ご自分の発言、行動には責任をお持ちになってくださいませね、『元』王太子殿下

 「まぁ、婚約破棄」

 のほほんと、場にそぐわない声が響いた。
 声の主はアリサ・リットマイヤー侯爵令嬢。母は隣国の元王族にして第八王女であった。名はレーミア。父はこの国の重鎮にして現侯爵でもあるザルリス・リットマイヤー。
 そんな高貴な二人の宝物でもあり、淑女の鑑と名高く、幼いころに王太子の婚約者となった彼女、アリサは今まさに謂れのない断罪を受けていた。

 「お高く留まっていられるのもこれまでだ!よいか、私は貴様との婚約をここで破棄、そしてここにいる伯爵令嬢・フェリアと婚約することをここに宣言する!祝え!皆の者!!」

 声高らかに宣言されるも、王太子であるシグルスに向けられているのは冷ややかな目線ばかり。
 予想の展開と異なっていることに気付き、己の従者に視線を向けても同じように冷たい視線しか返ってこず、どういうことかと腕にしがみついているフェリアと視線を合わせた。

 「まぁまぁ、婚約破棄。よろしくてよ、では書類の作成を執り行いましょう」
 「え?」

 「『書記魔法・文書作成(ワードマジック)』」

 「な、っ」

 にこやかに告げ、両腕を掲げて魔力を展開させる。それは広がり、真円を描き、その中に複雑な式を書き込んでいく。

 アリサは王立学園でもトップクラスの魔力の持ち主にして、ユニークな創造魔法を作成することが得意であるために、特待生のクラスに籍を置き、通学していた。
 それを除いたとしても成績は常にトップから落ちたことはなく優秀、運動も勿論ながらクラスメイトや後輩、教員との関係性も良好、王妃教育も仕上げの段階に入っており、卒業と同時に『王太子』と結婚するのだろうと周りから熱望もされていた。
 元々生まれ持った才能も関係はしてくるのだろうが、本人の並々ならぬ努力のおかげで現在があるということを何故か頑なにシグルスは認めなかったどころか、両親の身分のおかげでしかないとアリサを無視するわ虐げるわのやりたい放題。学園に入ってからそれは殊更、強くなってしまった。

 「ではここに、わたくしと王太子殿下との婚約破棄の事実を記します。それと破棄した婚約の復活は何があろうと認めないこと、そして」

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 凛とした声音で告げられた内容にシグルスは愕然とした。
 リットマイヤーという超名門貴族の後ろ盾あってこその『シグルス王太子殿下』であったものが、今まさに音を立てて崩れ去ってしまった。手を伸ばそうとしたところで先に離したのは王太子の方。
 アリサの魔法により、宣言された言葉が、魔力をたたえた文字となり、傍に控えていた侍女から手渡された羊皮紙にその文字が吸い込まれていく。
 そしてそれは一度だけ青く発光し、羊皮紙に定着した。その羊皮紙には薄らと『手書き模写不可(魔力での移しのみ)』と記されている。手書きで書き写せば都合のいいことを書かれかねないため、迷うことなくアリサはこの仕掛けを刻んだ。だが、こんな書類を手書きであろうと模写する阿呆はいないとは分かっているものの、念には念を押したかったらしい。
 更に空間魔法を展開し、ごそごそとその中を探って家紋の印を取り出すと、これまた控えていた侍女に赤インクを用意してもらって、羊皮紙にぽん、と押した。

 「これでよし、完成しましたわ。後はそちらの印をいただくだけ。それと、こちらは知っていて当たり前かと存じますが…」

 にっこり、とほほ笑んでアリサはこの婚約破棄劇場の主役の()()()の二人へとゆるりと視線を移し直した。

 「破棄した婚約の相手を側妃として迎え入れることは、わが国では禁止されておりますので、悪しからず。頑張ってくださいまし、フェリア伯爵令嬢。貴女様はこれから血反吐を吐くような王妃教育が待ち受けていることでしょうね。わたくしが幼い頃より受けた苛烈極まりないものを、次は貴女が受けてくださいませ」

