最近春馬は一層忙しくなった。
と同時に、少しだけ元気がないように見える。
元々英二さんみたいな元気ハツラツタイプではなかったけれど、最近の春馬は少し何かに追い詰められているような、切羽詰まったような表情を見せることがある。
弱みを一切見せない春馬のそんな表情に、私は何も聞くことができないまま、ただ見守るしかないのが少しだけ悔しい。
──その日は撮影で遅くなると聞いていた。
だから学校が終わってすぐに開いた玄関扉に、葵君たちメンバーの誰かが帰って来たのだと思っていたのだ。
なのに何故。
何故今私の目の前には、彼が────春馬がいるの?
「春馬、今日撮影なんじゃ……」
私が遠慮がちに尋ねると、春馬は私を見ることなく答える。
「…………中止」
そう短く伝えると、春馬はそのまま自分の部屋に上がっていってしまった。
無機質な声が妙に気になる。
いったいどうしたんだろう……。
あんなにも力の無い声、初めて聴いた。
私が行ってどうなるわけではない。
だけど放っておくこともできなかった私は、彼の後を追って二階へ向かった。
──コンコンコン、と小さく扉を叩いて、「春馬?」と声をかける。
「……」
返事はない。
中にいるはずなのに。
放っておいてくれ、という意思表示なのだろうか……。
だけど、今の春馬を放っておくことが、どうしてもできない。
「……ごめん春馬。入るね」
私は一言そう声をかけてから、その取っ手を引き扉を開けた。
「……春馬?」
「………………何?」
反応はしてもその目には私を映さない。
視線の先には一冊の本。
きっと今撮影しているという映画の台本だろう。
真剣に、でも少しだけ苦しそうに目を細めながら読み続ける春馬に、胸が締め付けられる。
「大丈夫?」
ありきたりな心配の言葉しか出てこない自分の不甲斐なさに心の中でため息をこぼす。
そんな情けない私に、春馬は本を見つめたまま、ぽそりと言った。
「……今日の中止。俺が、あるシーンができなかったせいなんだ」
「え……?」
あるシーンが出来なくて、中止?
あの春馬が?
いったいどんな……。
「あの、それってどんな──」
問いかけた私に、次の瞬間、春馬は先ほどよりももっと小さな声で、ぽつりと返した。
「──────キスシーン」
「え…………」
キス、シーン……?
まさか春馬の方からその話題が出るとは思っていなかった私は、言葉を無くした。
ここのところ私の中を占め続けていた話題。
だけどそれなら、相手役さんとのキスが出来なかった、ってこと?
「顔近づけるだけなのにな。相手への愛情が伝わらないって。角度とか、リアリティがないって。練習して来いってさ。心のこもった、キス、っていうやつ……」
「練習、って……」
そんなの早々できるもんじゃないし、できたとしてもそれで愛情が伝わるようになるかどうかは疑問だ。
経験によるリアルさは増すだろうけれど。
そして次の瞬間、もっと大きな衝撃が、私に襲い掛かることになる。
「──ねぇ弥生。練習、させてくれない?」
「へ……?」
練習……って……それってキス────って…‥私と!?
私が、春馬とキスするの!?
頭の中は混乱しているというのに、私の口から出てくるのはいたって冷静なものだった。
きっと私も、頭が回っていなかったんだと思う。
キスシーンのことを聞いてから、頭の中そればっかで────参っていたんだと思う。
「私で……良いの?」
「────────俺は、お前が良い」
そしてぼんやりとした頭のまま、私の唇に、静かに大好きな人のそれが重なった────。



