中学校って最悪。
人も暗いし、みんなゲラゲラ嫌らしい笑い方しかしないし、芸能人とかアニメとか、つまらない話しかしないし、知能がないし、馬鹿ばっかだし。そのくせラブラブなカップルはウザいほどいるし。
小学校は良かったなー。みんな恋愛なんか__異性なんか、興味なかったから、一年中平和だったし、芸能人とかアニメがなくても、みんなでかけっこしていれば楽しい一日を過ごせたし。スクールカーストもなかったし。容姿による壁もなかったし。
「だからさ、私、タイムマシンを開発したいと思うんだよね」
昼休みの廊下で、私はクラスがちがう友達__波奈に、自分の夢を語っていた。
「はあ?いきなり何言ってるの?」
波奈は、呆れたような溜息をついてきた。
「そんなん中坊が作れるわけないでしょ」
腕を組んで壁にもたれ掛かる波奈に、私は「波奈ったら、もっと夢を持とうよ~!」と文句を垂れた。
「いや、分かるよ? 真珠の気持ちは。たしかに、この学校、空気がギスギスしてるもんね」
波奈が言った傍から、近くで男子が悲鳴を上げながら、廊下を駆け抜けて行く。
耳をつんざくようなその声に、私は思わず両耳を塞いだ。
「ギスギス……どころじゃないよ。ここにいるだけで頭痛くなる。おかしくなりそう~。それに、未だに新しいクラスに馴染めないし」
中学校に入学して、早一カ月。
周りがどんどんと友達を作っていく中、私だけが、置いてけぼりを食らったように、新しい友達を作れずにいた。
波奈ですら、新しい友達を作っているというのに……
「波奈さ~ん!」
早速、後ろから、男子が一人、波奈に駆け寄って来る!
男子は、シュッと背が高い、細めのイケメン。名前は知らないけれど、学年で噂になっているモテ男だった。
「借りてたノート返す。ありがと」
「返すの遅かったじゃん。もう返ってこないかと思ってた」
「俺の事舐めんなよ、波奈さん♡」
テンポのいい会話を繰り広げる波奈とイケメン男子に、私は茫然とするしかなかった。
パタパタと去っていくイケメン男子を確認しながら、私は「もうっ、波奈ったらー!」と文句を垂れた。
「どうしてあんなイケメン男子と仲いいのー⁉ ズルーい!」
私が「バカバカ!」と言いながら、波奈の胸をどんどこ叩くと、波奈はまた呆れたように溜息を吐いた。
「イケメン男子って__まさか、真珠も悠斗のファンか何かなの?」
「悠斗って! 名前で呼んでるし!」
私はさらにショックを受ける。
波奈って……そこまで進んでたんだ。私がまだ同性の友達すらまともにできていない中、もう、男友達まで作ってるんだ……
私は波奈の胸から拳を離すと、冷静になって問いただした。
「どうして、波奈はそんな簡単に友達作れるの?」
しかも、男子も女子も関係なく。
「そんなの、私でも分からないよ。自然にできてるし」
波奈が腰に手を当てて答えた。
「そんな……」
涙が出そうだ。
「やっぱ、小学校に戻りたい。私、圧倒的にこの学校の人達と性質が合わないんだよ。会話にも着いていけないし、雰囲気も苦手だし」
「うーん……そりゃ、まだ中学に入学して、一カ月くらいしか経ってないもん。馴染んでいくのはこれからじゃない?」
波奈は、気遣いの言葉を私にくれた。
「タイムマシン作るとか、変なこと考えるよりも、とりあえず今は、目の前のことに集中したら? 過去のしがらみは捨てて、今のクラスメイトと仲良くなることに重点を置きなよ」
波奈の言葉が、心の中で、真っ黒な錘となって沈んでいく。
「……波奈には、分からないよ。私、波奈たちが思っているよりも、小学校の思い出が大事だったんだよ。小学校のクラスメイトが大好きだったし、小学校のみんなと、いつまでも一緒にいたかった」
「そう?絶対今の方が楽しいと思うけどね」
嘘だ! 波奈もそっち側の人間だったの?
