「歌おう~♪ 歌おう~♪」
オープニングの収録だ。憧れのうたのおねえさんに合格して、憧れていたおにいさんとうたっている。幸せな瞬間のはずだが――。

「のどか、ちゃんと音合わせろ、きいているのか?」

 この度ようやく夢のお仕事、念願のうたのおねえさんになれたのどか。
 しかしながら、憧れだったうたのおにいさんが相当な毒舌男で、夢破れながらもなんとか生きている。

 みんなの憧れうたのおにいさん、というのは品行方正で、いつも模範的で笑顔で正義の味方というイメージが先行している。
 このお兄さんは、テレビの中ではとても素敵だ。バーテンの時やうたのおにいさんの時はとてもいい人で紳士的。
 でも、のどかにはとても毒舌でいじわるだった。
 客や視聴者は知らない事実。

 今日も成樹ことナルおにいさんとのお仕事がはじまり、憧れ百パーセントから幻滅百パーセントになるという悲しい現実。

 のどかは、何を隠そうキッズソングという伝統ある幼児番組の大ファン(オタク)だ。
 マニアぶりはいまだに健在で、毎日欠かさず録画しているのはもちろんのこと、グッズは必ず購入しているし、ポスターやカレンダーも小さい時から今まで欠かさず購入していた。

 そんなマニアックなのどかはストーカーのごとく、うたのおねえさんのオーディションがないかと履歴書を送り、ファンレターという名の感想文を送っていた。

 とにかくうたのおねえさんになるべく最大限の努力をした。その結果、オーディションをするという知らせを受け取ることができ、無事合格した。きっと熱い想いが伝わったからだと自負していた。おにいさんも私の番組愛をわかってくれていると思っていた。目的達成のためにはストーカーのごとく、しつこくアピールするしかなかった。

 歴代のおにいさん、おねえさんの中で、現在のナルおにいさんが一番素敵という評判はネット上でも有名な話。
 ナルおにいさんは、子育て中のおかあさんから一般の女性までファンがいるという幅広い支持を得ている。
 最速でファンがついている。
 おねえさんのほうは、そこそこの人気とでも言っておこうか。
 容姿も普通という評価がネットではちらほら見える。

 ナルおにいさんのすごい人気ぶりの理由としては複数挙げられる。
 アイドル顔負けの顔立ち、歌唱力、トークセンス、ファッションセンスも女子の心をわしづかみするという幸福な王子様。
 そんな王子様に近づける(仕事が一緒にできる)という幸せの切符を手に入れたにも関わらず、のどかは奈落の底に突き落とされた。

 社会人になるということは厳しい現実が待っているということはわかっている。マニアックと思われていたのは仕方ない。
 マニアック=情熱だと私は思っている。ちょっと変な人くらいがちょうどいいと思っている。

 初対面で合格直後にバーで出会った第一声がこれ。
「芸能人とかタレント目指している人?」
「私は、番組が好きでおねえさんになっただけで、タレント志望ではありません。歌と子供と番組が好きなのです」
「あんた変わっているな。子供って番組進行邪魔するし、結構面倒だぞ」
 淡々と冷めた目で語るおにいさん。
 この人と仕事をするのか。
 普段は目つきが鋭く、クールというか冷徹だ。
 あの後、カクテルを飲んだら、いつの間にか雇用契約してしまっていて、後戻りはできなかった。
 しかも、月給はかなり良く、年収はうたのおねえさんと合わせたらかなりの高収入。
 これは、やるしかないと思う。

 人間離れした透き通った肌、美声、きれいな顔が近くにあり、これが仕事の相棒となるとは嬉しい半分性格に問題ありそうだとの予感はしいていた。顔だけならば好きになれたが、神酒成樹の口の悪さと態度のデカさに恋心は喪失した。

 スタジオ観覧は乳幼児の親子連れのみ、という高いハードルだった。
 ファンだとしても大人一人で行くわけにはいかなかった。
 参加することすらかなわなかったスタジオ観覧。
 仕事としておねえさんとしてここにいる。
 とうとう夢の切符を手に入れたのだ。

 神の領域に足を踏み入れるということは、この美男子と仕事をすること。
 たとえどんなに冷たい人だとしても。
 休憩時間は毒舌かつ冷たい男だけど、仕事が始まるとものすごく笑顔がまぶしい。
 容姿端麗であることのうらやましさ。
 私にはそのような美しさはない。
 ただ、歌を歌いたいという情熱だけのおねえさん。
 社会人一年目、何かと大変だけど夢見ていた職業に就けたのだから、これからかんばらないと。

