夜もすがら星飛ぶ空に見守られ、寝静まった道を気紛れに闊歩する。

 世界にひとりきりだと錯覚してしまいそうな夜に少女は満足し、自身を丸裸にする丸い月に笑みを向けた。ゆく宛はない。透明な月の道標を追うだけ。

 夜と同色の黒を靡かせる少女は、皮肉じみた真っ白なワンピースを纏っている。ふわりと揺れる裾で夜を挑発し惑わせていた。

 
「おはよう」


 背後で、色気のある声が囁かれた。

 強制的に意識を搦めとる甘い声に振り向けば、人外っぽい妖しい笑顔を浮かべる男がサングラス越しに少女を捉えている。危険の注意書きが酷く似合う男。

 こうして少女が散歩に繰り出す度、どこからともなく現れる謎の男。


「おはよ」
「どこ見てんの? 俺見てやり直し」
「……」


 目を見て挨拶をしろ、と夜に必要ないサングラスをかけた危ない男が言うので少女は仕方なく従う。


「……(らく)、おはよう」


 薄く色付いたレンズ越しに目が合えば、途端に柔らかく緩む眦。少女に樂と名を呼ばれた男は心底嬉しそうに歩み寄っていった。


「また深夜散歩?」
「今日はすごく涼しいね。夜風がきもちいいよ」
「……この会話が一方通行な感じも久しぶりだな」


 懐かしそうに目を細める男だが、久しぶりというほど月日は経っていない。眠らない少女は歩幅を合わせて歩く男を横目に記憶の蓋を開ける。

 出会ったのは数ヶ月前。

 布団の中で眠らない夜を過ごすより、月と星空に見つめられて夜を過ごしたいと、少女は家を抜け出した。

 そして、どの角度から見ても妖しさ満点の男に「おはよう」と夜には似つかわしくない挨拶をされたのが名もない関係の始まり。

 それから何度家を抜け出しても、この男と会う。道を変えようと時間を変えようと、絶対に遭遇する。だから少女は諦めたのだ。


「肉まんとアイスどっちが気分?」
「俺はね、肉まん」
「じゃあアイス食べよ」
「……仰せのままに」


 一見怖そうな見た目をしてる男だが、幼さの残る少女に振り回されて怖さが半減している。

 24時間営業のコンビニに連れていかれ、当たり前のように甘ったるいアイスを2人分買わされた男と平然としてる少女を前に店員は素で困惑した。

 再び、誰もいない夜道をアイスを齧りながら進む。


「樂、それなんの味?」
「勝手にバニラとイチゴのアイスをレジに持ってったのどこのだれ? お前が食べてる味は?」
「バニラ」
「ん、俺が食ってる味わかったね」


 変な会話と言われたら変な会話だ。でもふたりの間では成立している。

 頭をよしよしと撫でられた少女は、舌の上でバニラを溶かした。


「吸血鬼みたいって言われない?」
「……わたし?」
「うん、漫画とかでラスボスとして出てきそう」
「漫画とか読むんだ」
「俺をなんだと思ってんの?」
「ヤクザ」
「ふ、当たってんな」


 視線は道なりに真っ直ぐ、あっけらかんと言葉を返してきた男に少女は無反応で対応した。

 代わりに、男が質問を投げかける。


「予想してた?」
「深夜に必要のないサングラスを掛けてる男がまともなわけない」
「それ、偏見だよ」
「偏見じゃなかったよ」
「……確かにな」
 

 くつりと喉を震わせる男は楽しげだ。自分よりも年下の少女に好き勝手言われ、冷たいアイスを食べさせられても尚、嬉しそうに口端を上げている。

 男の耳朶で揺れる2連のピアスを見上げ、少女は自分のどこが吸血鬼っぽいのか、またラスボスっぽいのかを真剣に考えた。

 わからない。


「樂の想像する吸血鬼ってなに?」
「ん〜?」


 早々に答えを求めた少女に、男は適切な言葉を脳内で探す。お互いのアイスは残り半分ほど。


「綺麗で絵みたいな見た目した無垢な女の子がいちばん怖いだろ」


 少女はぱちくりと瞬きをして、まん丸な月と同じ形に目を見開いた。

 珍しく驚いた顔を見せる少女に、男は小気味よいとまた口端を上げて、赤い舌で溶けてきたアイスを攫う。


「漫画に出てくる無垢でかわいいロリ吸血鬼は、ラスボスなのが相場」
「……それ、偏見でしょ」
「偏見じゃねえよ」
「わたし、吸血鬼でもラスボスでもない」
「俺的には、お前がいちばんのラスボスだよ」


 言い切る口調に、少女は眉根を寄せた。

 少女よりも背丈の高い男は流し目で妖しく笑う。

 まるで子ども扱いされてるような微笑だ。悔しい感情に襲われた少女は衝動的に男の腕を引っ張った。

 そのままの勢いで、ガブリ。歯を立てる。

 刹那、静寂という夜の怪物が辺りを支配した。


「……それじゃあ、歯型残んねーよ」
「……」
「もっと、深く噛んで」


 このヤクザ、気味が悪い。

 少女はムカついたら血が出るまで噛もうと思っていたが、予想の斜め上をいく男の反応に、訝しみながら歯を離した。

 しかし、男は更に気味の悪い行動を続ける。


「あま」


 少女の仔猫のような歯型に舌を這わせ、ささやかな甘さを舐めとった。予期していないバニラ味の共有に少女は眉間のしわを深くする。こいつは変態だ。

 暗黙の了解みたいに自ら引いていた線を、男は飛び越えてきた。良き隣人として過ごしていた夜を壊す言動に少女は戸惑いを隠せない。


「……なんで」


 残りひとくち分のバニラが指を伝った。

 少女の問い掛けに、男は最初から答えを用意していたのだろう。


「お見合い? お前が他の男のものになるとか冗談じゃねえよ」


 指先からバニラを飲み干した男が、冷たく言い放つ。

 突き刺さるような執着と恋慕に、少女は小さく息を整えた。察しが悪い奴は死ぬ。そういう世界で少女も息をしている。


「お目付け役が本家のお嬢に恋?」
「わるい?」
「パパに殺されると思う」
「出世するわ」
「多分、敵だらけだよ」
「だろうな。頑張りたくねえからヤクザになったのに」


 そうぼやく男は年相応で、少女はようやく肩の力を抜いた。

 バニラより甘い空気に酔ってしまいそう。


「がんばって、上手に口説いてね」


 男の指からは、イチゴの味がした。


「愛してるよ、俺のお嬢」


 あながち間違っていないラスボスに、男は愛の言葉を贈って微笑んだ。


end.