくとも魔獣界の魔法書には書かれていない。
 だが現に今、クルスの強力な魔力がエメラの動きを封じている。

 それにしても、おかしい。クルスはエメラが知らないような魔法の使い方まで知っている。魔法に関しての知識量が多すぎるのだ。

「さて、エメラ様。アディ様の真似事も、ここまで来たら次は分かりますよね?」
「……『魅了(チャーム)』ですか……!」
「はい、正解です」

 クルスは今、エメラに対して口付けと共に魅了(チャーム)の魔法をかけようとしている。
 逃げる手段はないが、受け入れる気もない。だからこそエメラは言葉と瞳で意志を見せつける。

「無駄ですわ。わたくしには効きませんわよ」

 いくらクルスに唇を奪われようとも、愛と言う名の魔力を注がれようとも、心までは奪えないと確信している。
 魅了(チャーム)とは、両思いどうしが愛を深めるための魔法でもあるのだから。
 その瞳から強い意志を感じ取ったクルスは視線をそらして、また少し考える素振りを見せた。

「なるほど、それは手強い。ならば封印魔法も同時にかける、というのはどうでしょう?」
「なっ……!?」
「いっそ、全ての記憶を封印しましょう。どうですか、これで完璧でしょう」

 クルスはニッコリと微笑むと、片手でエメラの顎を掴む。二人の距離は縮まり、互いの唇が近付く。
 エメラは金の瞳を潤ませて、僅かに顔を横に振った。

「い、いや……それだけは、やめて……」

 唇を奪われる事は怖くないが、記憶を奪われる事は死よりも怖い。
 愛する人の記憶を失って生きる自分なんて、自分ではない。
 自分の中から、アディの存在が消えるのが怖い。