私には波奈の気持ちが理解できない。
「それに、小学校のクラスメイトは、この学校にもたくさんいるじゃん。数人は別の中学行ったけどさ」
「それじゃあ意味ないんだよ!」
私は波奈のセーラー服を掴んで、必死に訴える。
「あの頃のクラスメイトじゃなきゃ、意味ないの。第一小のみんなじゃないと意味ないの! みんな、第二小学校の柄の悪さに染まって、不良みたいになっちゃってるし」
「ええ?そう?」
第二小のやつらってそんな柄悪い?と首を傾げつつも、波奈は「まあさ、時間が解決してくれると思うから、今は焦らないことが大事じゃない?」と、慰めを言ってくる。
「タイムマシンだかなんか知らないけど、とにかく、変な宗教にハマることだけはやめなよ?」
「しゅ、宗教なんてハマるわけないでしょ!」
もう、波奈の馬鹿!
私は、本気でタイムマシンを作ってやるんだ。
家に帰ると、私は早速白紙のノートを広げた。
とにかく、まずはできそうなことからしてみよう。タイムマシンを作るには、物理法則とか、そういうの学ばなきゃいけない気がするから、数学と理科の勉強を一生懸命すればいいかな? 国語と英語と社会はいらないよね。
その日からは、結局、数学と理科の宿題と勉強をしただけで、国語、英語、社会の勉強はまったくと言っていいほどしなかった。
「テストを返すぞ」
そして、中学校最初のテストで、なんと私は__
「やったー!100点二枚も取ったー!」
数学と理科のテストで、なんと百点を取ったのだった。
「すごい、私、やればできるんだね……」
うれし泣きしながら波奈に報告する。
「よかったね。でも、他の教科は?」
「げっ」
しかし、波奈の現実を突き付ける一言に、私は固まってしまった。
……思い出したくもない。
国語、英語、社会……
特に、社会なんて酷いものだった。見るにも値しないくらい……
「やめてよ波奈!現実を突き付けるのは……」
「タイムマシン開発者を夢見るのはいいけど、数学と理科だけできてれば、学者になれるってものでもないと思うよ。他の教科も頑張らなきゃ、いい大学にも行けないし、いい大学に行けないと、タイムマシン開発するような科学者にはなれないよ」
「そ、そうなの?」
「そうでしょ!」
波奈が、呆れながら突っ込んできた。
「でもなー」
私は、廊下の壁に寄りかかりながら、天井を見上げた。
茶色一色の、汚い天井。
まるで、汚水プールの底から、水面を眺めているみたい。
「そんな、大学行くまで待てないよ。私、今すぐ過去に戻りたいもん」
「真珠さ、どうして、そんなに過去に戻りたいわけ?」
波奈から言われて、私は視線を地面に落とした。地面も、相変わらず汚い茶色。どうして、この学校の校舎は、こんなに汚い色で満ちているのだろう。数か月前まで通っていた小学校は、壁も天井も床も真っ白で、綺麗だったのに。
「とにかく、この学校が私に合わないの。お母さんも、不登校許してくれるような人じゃないしさ」
「不登校? 真珠、そんな、不登校になりたいほど苦しんでたの?」
波奈が、ぎょっと目を丸くした。
「うん」
「……それ、先生に相談した方がいいんじゃない? まさか、クラスで虐められてるわけじゃないよね?」
波奈の質問に、私は首をブンブン横に振った。
「ちがう。むしろ、みんな優しい人ばかりだよ。でも……分からないの。理由は分からないけど、学校にいるのが苦しいの」
だから、親に相談しても、先生に相談しても無駄だった。
いじめがあるとか、病気があるとか、何かしら理由があるなら、大人に話を聞いてもらえる。
けれど、私のこの憂鬱には、理由がない。周りと合わない理由も、教室にいるだけで具合悪くなる理由も、どことなく毎日憂鬱な理由も、すべてが分からない。
