この世界がつまらない――いつからかそんな思いが、頭の中を漠然と支配していた。朝起きて、ご飯食べて、学校行って、勉強して、家帰って、漫画読んで、ご飯食べて、宿題して、寝る。
 そんな毎日の繰り返し。
 そんな平凡世界の繰り返し。
 そこから脱却する唯一の方法、それはズバリ……()()()()()ことだと、最近思いついた。
 でもわからない。そもそも青春とは? まずはそこからなのだ。あいにくその材料と成り得る友達もいなければ、恋人もいない。ただの少女漫画好きの陰キャだ。自分で言うのもなんだが、最も青春から縁遠い存在だと思っている。
 少なくともわかっているのは、今の生活とは、遠くかけ離れていることくらいだ。

 ――終わらせるんだ、こんな世界。そしてお前は……

「……………………だれ?」
 
 七月二十四日。青式回斗(アオシキカイト)は寝ぼけ眼であたりを見渡す。自分の机が目の前にある。校舎の窓から差し込む太陽の光が、カーテンと混ざって教室の床に白色の模様を描いている。時刻は午後四時を指している。
 机の角に刻まれた誰かの落書き、
 黒板に残されたチョークの白い粉、
 右斜め前の席の高木くんが忘れていった体操袋。
 すべてが、あまりにも()()()()()()()()()()()()()()
 そして先程頭に響いた声も。すごく大事で、大切なはずなのに……思い出せない。ズキズキと突き刺すような痛みによって、これ以上考えることが阻害されている。
 
「まさ、か……」

 ――デジャヴだ。この感覚、回斗は味わったことがある。いや、味わっている。心臓がドクンと跳ね、頭の奥で何かがカチリと音を立てる。
 窓の外を三羽の鳥が羽ばたいている。続いて廊下を歩く誰かの足音。誰が来るかは、予想できていた。

「……………………おい……式、青式!」
「……は、はい。なんですか?」
「なんですかじゃないだろ。ずっと声かけてんのにお前、魂抜けてるみたいだったぞ?」
「…………はぁ」
 
 回斗は頭がぼぉーっとしてしまい、ほかに発したい言葉があっても言語化することができなかった。寝起きのせいだろうか。
 それよりなんでさっきは、先生が来ることが予期できたのだろうか。解らない。
 
「何寝ぼけてんだ? まぁ昼のクソ暑いときと比べるとかなり涼しいし、眠たくなる気持ちは分からんでもないがな。教室そろそろ閉めるんだ。続きは家で、ほどほどにな?」
 
 回斗はノロノロと亀のような手つきで帰る準備をする。やがて教室を出たあと、廊下にガチャリと施錠する音が響く。だんだんと小さくなっていく先生の背中を、ぼんやりと見つめていた。
 そもそも正直な話、どうして一人教室で眠っていたのかすら解らなかった。いつもなら放課後、学校にとどまることなく真っすぐ帰るのに。
 回斗は等間隔に落とされた陽光を踏みながら、あてどもなく進む。とにかく進む。時折、まぶしさで手を目元に翳しながら。
  
「……何やってんだ? オレ……」

 そんなことは、回斗自身が一番知りたかった。とりあえずは家に帰りたい。すぐにベッドに横になって、母親か父親の声で目が覚めたら遅めの夕食を食べよう。今日は中華料理の気分だ。回鍋肉か麻婆豆腐がいい。
 そしてめんどくさいが宿題をパパっと終わらせたら、お楽しみの漫画時間だ。最近はベッドに入りながら明かりは最小限に、寝落ちするまで読むのがルーティンになっている。
 ()()()()()()――と回斗は謎の確信を持っていた。その確信の理由も、解らない。解らない。解らない。
 わからない星人になりかけていたその時、廊下の突き当たり付近、三人ほど人影が見えた。その中の一人に……回斗は強く心惹かれた。

「あっ、せんぱ――ヴゥ!?!?」

 まるでタイミングを見計らったように突然、息ができなくなった。どうしてか解らない。でもできないと言ったらできないのだ。
 この感覚は――水の中?
 口を開けて酸素を取り込もうとしても、代わりに水流がなだれ込んでくるようだった。回斗は苦しさのあまり、床に倒れ込んだ。
 
