知る人ぞ知る不思議なバーがある。
 アルコールはもちろんノンアルコールのカクテルジュースも提供しているお店だ。

 このバーにはバーテンの神酒《かみさか》さんがいる。
 世にも不思議なカクテルでお客様の希望にあったなんとも神がかったカクテルを創ってくれるらしい。
 神酒はいつも営業スマイルで、物腰は穏やかな二十二歳の青年だ。彼が感情をあらわにすることは滅多になく、いつも冷静だ。
 そして、顔立ちは端正で女性にとても人気がある。

 神酒成樹(かみさかなるき)は昼はうたのナルおにいさんとしてテレビ番組で活躍をする歌手である。
 夜はバーテンの神酒さんとして様々な人の問題をカクテルで解決する二刀流。
 子供向けテレビに出ていて人気があるため、変装をして隠れてバーテンをしている。
 そして、うたのおねえさんののどかも変装してバーの手伝いをしている。


 今夜訪れたのは、美しい大人の雰囲気の女性。

「私、この店はじめてなの。どんなカクテルがあるの? 星空とガラスのくつ、ちょっと気になるかも」

 バーに来る二十代の女性は神酒に相談する。
「いい人がいない、誰かいたら紹介してよ」

「いい人、これは難しい問題ですね。年齢性別問わなければ、わりといるとはありますけど。あなたが言ういい人は恋愛対象にしてのいい人なんじゃないですか」

「あなたにとってのいい人という基準が他人には曖昧過ぎてわかりにくいですよね。もっと具体的におっしゃってください」

「性格が良くて、服のセンスがそこそこ良くて、優しい人」

「これもわかりにくいですね。性格がいい、優しいというのは抽象的です。服のセンスだって人によって良いの基準は違いますし」

「じゃあ、バーテンさんみたいなイケメンな男性で、収入が安定していて、学歴が高い人」
 遠慮がちだったがかなり具体的な表現だ。 

「星空とガラスのくつというカクテルを飲むと、あなたの思ういい人に出会える可能性が高くなるかもしれませんよ。シンデレラみたいに出会った人にひとめぼれできるカクテルなのですよ」
「運命の出会いですか?」
 女性は目を輝かせる。
「理想の人に出会えるカクテルですよ」

 シンデレラをイメージしたピンク色のお花畑のようなカクテルだ。
 食べられる花が添えられている。


「ごちそうさま」
「お幸せに」
 女性は支払いを済ませると、ハイヒールをコツコツ響かせながら歩く。

「神酒さん。あのカクテルはどんな効果があるんですか?」
 バーテン助手の女性、のどかが訪ねる。
 一応昼間はうたのおねえさんをやっている。

 少し間を置いて神酒は口を開く。
「あのカクテルは理想を落とすんだよ。添えられた花は脳内お花畑のイメージで、ピンクは乙女心とでもいう恋という邪心、下心を表している。恋という感じは下に心と書いて、下心を表していると思わないか?」
 客がいなくなった途端のこの毒舌。この男、顔だちはいいが、口は悪い。

「え? つまりどういうことですか?」

「理想を低くするということ。だから、すぐに理想の相手がみつかるんだよ。いい人がいないという人は、いい人の基準を下げないとだめだということは理にかなってるだろ」
 のどかの前では毒舌かつクールで冷徹な神酒。

 一週間後、彼女は幸せそうに男性と共にバーを訪れた。そして、感謝の言葉を述べた。
「理想的な男性に出会えました。とても幸せです」

 彼女の隣にいる男性は、見た目は地味でイケメンではないが、とても誠実そうで堅実な印象だった。

 神酒はにこやかにのどかに言う。

「外見にばかり惑わされていると本当に良いい人に出会っていても逃していることがある。外見に対する価値観を少し落としただけで、出会いの幅は大幅に広がると思わないか。好きという気持ちは実に不可解なものだからな」

