あの日もそうだった。2度めに捨てられた日、グレーテと三日三晩森をさまよい歩き、三日めの夜にやっとの思いで家の灯りを見つけたんだ。
こわごわ俺がドアをノックすると老婆が出てきた。
『迷子かい?まあ、2人とも震えているね。さあ、お入り』
右目が白濁した老婆に気味の悪さを感じながらも俺たちは疲れと寒さに、招かれるまま家に入った。
春の夜はとても寒かった。暖炉の傍に招かれた俺たちは体を暖めながら、ふとテーブルに目が行った。
何かのお祝いだろうか。花と果物で華やかに飾られたテーブルには、真っ赤な大輪の花のような、それはそれは美しいラズベリータルトが置かれていた。
それを見た時、先に立ち上がったのはグレーテだった。
妹は服が汚れるのも構わず、両手でタルトをつかむと貪り食った。
『ああ!やめておくれ!それは私の子供たちのお祝いに作ったんだよ!お前たちにも後で切り分けるから、今はこのスープで我慢しておくれ』
『うるせえ!ババア!お前に子供なんか、いねぇだろうがぁ……!!』
その時、信じられないことが起きた。
グレーテは今まで聞いたことがない、獣のような吠え声を上げ、両手で老婆を思い切り突き飛ばしたのだった。
老婆は両手に持った2人分のスープ皿を床に取り落とす。そして暖炉の角に鈍い音を立てて頭を打ちつけると、それっきり動かなくなった。
俺は慌ててグレーテを見た。怖がって泣き出すかと思ったからだ。
だが妹は老婆を一顧だにせず、なおもタルトを貪り喰い続けた。
俺もボヤボヤしてられない!グレーテに全部食べられてしまう……!
あの、真っ赤なラズベリータルト。
あの美しく艶やかな赤。あの赤に引き出された凶暴なまでの食欲。
親にだまされ、捨てられた俺たちは大人にだけはだまされまいと思いながら、暴力を振るうようにご馳走を喰い尽くしたのだった。
「あの魔女、生きてたのよ……」
ハンスが忌まわしい過去を思い起こしていると、グレーテがポツリと呟いた。
「バカを言え!あの後、家に火を付けただろう!目の悪い老婆が1人で逃げられたわけがない!」
「でもこのことを知ってるのは――――」
グレーテが次の言葉を言おうとしたその時だった。
出し抜けに彼女たちの背後のドアが、音もなく閉まった。
次にガチャリと外から閂が掛けられたような音がした。
2人は驚いてドアに駆け寄ったが、ドアはびくともしない。
するとすぐに、ドアのすき間からパンを焼くような香ばしい香りがしてきた。だが、その香りは瞬く間に何かが焦げたような苦い煙の味になる。
「誰だ!誰が火を付けたんだ!」
「あ、あれ!兄さん!」
グレーテが青ざめた顔で窓を指さす。
ハンスが窓を見ると、そこには黒いフードをかぶった老婆が家の中をのぞいていた。
「いやぁー!!」
グレーテが自分の口に両手を当て、くぐもった悲鳴を上げる。
「何だお前……!?」
ハンスが窓に駆け寄ると人影はスッと消えた。
彼はそのまま窓を破ろうと、こん身の力で両手のこぶしを窓ガラスに打ちつける。
だがガラスにはヒビ一つ入らない。
そんな……砂糖細工の、ただの飾りじゃなかったのか!?
今度は手近なイスを持ち上げ、思い切り窓に叩きつけた。
木のイスはバラバラに壊れたが、やはり窓はびくともしない。窓自体もはめ殺しになっていて、窓枠から外すことも出来ない。
「コイツよ……コイツのせいよ」
「え……?」
ハンスが驚いて振り向くと、グレーテが血走った瞳で彼を指さしていた。
「生き返ったら困るって火を付けたのも、家中の宝物を奪ったのも、おばあちゃんを魔女に仕立てようって言い出したのもコイツ!!あたしは脅されて仕方なく……」
「グレーテ!?」
「だから、あたしは助けて!!お願い!!」
グレーテはあの日と同じ底光りのする青い瞳をたった一つの窓に向け、ひたすら懇願し続けた。
あの日、腹一杯になり正気に戻った俺たちが真っ先にやったことは、家中を引っかき回すことだった。
戸棚には革袋に入った砂金と大粒の真珠、金貨と銀貨が仕舞われていた。
それらをベッドから引きはがしたシーツに包んで、丸一日掛かって我が家にたどり着いたのだった。
『これだけたくさんの宝物があれば、お母さんも家に入れてくれるよね!』
あの時の頬を上気させ、心底うれしそうに笑っていた幼いグレーテの顔は今も目に焼きついていた。
「もうやめろ、グレーテ」
ハンスは床にひざまずき、ブツブツと何事か呟き続ける妹を、後ろからきつく抱きしめた。
打ち続く飢饉から、我が子を捨てた両親。大人に裏切られた怒りを無力な老人にぶつけた俺たち兄妹。
今、俺たちは裁かれているのだろう。
真実の魔女に……。
俺たち兄妹に手を差し伸べてくれた唯一の大人を、殺した罪で――――。
「いやぁ!!死にたくない!私は幸せになりたいの!もっともっと!子供の頃の不幸を取り戻すくらいにぃ……!!」
半狂乱になるグレーテをハンスはしっかりと抱きしめた。
ドアのすき間からは煙と赤黒い炎が入り込む。外から付けられた火は、瞬く間に梁にまで回り、お菓子の家はゆっくりと溶けながら無残に焼け落ちて行った。
こわごわ俺がドアをノックすると老婆が出てきた。
『迷子かい?まあ、2人とも震えているね。さあ、お入り』
右目が白濁した老婆に気味の悪さを感じながらも俺たちは疲れと寒さに、招かれるまま家に入った。
春の夜はとても寒かった。暖炉の傍に招かれた俺たちは体を暖めながら、ふとテーブルに目が行った。
何かのお祝いだろうか。花と果物で華やかに飾られたテーブルには、真っ赤な大輪の花のような、それはそれは美しいラズベリータルトが置かれていた。
それを見た時、先に立ち上がったのはグレーテだった。
妹は服が汚れるのも構わず、両手でタルトをつかむと貪り食った。
『ああ!やめておくれ!それは私の子供たちのお祝いに作ったんだよ!お前たちにも後で切り分けるから、今はこのスープで我慢しておくれ』
『うるせえ!ババア!お前に子供なんか、いねぇだろうがぁ……!!』
その時、信じられないことが起きた。
グレーテは今まで聞いたことがない、獣のような吠え声を上げ、両手で老婆を思い切り突き飛ばしたのだった。
老婆は両手に持った2人分のスープ皿を床に取り落とす。そして暖炉の角に鈍い音を立てて頭を打ちつけると、それっきり動かなくなった。
俺は慌ててグレーテを見た。怖がって泣き出すかと思ったからだ。
だが妹は老婆を一顧だにせず、なおもタルトを貪り喰い続けた。
俺もボヤボヤしてられない!グレーテに全部食べられてしまう……!
