藤嶋楓(ふじしまかえで)にとって、オフィスでのお昼休みは大変楽しい時間である。

今日もデスクトップパソコンの陰で座敷童子並みに気配を消し、黒縁メガネの奥の大きな目を輝かせながら人間観察に勤んでいる。

視線の先には、同じ経理課の先輩、山口桜(やまぐちさくら)。

ちょうど近くのコンビニでランチを調達して戻ってきたところだ。
 
楓の四年先輩の山口は、ふんわりとした茶色い髪にぱっちりおめめ、ツヤツヤの唇、買ったばかりだというキャメルのコートがよく似合っている。楓が大好きなアニメの実写版ヒロインそのものだ。
 
創業80周年を迎えたばかりの老舗文具メーカー『ウエムラ商会』の本社ビル、築60年の昭和レトロな社屋の入口から、ふんふんふんと鼻歌を歌いながら歩いてくる。

「山ぐっちゃーん!」

自席に着く直前の彼女を呼び止めたのは企画課の男性デザイナー、太田(おおた)だ。

「ねー、あの懇親会、なんで経費で落ちないの〜?」
 
午前中に山口が『経費精算不可』の赤いハンコを押して突き返した件だろう。
 
山口が足を止めて、可愛い見た目に不似合いな忌々しい表情になった。

「太田。当たり前でしょ、あんなのただの合コンじゃん。経理、舐めんな」

「合コンじゃないよ、れっきとした営業! 相手はあの高宮百貨店のお姉様方だよ? 高宮百貨店、うちの最重要顧客でしょ?」

「バカじゃないの? 美容部員でしょ? うちの商品のなにをアピールするのよ」

「うーん? 油彩の筆とか?」

「メイクはアートじゃねーわ」
 
これこれ、このツッコミ、と楓はひっそり笑う。
 
山口のこのギャップが楓はけっこう好きだった。

「彼女探しは自費でお願いします」

「もー、そんなこと言って〜。あーわかった! ぐっちゃん、やきもち焼いてるんでしょ」

「はぁ? なんで私が」
 
太田は、くせ毛風パーマの髪におしゃれメガネのイケメンだ。口を開けば嘘か本当かわからないことばかり言っている。
 
同期入社で犬猿の仲と言われているふたりは、いつもこんな調子だ。
 
総務課の社員が、「太田くんがんばってー」と言いながら通り過ぎた。