「行かなきゃ……先輩の……ところに……」

 こんな状況であるにも関わらず、回斗は依然として目的を変えるつもりはなかった。それどころかさっきより強固な心を持って、根性だけでもう一度立ち上がった。先輩――春風廻瑠(ハルカゼメグル)が消えた廊下の曲がり角へと歩き始めた。
 最終的な目的地に、回斗は一つだけ心当たりがあった。帰れない理由に確信があるように、そこに行けばもう一度、先輩に会えるはずだと思った。
 学校の裏口から外に出て、ぐるりとグラウンドに沿って歩いていく。不思議なことに、今の時間帯ならサッカー部の練習やほかにも陸上部の外周している風景を見れるはずだが、まるで切り抜かれたようにして無人の空間が広がっていた。
 違和感を感じつつ、回斗がたどり着いたのは体育館裏だった。ここは昼間の溶けるように熱い外で授業をしている生徒たちが、一時的に避難するオアシスのような場所だ。木の陰から事の成り行きを見守る。やっていることはほとんどストーカーだ。
 内容を聞き取るのに夢中になって、回斗は溺れかけたときの感覚が消えているのを忘れていた。
 
「春風ーッ! ここに来たってことは覚悟できてんだろーなァ?」
「お前は少し協調性というのを覚えたほうがいいんじゃないかー?」
 
 なにやら先輩のほかに、もう二人の女生徒がいる。リボンの色から、同じ上の学年であることが分かった。
 一人はまるでバランスボールでものみ込んだかのような球体で、あとやたらとふくらはぎが太もも並に太いのでドムと呼ぼう。もう一人は百七十センチ以上ある回斗よりも身長が高く、顔や腕がこんがりと日焼けしているのでポッキーと呼ぼう。
 
「うっさいなぁ。いちいち過ぎたことをグチグチと……」
 
 先輩は眼中にすら入れてないのか、心底不機嫌そうにスマホをタップしていた。中性的な顔つきをしている。背中にかかったロングヘアに凛々しさを感じる切れ長の目、そこについている涙ボクロが印象的だ。
 回斗の憧れの人であり、好きな人。だが告白はしない。するつもりもない。ただ遠くから眺めているだけで満足していた。

「あれ……? 先輩……」
 
 先輩の姿が、一瞬びしょぬれの状態になって視界に映った。髪も制服も腕も足も。見間違いかと思い目をこすると、元の姿に戻っている。一体何だったのだろうか。
 ドムとポッキーは「おちょくってんのかテメー!」や「ナメてんじゃねーよ!」など言葉の暴力を浴びせている。普段なら怖いと思うはずだが、回斗の心はまるで凪のように落ち着いていた。それはなぜか。やはり見たことがあるから。
 その安心感がそうさせたのか、気づけばもっと話し声が聞こえるように近づこうと一歩を踏み出したその時――グシャリと大きな音が響き、右足の裏に違和感を感じた。空き缶だ。
 ハッとした表情で回斗は面を上げると、そこにはまるで般若のお面をかぶったかのように凶悪な顔つきをしたドムとポッキーがいた。  
「何見てんだテメー」や「見せもんじゃねーぞ」と声を荒げながら近づいてくる二人。回斗は身動き一つできず、また声を出すこともかなわなかった。喉に隙間なく蓋をされたようで息が苦しい。
 一歩ずつ距離を縮められながら、脳裏に過去の苦い記憶がよみがえってくる。
 異性とうまくしゃべれなくなってしまった原因。()()()()を発症してしまった理由。
 
「……あっ、あああっ…………あっ」
「…………」
 
 ドムとポッキーの肩の隙間から、先輩の顔が見える。いつも見かける憂鬱そうな表情。でも少しだけ、ほんの少しだけだが――顔にかかっている影が濃い気がした。
 それに気づいたからか、回斗は自分でもわけのわからない行動をとっていた。
  
「っ!!」
  
 気がつくと、自分の身体は理解の範疇を超えるほどの力で地面を蹴り上げており、一瞬のうちに二人の脇を通り抜けていた。
 ドムとポッキーは予想できなかった動きなのか、最初は啞然としていたが、すぐに最初に見たときのような般若のお面の顔になって追いかけてきた。
 回斗は怒声を背中で聞きながら、猛然とした勢いで駆け出していく。運動は得意ではないはずなのに、今はまるでトップアスリートにでもなったかのように軽やかに動くことができた。

「せっ、せせせ先輩!!」
「…………」
 
 先輩の顔は相変わらず、憂うつそうな表情のままスマホに目を落としている。その顔をちょっとでも晴れさせたいのに、言葉を紡ごうとすると、まるで極寒の地にいるような声になってしまう。
 いや実際、回斗はあの瞬間だけ極寒の地にいたのかもしれない。そして頭がイカれてしまったのだ。そうでなければ、あのタイミングであんなセリフなんて言わないだろう。
  