 アリサが告げたのは、都合の良いことを言い出す阿呆がいたからこそ、かっちりと定められてしまった法律。
 婚約を破棄した相手を側妃もしくは妾として図々しくも残し、自分と浮気相手は堂々と日の当たる場所に、そうでないものを日陰の身分として扱いすぎたため、数代前の王が定めたものだ。
 無論、王太子教育を受けるにあたり、シグルスは知っていなければならない内容であり、また、貴族であれば誰しも知っておかなければならない必修事項。
 どうやら脳内お花畑の二人はきれいさっぱり忘れていたようで、現在進行形で真っ青になっているがアリサの追撃は終わらない。

 「それと、()()()()()()で、つまらない劇を演じられた貴方方の神経をまずは疑いましてよ。よりにもよって我が母の祖国、トゥーア皇国の王の来訪記念祝賀パーティーで、だなんて」
 「ええそうね、わたくしの可愛いアリサ。この場でなら、断られる訳もなく我が娘を笑いものにしてやれたと…そう捉えましたわ、わたくし」

 ぱちん、と音を立てて扇を閉じ、冷ややかな声音で告げたのはアリサの母、レーミア。
 第八王女という身分ではあったが、王と皇妃が高齢の時に産まれたため、大変に可愛がられながら育った。そして兄や姉も成熟していた年齢のため、これまた兄や姉にも母が違うという状況であるとはいえ、蝶よ花よと愛され、慈しまれながら大切に育てられた皇国直系、純粋な血統の皇家の血の持ち主。
 兄や姉の中には側妃の子も多数存在している。
 だが、トゥーアの王は皇子や姫の身分に関係なく等しく扱い、愛し慈しみ、全ての子らに様々なチャンスを与えてきた。
 そんな王や皇妃、側妃たち、さらには兄や姉、乳母達に大層大切に育てられたまさに『深窓の姫』こそ、レーミアなのだ。
 もちろん、レーミアの一人娘であるアリサも、例に漏れず大層可愛がられているのは言うまでもない。

 「この国の王太子への教育はどのようにされておられるのか…ねぇ、王妃殿下。くっだらない断罪劇を貴女、楽しんでいらっしゃるようでしたし……あぁ、もしや第一王子が貴女の子ではないから関係ないとか仰るの?貴女、この婚約をどういうものだと思っておいでなのかしら」

 レーミアの氷のような声に、王妃は顔色を悪くしていく。

 第八皇女であるからこそ侮られてはならぬと言い聞かされ、大切に慈しまれながらも徹底的にありとあらゆる知識を叩き込まれ、行儀作法も完璧に教えこまれたレーミアが、己の大切な一人娘がこのように陥れられて我慢出来るはずもなく。
 更に運悪く、パーティーに来訪していたのはトゥーア皇国の現皇王にして、レーミアとアリサを心底可愛がっている二番目の兄、ガイアであった。
 ガイアはレーミアの夫であるザルリスとも良好な関係を築いていた。今この状況が、貿易や国交において多大なる利益をもたらす存在であるザルリスの一人娘、という大切な宝物を傷付けているという事実を、この国の国王と王妃は、今、とんでもない勢いで理解してしまった。

 「………我が愛しき姪が、このように断罪されてしまうとは…はっはっは、かつてのレーミアに行われた断罪劇を見ているようで大変に腹立たしい」

 ゆっくり立ち上がったガイアは少しの間を置いて国王と王妃を睨み付け、こちらを縋るように見てくるシグルスとフェリアをちらりと見てから冷たい声で言葉を続ける。

 「我が妹も、こういう場で断罪をされた。確かあれは…卒業パーティーだったか。それを救ったのは我が国に留学生として来ていた、そこのザルリスだ。その心意気や良し、と。この男になら妹を託せると思い、私は妹を彼へと嫁がせた。王命として二人を婚約させたのだが、当時は不本意であったかもしれぬ。だがザルリスはレーミアをそれはそれは大切に愛し、更にはアリサをも授けてくれた。だが……」