だから、どうしようもないのだ。
「……真珠はさ」
波奈が、淡々と話し出した。
「タイムマシン作りたいって言う前から、科学者になるのが夢だったじゃん?」
「うん。具体的には、天文学者だけどね」
私は、昔から宇宙が好きだった。
天体に興味があったし、テレビで『宇宙の謎』が特集されていれば、必ずと言っていいほど見ていた。
だから、大人になったら、宇宙に関する仕事がしたいと思っていた。最初は率直に宇宙飛行士になりたかったのだけれど、生憎体育の成績はいつもダメダメだったために諦めた。
けれど、天文学者なら、勉強すればなれるかもしれないと、目指し始めたのだ。まあ、タイムマシンを開発する職業は、天文学者じゃない気もするけど……
「真珠の夢、応援してるからさ。変なところで精神崩して、夢諦めるのはやめな? 親が休ませてくれなくても、仮病で休むことくらいはしてもいいんじゃない?」
「ありがとう……波奈ぁ!」
私は、ボロボロと泣きそうになりながら、波奈に抱きついた。
やっぱ、持つべきものは友だね♪
それから、私は毎日勉強することにした。
数学と理科だけじゃない。文系科目も、それなりに勉強した。
もちろん、タイムマシンの開発にも、それなりに力を入れた。
そのためにやってることは……ほぼ、ネットにおけるリサーチだけど。
けれど、それで重要なことに気が付いた。
どうやら、私たちは、速い乗り物に乗ると、その速い乗り物の中だけ時間がゆっくり進むらしく、理論上未来へ行くことができるらしい。
速い乗り物に乗っても、行けるのは未来だけど……。
これを、どうにか応用できないだろうか。
新幹線を使うとか?
でも、どうやって?
何も答えが見つからないまま、5月14日__私の人生が、大きく変わる日がやってきた。
その日、私は、いつものように中学校に行くはずだった。
決った時刻に家を出て、決まった登校道を走っていった。
けれど、私は嫌だった。学校になんて行きたくなかった。本当は今すぐにでも、自転車で周れ右をして、家に引き返したかった。
まあ、これはいつものこと。
いつもと違ったのは、その日、クラスでちょっとしたパーティが行われることを思い出したからだった。
数週間後に修学旅行があり、そのときのキャンプファイヤーで、組ごとに出し物をするらしく、今日はその練習をするらしい。
私たちのクラスメイトは、ダンスを披露するのだ。
嫌だなー。
坂道を下りながら、私ははあっと溜息を吐く。
ダンスの練習とは言え、クラスメイトがぎゃーぎゃー騒いで、ユーチューブ見たり、ティックトック見たりする、ほぼ宴会みたいなものだし。
行きたくないなー。
カラカラと、自転車の車輪が回っていく。
ずっと雑木林に覆われていた右側の視界が、ぱっと開けたかと思うと、ガードレールの向こうに、街が広がっている。
手前には、私たちが住んでいる町。
向こうの方には、細々した都会の街。
美しい、朝の街並みだった。
いいな。
遠くで光る街のビル群に魅了されながら、私は茫然としていた。
あの、遠くの街に行けたらな。一人で行けたらな。
ジャーっと、自転車が坂道を下っていく。肩まで伸びた長い髪が、後ろに煽られ、スカートが風で暴れる。
自転車は、ぐんぐんと眼下の街に近づいていく。
けれど、あの青い靄に覆われた街には、永遠にたどり着くことはできない。
私は中学校へ行くのであって、それ以上先へは行けないのだから。
十字路にたどり着くと、歩行者信号が赤になっていたので止まった。
隣から、きゃっきゃと声がして、振り向くと、小学生たちが列になって横断歩道を渡っているところだった。
小学生が歩いて行く方向__左を曲がれば、小学校にたどり着くのだ。
……この道が、過去にさかのぼることができる道ならいいのに。
