魔獣王の側近は、ヤンデレ王子の狂愛から逃れられない

 その時、アディがニヤニヤした妙な目線をエメラに送った。
 アディがこういう目をした時は何か悪巧みをしている時だと、エメラはすでに分かっている。

「あー、クルスくん。先に外に出て出発の準備をしておいて」
「はい、分かりました。失礼します」

 アディがさり気なくクルスを執務室から出した事で、いよいよ嫌な予感がしてくる。エメラは平然を装いつつも身構える。
 二人きりになったところで、アディが手招きをしてきた。

「ふふ、いい事を思いついたよ。ちょっと、こっち来て」
「……はい」

 エメラは静かに歩を進め、アディの座るデスクのすぐ前に立つ。
 するとアディが内緒話をするかのような仕草をしたので、エメラは腰を折ってアディの顔の近くに耳を寄せる。
 ……かと思えば、アディが唇で触れたのは耳ではなく唇だった。

「……っ!」

 突然のふいうちキスに、エメラは声を上げる事もできずに金の瞳を見開いた。
 しかも、これは単なるキスではない。熱い魔力が唇から伝わり、体内を巡っていくのが感じ取れる。

(これ……は……)

 それに気付いた時には唇は解放されていた。目の前では、悪魔のような微笑みを浮かべながらアディが舌なめずりをしている。

魅了(チャーム)の魔法をかけたよ」
「あ、アディ……様……?」

 全身を巡った身体の熱が、耐え難い衝動を生み出す。エメラは口元を両手で押さえて、震える身体から溢れ出そうとする欲望を必死にこらえる。

 ……自分の全てが、アディを求めている。
 すでに何度も夜に経験したので分かる。この魔法の効果の恐ろしさを。

 今から魔界へ向かおうとしているのに、なぜ、このタイミングで魅了(チャーム)の魔法をかけるのだろうか。

「そのままで行っておいで。帰ってくるまで我慢できたらご褒美をあげるよ」
「アディ様、そ、そんな……わ、わたくし……」

 魅了(チャーム)の効果が切れるのは『満たされる』もしくは『時間の経過』どちらかしかない。アディに満たしてはもらえない今、魔法の効果が自然に消えるまで耐えるしかない。
 しかし、アディの注いだ魔力の強さからして数時間は持続するだろう。

 ……これは、アディの狂愛が生み出した娯楽、魅了(チャーム)の魔法の『我慢と放置プレイ』だ。

「いいねぇ、僕を求めるその目。でもダメだよ、おあずけ。帰ってきたら可愛がってあげるからさ」

 心底楽しそうに笑うアディは、さすがに悪魔の血を持つ魔獣。

 魅了(チャーム)の魔法は魔獣の繁殖に使用されるだけあり、気が狂いそうなほどの衝動的な愛の高まりを生み出す。
 さすがのエメラも今すぐ全ての仕事を投げ捨てて、本能のままにアディに抱かれたいと思ってしまう。

 それでも姿勢を正し、いつものようにエメラは両手を前に揃えて礼儀正しく一礼をする。

「行って、まいり……ます」
「うん、行ってらっしゃい。くれぐれもバレないようにね」

 魅了(チャーム)の魔法をかけられている事を誰にも気付かれないようにする、という『秘密プレイ』まで加味された。