あの、真っ赤なラズベリータルト。
あの美しく艶やかな赤。あの赤に引き出された凶暴なまでの食欲。
親にだまされ、捨てられた俺たちは大人にだけはだまされまいと思いながら、暴力を振るうようにご馳走を喰い尽くしたのだった。
「あの魔女、生きてたのよ……」
ハンスが忌まわしい過去を思い起こしていると、グレーテがポツリと呟いた。
「バカを言え!あの後、家に火を付けただろう!目の悪い老婆が1人で逃げられたわけがない!」
「でもこのことを知ってるのは――――」
グレーテが次の言葉を言おうとしたその時だった。
出し抜けに彼女たちの背後のドアが、音もなく閉まった。
次にガチャリと外から閂が掛けられたような音がした。
2人は驚いてドアに駆け寄ったが、ドアはびくともしない。
するとすぐに、ドアのすき間からパンを焼くような香ばしい香りがしてきた。だが、その香りは瞬く間に何かが焦げたような苦い煙の味になる。
「誰だ!誰が火を付けたんだ!」
「あ、あれ!兄さん!」
グレーテが青ざめた顔で窓を指さす。
ハンスが窓を見ると、そこには黒いフードをかぶった老婆が家の中をのぞいていた。
「いやぁー!!」
グレーテが自分の口に両手を当て、くぐもった悲鳴を上げる。
「何だお前……!?」
ハンスが窓に駆け寄ると人影はスッと消えた。
彼はそのまま窓を破ろうと、こん身の力で両手のこぶしを窓ガラスに打ちつける。
だがガラスにはヒビ一つ入らない。
そんな……砂糖細工の、ただの飾りじゃなかったのか!?
今度は手近なイスを持ち上げ、思い切り窓に叩きつけた。
木のイスはバラバラに壊れたが、やはり窓はびくともしない。窓自体もはめ殺しになっていて、窓枠から外すことも出来ない。
「コイツよ……コイツのせいよ」
「え……?」
ハンスが驚いて振り向くと、グレーテが血走った瞳で彼を指さしていた。
「生き返ったら困るって火を付けたのも、家中の宝物を奪ったのも、おばあちゃんを魔女に仕立てようって言い出したのもコイツ!!あたしは脅されて仕方なく……」
「グレーテ!?」
「だから、あたしは助けて!!お願い!!」
グレーテはあの日と同じ底光りのする青い瞳をたった一つの窓に向け、ひたすら懇願し続けた。
あの日、腹一杯になり正気に戻った俺たちが真っ先にやったことは、家中を引っかき回すことだった。
戸棚には革袋に入った砂金と大粒の真珠、金貨と銀貨が仕舞われていた。
それらをベッドから引きはがしたシーツに包んで、丸一日掛かって我が家にたどり着いたのだった。
『これだけたくさんの宝物があれば、お母さんも家に入れてくれるよね!』
あの時の頬を上気させ、心底うれしそうに笑っていた幼いグレーテの顔は今も目に焼きついていた。
「もうやめろ、グレーテ」
ハンスは床にひざまずき、ブツブツと何事か呟き続ける妹を、後ろからきつく抱きしめた。
打ち続く飢饉から、我が子を捨てた両親。大人に裏切られた怒りを無力な老人にぶつけた俺たち兄妹。
今、俺たちは裁かれているのだろう。
真実の魔女に……。
俺たち兄妹に手を差し伸べてくれた唯一の大人を、殺した罪で――――。
「いやぁ!!死にたくない!私は幸せになりたいの!もっともっと!子供の頃の不幸を取り戻すくらいにぃ……!!」
半狂乱になるグレーテをハンスはしっかりと抱きしめた。
ドアのすき間からは煙と赤黒い炎が入り込む。外から付けられた火は、瞬く間に梁にまで回り、お菓子の家はゆっくりと溶けながら無残に焼け落ちて行った。