そうやって、過去の小学校に、簡単に行くことができたなら。
けれど、現実的な話。
過去に戻れる道なんてものは、存在しない。
小学生の渡り切った道の歩行者信号が、青から、赤に変わった。
目線を前に向けると、私の前にあった歩行者信号が、ゆっくりと、赤から、青に変わっていく。
こっちに……行きたいわけじゃないのに。
私は、左の道に曲がりたいのに。
けれど、理性が本能を抑えた。
ペダルに足をかけると、仕方なく、前へ進んで行く。
横断歩道を渡った先は、川の上にかかる橋だった。
眼下には、朝の冷たい水が、勢いよく流れていて、ざあざあと音を立てている。
透明な水が、岩肌に当たって、白い飛沫を上げた。
橋の下ばかり見ていても危険だと思い、顔を上げる。
橋を渡った先には、道路と、りんごの果樹園と、住宅街と、線路と__その向こうに、青色に包まれた街。
どこからか、風に乗って、車や電車が走る静かな音が聞こえてくる。
……あの街には、新幹線もあるのかな。
人も、大勢いるのかな。
キッ。
自転車を止めた。
橋を渡り切って、新たな十字路に差し掛かったのだ。
この十字路には__信号がない。国道と、住宅街の間を通る、狭い道が交わった十字路だから。
左を曲がって。
この国道を渡り切って。
真っ直ぐ狭い道を行けば。
中学校にたどり着く。
また、今日も絶望する。
自分が、波奈以外の誰にも愛されていないことを__誰にも、興味を持たれていないことを、突き付けられる。
……もう、そんなの嫌だよ。
中学生になったら。
もっと、交友関係が広がると思っていた。
小学生の頃の仲間とも、より絆が深まって、新しく見知った人たちとも、仲良くなれるのだと思っていた。
けれど、ちがった。
私だけが、着いていけなくなっただけだった。
この十字路からは、いろんな景色が見える。
川に、畑に、田圃に、住宅街に、高架に、電信柱。
左側には、数か月前まで通っていた小学校。
右側には、遠い山のふもとにある、青色の街。
__私、もっと愛されたいよ。
波奈だけじゃなくて、いろんな人から愛されたい。
思い浮かんだのは、小学生時代の思い出。
プールの授業で、話しかけてくれた美里ちゃん。
図工の授業で、アドバイスをくれた柳沢くん。
図書館で、一緒に話した奏ちゃん。
体育の授業で、ハイタッチをし合った陽介くん__
もっともっと、小学校には、誰かと笑い合った思い出がたくさんある。
私が科学者になるのが夢だって言ったら、「応援してるね」て、クラス中から言われた思い出がある。
けれど、そんな大事なクラスメイトたちも、今じゃ、第二小の新しい仲間に夢中で、誰も私なんかに興味はなかった。
__私なんて、いても、いなくても同じじゃん。
私が一人いなくなったところで、誰も気になんてしないよ。
もう、心が寂しい。ずっと、心に穴が空いたみたいに。
私__誰かと繋がりたいよ。もっと、たくさんの人と仲良くなりたいよ。
それに、ダンスの練習なんて、やりたくないし。
____もう、限界だ。
キッと。
気づけば、自転車の向きを、左側から、前方向へ変えていた。
ぐんぐんと、自転車を走らせる。
「え?」
自分でも、自分の行動に驚いた。私は今、いつも走っている道ではなく、今まで通ったことのない道を走っている。
見たことのない景色。嗅いだことのない香り。触れたことのない、空気の感覚__。
息が吸えた。世界に色がついた。体が軽くなった。
私は、自然と笑えていた。作り笑いじゃなくて、心の底から笑えていた。
__こんな感情を求めていた。
知らない道を、真っ直ぐに進んで行く。
私は今から、あの青くて、遠い街に行く。
そして、自分だけの世界を、作るんだ。
