氷の王子は私に優しくしてくれます


 次の日、簡単な自己紹介の後、通常授業が始まった。

 残念ながら佳奈とはクラスが離れてしまったけど、お昼は一緒に食べようと約束した。

 学校側の配慮で、私は車椅子が入りやすい一番うしろの廊下側を定位置にしてくれた。

 久しぶりの、同級生と一緒の授業。

 中学校の卒業式ギリギリに退院したから、約一年ぶりの教室での授業だった。

 やっぱり、オンラインとは違う。

 こうやって皆で同じ机に向かい、先生の話を聞くのは楽しかった。

 「それじゃあ…香坂、ここに入る言葉を前に出て…いや、口頭で言ってくれ」

 先生に当てられる時の緊張感。

 久しぶりだな…。

 先生が指定する空白の言葉を言うと、正解と皆に拍手を促し、説明に入った。

 昨日の入学式のときは教室に入るのが怖かったけど、皆いい人達みたいで、手伝うと声をかけてくれた人も数人いた。

 自分が臆病すぎたんだと思わずにいられない。

 それから何事もなく授業を終え、昼休みになった。

 隣のクラスから佳奈が顔を出す。
 
 お弁当を佳奈に持ってもらい、自分の手で車椅子のタイヤを回す。

 私が押すと言ってくれたけど、クラスが離れた手前、自分でなんとかできないといけないことがたくさんある。

 なるべく佳奈に頼らないようにしたいと丁重に断った。

 「本当に一人で平気?」

 「うん」

 「わかった。じゃあ下で待ってるね」

 階段の前、私と佳奈は一度ここで別れる。
  
 車椅子では階段が降りれないから、特別にエレベーターを使う許可を貰っていた。

 下向きの矢印を押し、扉が開くのを待つ。

 教室が離れたところにあるエレベーターホールは、遠くから生徒の声が響いて聞こえ、寂しい雰囲気が漂っていた。

 ランプが点滅し、扉がゆっくり開く。

 中に乗り込んでボタンを押そうとしたところであることに気がついた。

 「とどかない…」

 元々このエレベーターは普段使用禁止で、重たい荷物を運ぶ時だけに使用される。

 だから車椅子用にはなっておらず、操作パネルが高い位置にあって届かないのだ。

 昨日の登下校と今日の登校のときは佳奈がついてきてボタンを押すことろまでやってくれていたから気づかなかった。

 申し訳ないけど佳奈に来てもらおう。

 そう思ってポケットに手をいれるけど、スマホはなかった。

 「あ、佳奈が持ってるんだった…」

 お弁当袋に一緒に入れて佳奈にわたしてしまっていたことを思い出す。

 どうしよう、完全に詰んだ。

 とりあえず扉が閉まってしまうと出られなくなる可能性があるので外に出る。

 運良く先生がいればいいけど、昼休みは大体職員室に帰ってしまうからいないだろう。

 誰かに頼るにしてもまだ仲良くなっていない人に頼む勇気なんてない。

 しばらく待っていれば心配した佳奈が迎えに来てくれるかもしれないけど、そしたらお弁当を食べる時間がなくなってしまう。

 どうしよ…。

 「なんか、困ってる?」
  
 声をかけられ振り返ると、私は息を呑んだ。

 「南雲、先輩…」

 片手で目にかかる前髪を鬱陶しそうにかきあげる南雲先輩。

 昨日周りにいた大勢の女の子達はいなくて、今日は一人のようだった。

 「エレベーターか…」

 南雲先輩がエレベーターの下ボタンを押す。

 すると、さっき押したばかりで待機していたらしいエレベーターはすぐに開いた。

 「早く乗って」

 「え、あの…」

 「はぁ…」

 押すぞと車椅子を押されてエレベーターに乗り込む。

 「何階?」

 「え、あの、先輩」

 「早く」

 どうして先輩が一緒に乗るの?

 聞きたくても聞け無くて、一階ですと素直に言った。

 「ん、」

 先輩の長い指が1のボタンを押す。

 ゆっくり扉が閉まって降下し始めた。

 隣に乗る先輩をチラッと見ると、じっと私を見つめていた。

 慌てて目をそらす。

 なにか、なにか話題…

 「あ、あの…ありがとう、ございました。困っていたので、助かりました」

 まずはこれだろう。

 「別に。たまたま通りかかっただけだから」

 四階から一階までの時間はそんなにかからない。

 一言交わしただけで一階に着き、扉が開く。

 「あ、瑞葉!遅かったね。心配したんだ…よ…って、え…」

 エレベーターから降り、後ろから押してくれている先輩を見つけた佳奈は驚きの声をあげ、固まった。

 「じゃ、俺は行く」

 ポンと私の頭に手を置いて先輩は行ってしまった。

 私と佳奈は少しの間固まっていた。


_____

 
 「ちょっと瑞葉、どういう事?」

 外に出て空いていたベンチに腰を下ろした佳奈が、お弁当を開けずに聞いてくる。

 「南雲先輩、助けてくれたんだよ」

 私はお弁当を開け、箸を取った。

 「助けてくれたって…何があったの?まさか何か酷いことされた?」

 「違うよ。エレベーターのボタンが届かなくて困ってたの。たまたま先輩が通りかかって助けてくれた。それだけだよ」

 ミニトマトを口に入れる。

 プチッと割れてジュワッと汁が溢れ出す。

 そう、それだけ。

 すごくスマートだった。

 落ち着いていて、多く何も言っていないのに気づいて助けてくれた。

 佳奈はそっかーと、やっとお弁当の蓋を開けた。

 「でも、どうしてあんな場所にいたんだろう。三年生の教室は違う階にあるのに」

 一年生の教室が四階、三年生が二階。

 購買は一階だし、職員室は二階にある。

 一年生に用があるにしてもあそこは教室から離れているから用なんてないはずなのに。

 「うーん…、女の子達から逃げてた…とか?」

 「女の子たちから?」

 「そうそう、まああくまで予想だけど」

 確かに先輩の周りに女の子たちはいなかった。

 逃げてたのか。

 まって、だとしたら…

 「もしそうなら私、邪魔しちゃった?」

 せっかく逃げてたのにわたしと一緒に一階に来ちゃって今頃囲まれていないかと急に心配になってきた。

 私の言葉にそんなことないでしょと佳奈が軽く言う。

 「仮に逃げてたとしても、向こうがやってくれたんでしょ?好意でやってくれたんだったら、気にせずありがたく受け取っておきなよ」

 ね、と佳奈が笑った。

 「それにしても、噂はあてになんないなー、先輩、ちゃんと優しいじゃん」

 「そうだね」

 確かに昨日のあの表情は冷たい印象を受けた。
 
 でも、先輩の今日の行動は優しさあってこそのものだ。

 あれだけの美人はなかなかいない。

 厄介事も多いかもしれないし、いろいろ誤解されていることも多いのかも。

 外にあるスピーカーから昼休み終了のチャイムが鳴る。

 ちょっとゆっくりしすぎたみたい。

 私達は急いで片付けて教室へ戻った。