「オレと――デデートして、くれませんかっ?」
「……!」
「「…………は?」」
 
 ドムとポッキーは、まるでイチゴ大福と書いてあったのに食べてみるとただの大福だったかのような顔をしている。納得の反応だ。
 回斗自身も最初、自分は何を言ったのかと理解できなかった。たったさっきの記憶を掘り起こす手が震えていた。
 カッと目を見開く先輩の顔を見て、その手を止めることはできなかった。回斗は自分のような取るに足らない人間がデートを誘ってしまった事実を少しずつ、ゆっくりと飲み込んでいく。そしてまもなく、フッと意識が遠くなっていくのを感じた。
 おぼろげに二羽のカラスが飛んでいる空と雲を見あげながら、回斗はクラッと地面へと激突――しなかった。
 
「……へ?」
 
 遅れて意識が、今の状況を理解しようとする。解析の結果、回斗は右手にわずかだが人肌の熱を感じた。柔らかくてスベスベ、それにきれいな手だ。日光に照らされていることもプラスされていた。
 この手の正体はわかっている。だからこそ意味がわからなかった。どうして助けてくれたのだろう。回斗は視線を持ち主である人物へと向けた。
 
「――いいよ。行こう」
 
 と先輩はさっきまでの憂いを殴り飛ばしたようなさっぱりした笑顔で言った。瞬間的に頭の中は、まるで濁流にのまれた電子機器のようにショートしてしまう。
 あっさり。あまりにもあっさりすぎる。
 その答えが出ないまま、先輩に先ほど倒れそうになったときとは段違いの強さで再び強く手を握られた。
 それと同時に回斗は、まるで校門まで引きずられるようにして走らされる。全身で風を受けながら、これは果たして現実なのかと戸惑っていた。

「君、名前は?」
 走りながら先輩は、どこかうれしそうな表情を向けてきた。
「あ、青式……回斗です!」
 
 なんとかどもりを最小限に抑えて自己紹介することができた。しかしこれで終わりではない。後ろからドムたちに追いかけられているという状況は、何も好転していない。
 一体これからどこに行くのだろうか。回斗は頭に一つの絶対的な回答が浮かんだが、それを意識することなく()()()()()――

 *
  
「せ、せせせ先輩、どどうして……!」
「仕方ないだろ。一番近くでいいと思った隠れ場所がここしかなかったんだから」

 後ろから見た先輩の顔つきは至って落ち着いている。さっきからカーテンを少しだけ開けて、外の様子をうかがっている。まるで今の状況なんか何一つ気にしていないかのように見えた。
 対して回斗は、先輩の髪の毛の匂いと走ったことによる汗の臭いで、理性がバッグの奥に入れた有線イヤホン並みにグチャグチャになっていた。
 なぜならここは……近場のデパートの女性下着売り場だから。おまけに更衣室の中という密室空間で、先輩と二人きり。本来ならうらやましい状況なのかもしれないが、全然そんなことはない。それどころか意識を失う一歩手前だった。
 いつもは見ていることしかできなかったあの先輩が、今は簡単に手を伸ばせば届く位置にいる。その事実だけで頭がどうにかなりそうだった。

「ひゃっ!」
「ご、ごごごめんなさい先輩!」
「な、なるべく動かないで。私も動かないから」

 つかの間、手にペタリと温かく湿った感触が伝わった。回斗は何に触れたのかと考えるより先に謝った。具体的に触った箇所は考えないほうが、理性のためだと思った。
 広さの関係で回斗は、常時壁に張り付くようにして身体を寄せないといけない。少しでも力を緩めると先輩の身体に是が非でも当たってしまう。今でさえ制服越しだが、スリスリと布同士が擦れあう音がかすかに聞こえる。一瞬の油断も許されない。
 先輩に嫌われたくない。そのたった一つの気持ちだけで何とか持ちこたえている状況だった。

「クソッ、ここらへんにいるはずなんだ……」
「あんなに貶しといて、そのまま逃げられると思うなよ……!」 
 
 さっきから薄いカーテン越しから聞こえる、ドスドスとガ◯ダムのような足音。回斗は驚きと恐怖で、ゴクリと生唾をのみ込んだ。先輩がそっとカーテンを閉める。そして頭だけ振り返ると、見えるようにシーッ! と唇に人差し指を当てて合図してきた。
 ブンブンと無言で首を縦に振る。ここはおとなしく帰るのを待つしかない……と考えたその時だ。

「ここか!」
 と回斗は音からして三つほど右隣にある更衣室のカーテンレールが、シャーと勢いよく音を出して開けられていることを理解した。今度は先輩の生唾を飲み込む音が聞こえた。
「ど、どどど、どどどどっうするんです……!」
 