人も暗いし、みんなゲラゲラ嫌らしい笑い方しかしないし、芸能人とかアニメとか、つまらない話しかしないし、知能がないし、馬鹿ばっかだし。そのくせラブラブなカップルはウザいほどいるし。
小学校は良かったなー。みんな恋愛なんか__異性なんか、興味なかったから、一年中平和だったし、芸能人とかアニメがなくても、みんなでかけっこしていれば楽しい一日を過ごせたし。スクールカーストもなかったし。容姿による壁もなかったし。
「だからさ、私、タイムマシンを開発したいと思うんだよね」
昼休みの廊下で、私はクラスがちがう友達__波奈に、自分の夢を語っていた。
「はあ?いきなり何言ってるの?」
波奈は、呆れたような溜息をついてきた。
「そんなん中坊が作れるわけないでしょ」
腕を組んで壁にもたれ掛かる波奈に、私は「波奈ったら、もっと夢を持とうよ~!」と文句を垂れた。
「いや、分かるよ? 真珠の気持ちは。たしかに、この学校、空気がギスギスしてるもんね」
波奈が言った傍から、近くで男子が悲鳴を上げながら、廊下を駆け抜けて行く。
耳をつんざくようなその声に、私は思わず両耳を塞いだ。
「ギスギス……どころじゃないよ。ここにいるだけで頭痛くなる。おかしくなりそう~。それに、未だに新しいクラスに馴染めないし」
中学校に入学して、早一カ月。
周りがどんどんと友達を作っていく中、私だけが、置いてけぼりを食らったように、新しい友達を作れずにいた。
波奈ですら、新しい友達を作っているというのに……
「波奈さ~ん!」
早速、後ろから、男子が一人、波奈に駆け寄って来る!
男子は、シュッと背が高い、細めのイケメン。名前は知らないけれど、学年で噂になっているモテ男だった。
「借りてたノート返す。ありがと」
「返すの遅かったじゃん。もう返ってこないかと思ってた」
「俺の事舐めんなよ、波奈さん♡」
テンポのいい会話を繰り広げる波奈とイケメン男子に、私は茫然とするしかなかった。
パタパタと去っていくイケメン男子を確認しながら、私は「もうっ、波奈ったらー!」と文句を垂れた。
「どうしてあんなイケメン男子と仲いいのー⁉ ズルーい!」
私が「バカバカ!」と言いながら、波奈の胸をどんどこ叩くと、波奈はまた呆れたように溜息を吐いた。
「イケメン男子って__まさか、真珠も悠斗のファンか何かなの?」
「悠斗って! 名前で呼んでるし!」
私はさらにショックを受ける。
波奈って……そこまで進んでたんだ。私がまだ同性の友達すらまともにできていない中、もう、男友達まで作ってるんだ……
私は波奈の胸から拳を離すと、冷静になって問いただした。
「どうして、波奈はそんな簡単に友達作れるの?」
しかも、男子も女子も関係なく。
「そんなの、私でも分からないよ。自然にできてるし」
波奈が腰に手を当てて答えた。
「そんな……」
涙が出そうだ。
「やっぱ、小学校に戻りたい。私、圧倒的にこの学校の人達と性質が合わないんだよ。会話にも着いていけないし、雰囲気も苦手だし」
「うーん……そりゃ、まだ中学に入学して、一カ月くらいしか経ってないもん。馴染んでいくのはこれからじゃない?」
波奈は、気遣いの言葉を私にくれた。
「タイムマシン作るとか、変なこと考えるよりも、とりあえず今は、目の前のことに集中したら? 過去のしがらみは捨てて、今のクラスメイトと仲良くなることに重点を置きなよ」
波奈の言葉が、心の中で、真っ黒な錘となって沈んでいく。
「……波奈には、分からないよ。私、波奈たちが思っているよりも、小学校の思い出が大事だったんだよ。小学校のクラスメイトが大好きだったし、小学校のみんなと、いつまでも一緒にいたかった」
「そう?絶対今の方が楽しいと思うけどね」
嘘だ! 波奈もそっち側の人間だったの?