 冒頭でも説明した通り、神酒成樹(かみさかなるき)とのどかには実は共通の隠し事がある。
 昼間は民放のうたのおにいさんとおねえさんをやっている。
 公共放送ならば、掟は厳しいが、民放放送故、週に一度の放送しかない。
 でも、この番組はこのご時世にもかかわらず視聴率は非常に高く、お母さんお父さんの心、そして子供の心をわしづかみにしている。
 独身女性の心もわしづかみにしているとネットでは評判だ。それだけ神酒の顔立ちがいいということだろう。
 一応テレビでは下の名前だけ公表しており、ナルおにいさん、のどかおねえさんと呼ばれている。
 バーテンの時は一応変装で眼鏡とかつらをかぶり、別人を装う。
 正直週一の歌番組で食べていける収入の保証はない。
 うたのおにいさんおねえさんをすることで、芸能界に入る突破口と考える人が多く、今人気の女優やタレントはうたのおにいさんおねえさん出身ということは多々ある。芸能人になるための登竜門だ。
 昔、朝ドラ俳優で、大学に行きながらバーテンを極めていたという俳優がいた。
 もちろん朝ドラと同時にバーデンをやっていたわけではないが、神酒はバーテンをやりながら、うたのおにいさんをやっている。

 神酒は有名音楽一家の息子だ。音楽大学の大学教授をしている両親と兄弟もプロの音楽家だ。
 血筋もいいが、彼の学歴もあの有名音楽大学の大学院の声楽専攻を卒業していた。
 プロの音楽家として仕事をせずに、子供向けのおにいさんとして活躍することは彼の両親は反対していた。
 両親は 堅実な仕事をしてほしかったらしい。若い時にしか仕事がない、うたのおにいさんは将来的に心配だと主張された。
 学校で教鞭をとったほうが安定している。芸能界なんて辞めてほしい。
 そんな時に前の店主に次の店主になってほしいと言われてこの店を引き継いだ。
 雇われ店長のような形だ。
 神酒は大学卒業前までしばらく前店主の下で修業をしていたが、学生としては割のいいバイトだった。
 卒業後も雇われ店長として続けることにした。なぜならば、特別な人にしか創れない創作カクテルだからだ。

 きっかけは、神酒が大学時代にキッズソングという子供向け歌番組のオーディションに合格した時だった。
 親が猛反対していて、神酒は色々なことをしたいという思いから芸能界に足を踏み入れたいと思っていた。
 音楽でも、なんでもいい。誰かのためになること、そして、自分にしかできないことを探していた。

「あなたはこれからの将来に悩んでいますね。今まさに人生の岐路に立っている」
 ふと入ったバーでバーテンの男性は神酒に言った。
 すべてを見透かしたような美しい年齢不詳な男性に言われた。
 三十代くらいに見えるが、実際の年齢はわからない。
 占い師ならば誰もが言いそうなセリフだったが、そのカクテルが実に不思議で魅了されることになった。 

「親の敷いたレールの上を走る電車男にはなりたくない。もっと自由に生きるために、うたのおにいさんを受験して合格した。俺にとってはこの仕事は自由なのです。だからこの仕事をできる限り長くやって、世の中にみとめられて、芸能界に残れるように、俺は最大限の努力をしたい」

「じゃあ、こんなカクテルはいかがですか? 未来が約束されたカクテルです」
「この紫の色合いはあなたの葛藤や悩みを表現しています。でも、飲むごとに色が薄く桜色になるんです。そして、このカクテルを飲んだ瞬間、あなたの少し未来が瞼に映ります」