 再度国王夫妻に視線を向けたガイアの眼差しから、一切の慈悲が消えた。

 「お前達の息子は、愚かにも伯爵令嬢に熱を上げ、無いこと無いことでっち上げたようだ。えぇと…何だったかな。『伯爵令嬢の私物を壊した』『婚約者に近付かないように強い口調で命令した』『階段から突き落とした』?阿呆か」
 「えぇ、本当に。何かあってはならぬとアリサには常に護衛魔法を展開させておりますし、イヤリングとペンダント、更には指輪で何があったのか録音と録画を出来るように魔道具を持たせております」

 しれっと告げたレーミアと、うんうんと頷くアリサ、そして『よっしゃよくやった我が妹(妻)』と言わんばかりのガイアとザルリス。
 逃れようのない物的証拠を提示しようと王宮騎士を手招きして呼ぼうとしたアリサを、フェリアが止めた。

 「ま、まって!!魔道具の映像なんて捏造出来るわ!アリサさんはとてつもない魔力の持ち主なのよ?!」
 「そうだ!信用ならん!」

 無礼だと理解はしているが、フェリアとシグルスが指をさして唾を飛ばしながら叫ぶ。一国の王太子と、これまた由緒ある伯爵家令嬢がするような仕草ではないと、会場の中からはため息が零れ、更に呆れの眼差しも加わるが知らぬは本人ばかりなり。

 そんな彼らの発言ににんまりと微笑んだ男が、ひとり。

 「捏造……ほう?それはつまり、我がリットマイヤー家が開発、販売している魔道具もろとも我らが信用出来ないということですね王太子殿下?いやぁ何より、ガイア義兄上、やはりあの話を進めさせてください」

 即座に言い放たれた内容に国王と王妃は顔面蒼白でザルリスに視線をやるが、一言「王太子殿下がそう仰いましたし、ねぇ?」と笑顔で言われてしまえばぐうの音も出ない。

 「な、なな、なんの、話、を」
 「そこの王太子殿下にあらせられましては、我が家への訪問は前触れもなくいらっしゃる、出迎えが己の好みのタイミングで無ければ我が家の使用人を怒鳴り散らす、出された紅茶がまずい、菓子がまずい、あれやこれや文句しか付けない。更には我が娘に贈り物ひとつした事がない、手紙もない、あとは!…………」
 「もういい!!もうやめて!!」

 王妃の悲鳴が響き渡り、会場にいる全員が好奇の眼差しを王太子へと向けた。
 貴族はスキャンダルを好む。
 王妃の声にそれが真実だと思う人の方が多いだろう。実際に王太子は王族であるがゆえに、己の全てを過信してしまいアリサを見下しきっていたために、ザルリスが言った内容全てを毎回フルコースでやらかしていた。

 「あっはっは、現実を見てください。王妃殿下、悲鳴を上げて逃げようとしても無駄ですよ。だから、義兄上に色々と相談させていただいていたところなんです」

 ザルリスの手にあるのは小型の録画&録音可能な魔道具。ちなみに開発者はアリサだ。

 空中に投影された王太子のふてぶてしすぎる態度と横暴な様子、更にはアリサへと振るわれる軽い暴力ととんでもない暴言の数々が隠されることなく流れ出す。やめろ、だとか届くはずのない空に向かい手を伸ばし、映像を途切れさせようともしているようだが、それになんの意味があるというのか。
 王妃が鋭い目でそんな事をしている王太子を睨みつければ、ぎくりと体を強ばらせていた。『いや、あのこれは』と言い訳をしようとした所に、つかつかと歩み寄って手にしていた扇でシグルスの頬を思い切り叩いた。

 「い、っ…!」
 「王家の恥さらし!!だから嫌だったのよ、側妃の子を第一王子だからといって王太子にするなど!!リットマイヤー侯爵家の後ろ盾が無ければ単なる粗暴者でしかないくせに!!」

 泣きながら言われた内容にシグルスは愕然としたが、王宮内では密やかに囁かれ、ほぼ全員が知っていた内容だ。
 今更それを否定したところでどうにもならない。
 フェリアには気の毒だが、コレに誑かされて今こうして婚約破棄劇場を繰り広げてしまっているのだがら、逃がす訳にもいかない。否、逃げられるわけが無い。