私には波奈の気持ちが理解できない。
「それに、小学校のクラスメイトは、この学校にもたくさんいるじゃん。数人は別の中学行ったけどさ」
「それじゃあ意味ないんだよ!」
私は波奈のセーラー服を掴んで、必死に訴える。
「あの頃のクラスメイトじゃなきゃ、意味ないの。第一小のみんなじゃないと意味ないの! みんな、第二小学校の柄の悪さに染まって、不良みたいになっちゃってるし」
「ええ?そう?」
第二小のやつらってそんな柄悪い?と首を傾げつつも、波奈は「まあさ、時間が解決してくれると思うから、今は焦らないことが大事じゃない?」と、慰めを言ってくる。
「タイムマシンだかなんか知らないけど、とにかく、変な宗教にハマることだけはやめなよ?」
「しゅ、宗教なんてハマるわけないでしょ!」
もう、波奈の馬鹿!
私は、本気でタイムマシンを作ってやるんだ。
家に帰ると、私は早速白紙のノートを広げた。
とにかく、まずはできそうなことからしてみよう。タイムマシンを作るには、物理法則とか、そういうの学ばなきゃいけない気がするから、数学と理科の勉強を一生懸命すればいいかな? 国語と英語と社会はいらないよね。
その日からは、結局、数学と理科の宿題と勉強をしただけで、国語、英語、社会の勉強はまったくと言っていいほどしなかった。
「テストを返すぞ」
そして、中学校最初のテストで、なんと私は__
「やったー!100点二枚も取ったー!」
数学と理科のテストで、なんと百点を取ったのだった。
「すごい、私、やればできるんだね……」
うれし泣きしながら波奈に報告する。
「よかったね。でも、他の教科は?」
「げっ」
しかし、波奈の現実を突き付ける一言に、私は固まってしまった。
……思い出したくもない。
国語、英語、社会……
特に、社会なんて酷いものだった。見るにも値しないくらい……
「やめてよ波奈!現実を突き付けるのは……」
「タイムマシン開発者を夢見るのはいいけど、数学と理科だけできてれば、学者になれるってものでもないと思うよ。他の教科も頑張らなきゃ、いい大学にも行けないし、いい大学に行けないと、タイムマシン開発するような科学者にはなれないよ」
「そ、そうなの?」
「そうでしょ!」
波奈が、呆れながら突っ込んできた。
「でもなー」
私は、廊下の壁に寄りかかりながら、天井を見上げた。
茶色一色の、汚い天井。
まるで、汚水プールの底から、水面を眺めているみたい。
「そんな、大学行くまで待てないよ。私、今すぐ過去に戻りたいもん」
「真珠さ、どうして、そんなに過去に戻りたいわけ?」
波奈から言われて、私は視線を地面に落とした。地面も、相変わらず汚い茶色。どうして、この学校の校舎は、こんなに汚い色で満ちているのだろう。数か月前まで通っていた小学校は、壁も天井も床も真っ白で、綺麗だったのに。
「とにかく、この学校が私に合わないの。お母さんも、不登校許してくれるような人じゃないしさ」
「不登校? 真珠、そんな、不登校になりたいほど苦しんでたの?」
波奈が、ぎょっと目を丸くした。
「うん」
「……それ、先生に相談した方がいいんじゃない? まさか、クラスで虐められてるわけじゃないよね?」
波奈の質問に、私は首をブンブン横に振った。
「ちがう。むしろ、みんな優しい人ばかりだよ。でも……分からないの。理由は分からないけど、学校にいるのが苦しいの」
だから、親に相談しても、先生に相談しても無駄だった。
いじめがあるとか、病気があるとか、何かしら理由があるなら、大人に話を聞いてもらえる。
けれど、私のこの憂鬱には、理由がない。周りと合わない理由も、教室にいるだけで具合悪くなる理由も、どことなく毎日憂鬱な理由も、すべてが分からない。