「嘘みたいな話ですね。酔った人間に適当なことを言うんでしょう」

「だまされたと思って飲んでみてください。味は保証します」

 元々なんとなく入ったこじゃれたバー。飲むために来た。
 口にしたその瞬間、炭酸が口に広がり何とも言えない甘みと酸味が喉を通り抜けた。
 口当たりの良いカクテルで、今まで飲んだことのある味とは違う。
 瞳を閉じるとテレビの中で着物を着て歌っている自分がいた。
 そして、バーテンとして仕事をしている神酒が見えた。
 その傍らには見たことのない女性がいた。
 これは夢だろうか? 知らない人が見える予知夢のような感覚だった。
 でも、眠ってはいない。一瞬しか見えない未来。
 不思議な味と時間に囲まれ、神酒のグラスは紫色から桜色に変化していた。

「こんにちは。アルバイトの募集を見てこちらに来ました」
 これが、今日キッズソングのうたのおねえさんに合格したのどかだった。
 彼女が合格したその日にアルバイトの募集を見たらしい。
 なにかに引き寄せられた二人はその日初めて対面した。

「アルバイト希望の、のどかさん。今日はおめでたい日なのでしょう。お祝いにカクテルを作りましょう」
「実はキッズソングのうたのおねえさんに決定しました」
 陽気で親しみのある性格のようだ。

「私にはわかっていることですから。さぁ。あなたにも未来が見えるカクテルを創りましょう」

「おまえがキッズソングのおねえさんかよ?」
 神酒は驚いて問う。
「はい。私がキッズソングのうたのおねえさんです。まだ公式発表されてませんけど」
「俺も今日うたのおにいさんに選ばれたんだけど。おまえ本当に合格したのか。でも、俺はおにいさんの仕事を引き受けるかどうするか迷っているんだけど」
「先程、未来が見えませんでしたか?」
 バーテンの男性がにこやかに問う。

「親には収入のことを言われたら、ここで仕事をすると伝えてください。新卒にはありえないくらいの高月給です。そして、説得できるカクテルの創り方を教えます」
「うちの親はお酒を飲まないんだよな」
「ノンアルコールカクテル、つまりモクテルなら大丈夫でしょう。アルコールは必要なわけではないんです」
「納得させる飲み物ってことかよ?」
「この赤い飲み物にソーダを加えてください。そして、刻んだ苺を入れて苺をコップに添えてください。あなたの両親は苺ソーダに深い思い入れがあるはずです」
「そんな話は聞いたことがないけど」
「試しにやるのはタダです。こちらの材料はお持ち帰りください」

 帰宅した神酒は両親にドリンクを作ると言い、赤いドリンクにソーダを混ぜて苺を添えて出した。
 すると両親は、驚いた顔をしたが、そのまま飲み始めた。
「苺ソーダは私たち夫婦が出会ったときの想い出の味なんだ」
 父が言う。

「私が音楽を辞めようかと悩んでいた時期で、就職は普通の会社にしようと思っていたのよ」
 母が言う。
「そんな時に、大学の近くのバーで苺ソーダのノンアルコールの飲み物を同時に注文したのが出会いのきっかけだったんだ」
「苺ソーダってあまりないでしょ。しかも、味が全く同じでびっくり。あなたどこで習ったの?」
「実は、今日バーテンさんに作り方を教えてもらったんだ。そこでお金の保証をするから、働きながらうたのおにいさんをやればいいって言われて。すごく月給がいいんだよね」
「伝説のバーテンさんに会えたの?」
 両親が驚く。

「バーテンの男性が、あなたたちは良い子供に恵まれますよって言ったんだよね」
「知る人ぞ知るカクテルのお店で、アルコールが飲めない人にもおいしいジュースを作ってくれるんだよな」
「あの人には結婚する時も報告したり、人生の節目にお世話になってたんだけどな」
「でも、あの人歳を取らないのよね」

 たしかに見た目が三十代くらいなら計算が合わない。
「キッズソングやってみたらいいんじゃないか」

 こうして、うたのナルおにいさんが誕生した。
 テレビでは神酒という名字は公表しておらず、のどかも下の名前のみの公表のため、バーで名字で呼んでも基本はバレない。