合理主義者な外科医の激情に火がついて、愛し囲われ逃げられない

 彼もまたこの店の常連だ。ぱっと見三十代前半くらいで、鈴菜と逆側のL時カウンターの端に座っているのを何度か見たことがある。
話したことはないし、大きな柱に隠れるようにして黙って飲んでいるのできっとひとりで静かに飲みたいタイプなのだろうと思っていた。

「……話したらだいぶ気が楽になりました。愚痴聞かせちゃってすみません。そろそろ帰りますね」

 管を巻く客は迷惑をかける。無理やり口角を上げた鈴菜は、椅子から降りコートを羽織る。

「また飲みにきて」

 会計を済ませ、マスターに見送られながら店を出る。日が落ちた路地裏に吹く風はやけに冷く感じる。

(もう忘れよう。私はなにも悪いことをしてないし、悩んでも仕方がない。今年のコンテストは諦めて来年がんばろう)

 辛いことがあろうと、明日も仕事が待っている。これから幸せになるお客様に暗い顔を見せてはいけない。

 切り替えなければ。無理やり自分に言い聞かせ鈴菜は駅に向かった。



「こちらは料理が美味しいと聞いて」

 男性は真剣な顔でパンフレットを覗き込んだ。