だから、どうしようもないのだ。
「……真珠はさ」
波奈が、淡々と話し出した。
「タイムマシン作りたいって言う前から、科学者になるのが夢だったじゃん?」
「うん。具体的には、天文学者だけどね」
私は、昔から宇宙が好きだった。
天体に興味があったし、テレビで『宇宙の謎』が特集されていれば、必ずと言っていいほど見ていた。
だから、大人になったら、宇宙に関する仕事がしたいと思っていた。最初は率直に宇宙飛行士になりたかったのだけれど、生憎体育の成績はいつもダメダメだったために諦めた。
けれど、天文学者なら、勉強すればなれるかもしれないと、目指し始めたのだ。まあ、タイムマシンを開発する職業は、天文学者じゃない気もするけど……
「真珠の夢、応援してるからさ。変なところで精神崩して、夢諦めるのはやめな? 親が休ませてくれなくても、仮病で休むことくらいはしてもいいんじゃない?」
「ありがとう……波奈ぁ!」
私は、ボロボロと泣きそうになりながら、波奈に抱きついた。
やっぱ、持つべきものは友だね♪
それから、私は毎日勉強することにした。
数学と理科だけじゃない。文系科目も、それなりに勉強した。
もちろん、タイムマシンの開発にも、それなりに力を入れた。
そのためにやってることは……ほぼ、ネットにおけるリサーチだけど。
けれど、それで重要なことに気が付いた。
どうやら、私たちは、速い乗り物に乗ると、その速い乗り物の中だけ時間がゆっくり進むらしく、理論上未来へ行くことができるらしい。
速い乗り物に乗っても、行けるのは未来だけど……。
これを、どうにか応用できないだろうか。
新幹線を使うとか?
でも、どうやって?
何も答えが見つからないまま、5月14日__私の人生が、大きく変わる日がやってきた。
その日、私は、いつものように中学校に行くはずだった。
決った時刻に家を出て、決まった登校道を走っていった。
けれど、私は嫌だった。学校になんて行きたくなかった。本当は今すぐにでも、自転車で周れ右をして、家に引き返したかった。
まあ、これはいつものこと。
いつもと違ったのは、その日、クラスでちょっとしたパーティが行われることを思い出したからだった。
数週間後に修学旅行があり、そのときのキャンプファイヤーで、組ごとに出し物をするらしく、今日はその練習をするらしい。
私たちのクラスメイトは、ダンスを披露するのだ。
嫌だなー。
坂道を下りながら、私ははあっと溜息を吐く。
ダンスの練習とは言え、クラスメイトがぎゃーぎゃー騒いで、ユーチューブ見たり、ティックトック見たりする、ほぼ宴会みたいなものだし。
行きたくないなー。
カラカラと、自転車の車輪が回っていく。
ずっと雑木林に覆われていた右側の視界が、ぱっと開けたかと思うと、ガードレールの向こうに、街が広がっている。
手前には、私たちが住んでいる町。
向こうの方には、細々した都会の街。
美しい、朝の街並みだった。
いいな。
遠くで光る街のビル群に魅了されながら、私は茫然としていた。
あの、遠くの街に行けたらな。一人で行けたらな。
ジャーっと、自転車が坂道を下っていく。肩まで伸びた長い髪が、後ろに煽られ、スカートが風で暴れる。
自転車は、ぐんぐんと眼下の街に近づいていく。
けれど、あの青い靄に覆われた街には、永遠にたどり着くことはできない。
私は中学校へ行くのであって、それ以上先へは行けないのだから。
十字路にたどり着くと、歩行者信号が赤になっていたので止まった。
隣から、きゃっきゃと声がして、振り向くと、小学生たちが列になって横断歩道を渡っているところだった。
小学生が歩いて行く方向__左を曲がれば、小学校にたどり着くのだ。