 「あ、あぁ」

 がくがくと震えてもどうすることもできない。
 フェリアは涙目でアリサに向き直り、縋るように手を伸ばしてみた。

 「あ、あり、さ、様…、助けて…」
 「あら、学園でわたくしから虐められたとあれだけ王太子殿下が豪語していらっしゃったのに、そんな相手に助けをお求めになるの?」
 「冤罪です!そう、貴方に嫉妬したがゆえの冤罪だったんです!だから、…!」
 「まぁ、随分とご都合のよろしい頭をお持ちのことでいらっしゃるわね。ねぇ、フェリア様?別に王太子殿下が妾を持とうが外で子種を蒔き散らそうが、どうでもよかったんです」

 にこやかに告げられる内容に思わず『へ?』と小さく声が出てしまった。

 考えが、読めない。

 大国であるトゥーア皇国の元王女を母に持ち、王妃や教育係からも優秀だと褒め称えられている完璧令嬢。相手にするのが悪すぎたのかもしれないが、王太子が己に惚れており、恋人になってくれているのならば勝てるのではないだろうかと浅はかにも思ってしまった。
 王太子の出自を考えれば、侯爵家あってこその『王太子』であるというのに。
 だが、どうでもいいとはどういうことなのだろうか。

 「……?」

 口端をつり上げて微笑むアリサの真意が全く分からず、読めず、どうしたものかと口をぱくぱくさせていたが、不意にアリサが言葉を続けた。

 「だって、わたくし達の婚約は家の名のもとに交わしたものですよ?貴女と王太子殿下が逢い引きしていらっしゃったことくらい、わざわざ調べずとも学園内であれだけ堂々となさっていれば嫌でも視界に入ります。でも、見せつける必要なんて無かったんですよ?わたくし、王太子殿下に爪の先ほども興味がないので」

 あまりにあっけらかんと告げられた内容に、その場にいた、トゥーア皇国の関係者やリットマイヤー侯爵家以外の人達が硬直した。

 「興味が、ない」
 「ええ」

 改めて言われても笑顔で頷いて肯定してみせ、そして綺麗なカーテシーを披露してからトゥーアの皇帝に頭を下げた。

 「おじさま、父と母の進めていたお話を、そのままどうぞお進めくださいまし。わたくしはこの国ではもうまともな婚姻はできませんでしょう。ならば、父と母の提案を受ければ…きっとまだ望みはあるかと思いまして」
 「良かろう。では、そのように」

 うむうむ、と機嫌よく頷いてトゥーアの皇帝は懐から通信型魔道具を取り出して通話ボタンをかち、と押した。

 「さて、我が声を聞いている皇国の民よ、喜べ!我が国の姫が帰国する!」

 それに該当する、皇帝曰くの姫など一人しかいない。悠然と微笑むレーミアだ。
 そして、アリサはくるりと向きを変えて国王、王妃、王太子に対しても頭を下げた。

 「好かれていると思い込んだが故のこの様な断罪劇、お疲れ様でございました。王太子殿下とフェリア様におかれましてはわたくしは悪者に見えていたことでしょう。ですが、そのような事をせずとも熨斗つけてくれてやりました。そうですね…貴女方からすれば、人の恋路を邪魔する悪役?でしょうか。思い込みとは何ともまぁ……」

 くく、と笑って満面の笑みを、アリサは初めて王太子へと向けたのだ。

 「貴方の言葉で、この国の貿易は廃れ、魔道具事業も全て撤退します。そして、トゥーア皇国との交易も全て失われてしまいますわねぇ、……ふふ、ご愁傷さまでございました」

 かつん、かつん、とヒールを鳴らし、アリサは迷うことなくトゥーア皇国の関係者席に向かい、そして腰を下ろした。

 「貴方の思い込みでこうなったのですから、存分に責任を果たされませ、………王太子…………いえ、元・王太子殿下」