 ナルおにいさんはカメラがまわると別人のようでプロだと感じる。笑顔でスターオーラが半端ない。
 これで何人の女性が恋に落ちたのだろう。究極の詐欺師だと思った。
 間近でみるおにいさんは、やっぱりかっこいい。歌、踊りが完璧で妥協がない。
 この人、文句を言うけど、仕事に対してはプロだ。自分にも他人にも厳しい。
 歌を合わせるときは、鬼の形相で指導される。まさに鬼監督。

 曲、歌詞を覚えたり、振り付けを覚えたり、バーでも仕事をしているため、プライベートな時間がとれない。
 ナルおにいさんは遊んでいる暇があるのだろうか?
 この容姿なら彼女なんて星の数ほどいたのかもしれないけど、この性格だと彼女なんていらないとかそういう感じなんじゃないかなと思う。

 休日は家でひきこもるのどか。疲れて休んで覚えて仕事に行く毎日。全くゆっくりできない。
 番組のファンとして素晴らしい番組作りのために手を抜かない。
 せっかくの休みは撮りだめしていた「キッズソング」でも観よう。
 やっぱり、のどかの趣味はキッズソングしかないようだ。
 週に三回程度しかバーはやっていない。
 というのもテレビの仕事があり、実際は毎日は営業はできない。
 なのに、この月給はありえない。
 だからやめられない。

 その日の夜はバーの仕事があり、出勤だ。
 一応茶髪のカールのかかったウィッグをつける。
 店には早く来ていた神酒がいる。
 準備をしていると、神酒は楽譜を見てメロディーと歌詞を覚えていた。
 やっぱり仕事には全力で真面目に取り組む姿勢が半端ない。

 眼鏡とウィッグでイメチェンしたナルおにいさんもかっこいいと見惚れてしまうが、外見だけの話だ。
 お店が開くとサラリーマンの男性が入ってきた。
 このバーは半ば相談所的な感じもあり、顧客の目的は相談しに来るほうが多いのかもしれない。
 客は椅子に座り、神酒の前に座る。
 今はナルおにいさんではなくバーテンの神酒さんだ。

「仕事ができて出世できる人になりたいんですよね」
 新入社員の男がバーテンの神酒に相談する。

「どうしてですか?」
「女性にもてるし、将来有望ならばお金に困ることもないでしょ」
「たしかにそうですね。では、出世できるカクテルをお作りしましょうか?」
「まさか、そんなカクテルあるわけないですよね」
「ここは、ちょっと特別なお店なので本当に作ることは可能です」

「出世カクテルおねがいします」

「かしこまりました。ゴールデンアップルをお作りしますよ。ベースは金色です。ゴールドはお金の金であり、金メダルの金は一番を意味します。つまり、一番になることが可能なカクテルですよ」

 出されたカクテルはゴールドに光るまさに黄金色のカクテルだった。そして、ふちにはりんごが添えられていた。まるで黄金にとりつかれたかのようなカクテルは見た目も珍しく、美しい色合いだった。

「いただきます」

 出世するなんて、これっぽっちの期待もしていない男に変化が訪れたのは翌日からだった。嘘のように仕事舞い込み、なぜかうまくいってしまうのだった。要領が悪い男、愛想がある方でもコミュニケーション力があるほうでもない男が、人に信頼され、仕事を任されていくという不思議な現象が起きていた。目の前の大きな仕事を目の前にして彼は同僚の嫉妬の気持ちに気づく余裕はなかった。

 キッズソングの収録の合間にナルおにいさんがふと口にした。

「今頃、出世カクテルの彼は出世街道まっしぐらで忙しく仕事をこなしているんだろうな」
 
「でも、ゴールデンアップルという名前から、彼はそんなにうまくいかないんじゃないですか?」
 のどかは答える。

「神話では色々な罠が潜んでいたりするだろ。ここは人間の社会だ。人間らしい罠が潜んでいるかもしれないな。例えば、嫉妬を持つものが彼を陥れようとするかもしれない。一生安泰だとかどこまで出世できるかは本人次第で、カクテルの力だけでは保証できないからな。本人の実力次第ってわけだ」

「本当に不思議なカクテルを創作しちゃうんですね。先代が教えてくれた秘伝の素が不思議なことが起きるんでしたっけ?」
 
「カクテル一杯の力で人生を変えてしまう仕事は恐ろしいよな。幸せにするお手伝いをしてるわけだが、人間は愚かだからな。出世や称賛される人がいる一方で嫉妬心に火が付くこともあるんだ。その火に気づかないと思わぬ油断で足元をすくわれたりするんだよ。まぁ、俺もいつどこで陥れられるかわからないから、気を付けないとな」

「神酒さんは世間の男性から嫉妬されてると思いますけど、なぜか負けないような気がします」