……この道が、過去にさかのぼることができる道ならいいのに。
そうやって、過去の小学校に、簡単に行くことができたなら。
けれど、現実的な話。
過去に戻れる道なんてものは、存在しない。
小学生の渡り切った道の歩行者信号が、青から、赤に変わった。
目線を前に向けると、私の前にあった歩行者信号が、ゆっくりと、赤から、青に変わっていく。
こっちに……行きたいわけじゃないのに。
私は、左の道に曲がりたいのに。
けれど、理性が本能を抑えた。
ペダルに足をかけると、仕方なく、前へ進んで行く。
横断歩道を渡った先は、川の上にかかる橋だった。
眼下には、朝の冷たい水が、勢いよく流れていて、ざあざあと音を立てている。
透明な水が、岩肌に当たって、白い飛沫を上げた。
橋の下ばかり見ていても危険だと思い、顔を上げる。
橋を渡った先には、道路と、りんごの果樹園と、住宅街と、線路と__その向こうに、青色に包まれた街。
どこからか、風に乗って、車や電車が走る静かな音が聞こえてくる。
……あの街には、新幹線もあるのかな。
人も、大勢いるのかな。
キッ。
自転車を止めた。
橋を渡り切って、新たな十字路に差し掛かったのだ。
この十字路には__信号がない。国道と、住宅街の間を通る、狭い道が交わった十字路だから。
左を曲がって。
この国道を渡り切って。
真っ直ぐ狭い道を行けば。
中学校にたどり着く。
また、今日も絶望する。
自分が、波奈以外の誰にも愛されていないことを__誰にも、興味を持たれていないことを、突き付けられる。
……もう、そんなの嫌だよ。
中学生になったら。
もっと、交友関係が広がると思っていた。
小学生の頃の仲間とも、より絆が深まって、新しく見知った人たちとも、仲良くなれるのだと思っていた。
けれど、ちがった。
私だけが、着いていけなくなっただけだった。
この十字路からは、いろんな景色が見える。
川に、畑に、田圃に、住宅街に、高架に、電信柱。
左側には、数か月前まで通っていた小学校。
右側には、遠い山のふもとにある、青色の街。
__私、もっと愛されたいよ。
波奈だけじゃなくて、いろんな人から愛されたい。
思い浮かんだのは、小学生時代の思い出。
プールの授業で、話しかけてくれた美里ちゃん。
図工の授業で、アドバイスをくれた柳沢くん。
図書館で、一緒に話した奏ちゃん。
体育の授業で、ハイタッチをし合った陽介くん__
もっともっと、小学校には、誰かと笑い合った思い出がたくさんある。
私が科学者になるのが夢だって言ったら、「応援してるね」て、クラス中から言われた思い出がある。
けれど、そんな大事なクラスメイトたちも、今じゃ、第二小の新しい仲間に夢中で、誰も私なんかに興味はなかった。
__私なんて、いても、いなくても同じじゃん。
私が一人いなくなったところで、誰も気になんてしないよ。
もう、心が寂しい。ずっと、心に穴が空いたみたいに。
私__誰かと繋がりたいよ。もっと、たくさんの人と仲良くなりたいよ。
それに、ダンスの練習なんて、やりたくないし。
____もう、限界だ。
キッと。
気づけば、自転車の向きを、左側から、前方向へ変えていた。
ぐんぐんと、自転車を走らせる。
「え?」
自分でも、自分の行動に驚いた。私は今、いつも走っている道ではなく、今まで通ったことのない道を走っている。
見たことのない景色。嗅いだことのない香り。触れたことのない、空気の感覚__。
息が吸えた。世界に色がついた。体が軽くなった。
私は、自然と笑えていた。作り笑いじゃなくて、心の底から笑えていた。
__こんな感情を求めていた。
知らない道を、真っ直ぐに進んで行く。
私は今から、あの青くて、遠い街に行く。
そして、自分だけの世界を、作るんだ。