 回斗はいつもより五割増しにどもっていた。ここを開けられるのも時間の問題だ。そんな状況では、むしろ慌てないほうがどうかしているものだ。
 しかし先輩は、そのどうかしているの部類に入っているようだった。それどころか……微かに口角をニヤリと上げて、まるで今の状況を楽しんでいるように見えた。
 
「任せて、大丈夫だから」
 
 と先輩の声はクラスに一人はいるたちの悪い悪ガキのようだった。回斗は怖くて目を閉じてしまう。信じたいのは山々だが、自身の心の弱さがそれを許さなかった。
 サラサラと闇の中で音がこだまする、聞く限りでは、何やら髪の毛をいじっているようだった。何か手伝ってあげたい気持ちはあるのだが、今はただ先輩の言葉に従うことしかできない自分がもどかしかった。
 
「いい? これからやることに対して、絶対に声を出さないで」
「……え?」
  
 と突如先輩から出た一言に訳がわからず目を開けたその時――プニっとした柔らかい触感を、回斗は鼻の下あたりに感じた。少しの水分と、わずかな熱を含んでいる。叫び出したい衝動を抑えて次に理解したのは、眼前すべてに広がる先輩の整った顔。目を閉じている姿はとてもきれいで、眠っている白雪姫を見た王子様の心境が分かったような気がした。
 それと同時に、更衣室のカーテンが開けられる。だが中の様子をみるやいなや、
 
「ご、ごめんなさい!」
「失礼しましたァ!」

 とさっきまでの常に怒りの感情が混じっていた声とは打って変わって、恥じらいを持つ年相応の乙女のような声を出して急いでカーテンを閉めたドムとポッキーは、その場をあとにしていった。
 回斗は唇を離された直後、壁に背中をこすりつけるようにしてその場にへたり込んだ。少し視線を上げれば、先輩のスカートの中をみることも容易かったが、そんな気力も、性欲も、まったくわかない程に疲れた。とにかく疲れた。

「名付けて、更衣室を行為室にしちゃおう作戦! いやーうまくいったみたいでよかったよかった」
「せ……せっせっせっせせ先輩のの、く、くち、び…………」

 遅れて恥じらいがやってくる。鼻の下あたりを触ると、まだ湿り気と温度が残っている。それがさっきのウソみたいな出来事を真実だと教えていた。スカートの中をみないように目をつむった状態で立ち上がる。先輩の方を見て理解した。ドムとポッキーが欺かれた理由を。
 先輩の髪型はロングヘアとは違って、ヘアゴムによってポニーテールと化していた。さっき回斗が目を閉じていたときに聞いたのは、髪を結んでいたとき音だったのだ。
 髪型さえ偽装してしまえば、あとは顔でも見られない限りは別人とごまかす事ができると考えたのだろう。極めつけは、なんといってもさっき言った……その……行為室、なのだろう。
 
「せっかくのデートだ。まだ始まったばかり、だろ?」
 と更衣室の外を出たあと、回斗を促すように先輩は手を差し出してきた。その顔はまるで、仕事の山場を乗り越えたあとのようにスッキリとしていて、一点の曇りもない澄み切った笑顔だった。
「は、はぁ……」

 それを見て回斗は、先輩の知られざる一面を垣間見た気がした。普段の先輩は、こんなふうに笑わない。デートに誘ったときもそうだった。もしかして……もしかして……
 自分にだけ見せてくれた、もう一つの顔?
 きっとそうだ。そうに決まっていると強く思った。自分が今一番浮かれているという状況すら知らずに、バカみたいに舞い上がっていた。しかしこれはしょうがないことだと思う。なぜなら人間は不幸せなときに幸せについて考えることは多いが、幸せなときに不幸せについて考えることはほとんどないからだ。
 
「ん? どうした? 私の顔に何か付いているのか?」
「い、いいいえ! ななんでもないです!」 
 回斗はポニーテールの先輩に見惚れてしまっていた。髪型一つでここまで印象が変わるのかと驚いた。 
「っ、つつ次、ゲームセンターとっかどどうですか?」
「いいね。久しぶりにクレーンゲームやりたい」

 先輩は一度も、回斗のどもり症について触れなかった。気まずい顔一つ見せず、ずっと子どもみたいにはしゃいでいる。それがたまらなくうれしくて、もう一つの顔という意見が現実味を帯びてきた。
 ゲームセンターに服屋、雑貨店など本当に色々な店をぶらりと回っていく。特に何かを買うわけでもなく、時間をつぶしていく。自分一人だけなら気にもとめない一時だが、そこに先輩がいるだけであたり一面に花が咲き乱れたようだった。
 最後の目的地として本屋に足を運んだ。たくさんの老若男女で溢れている。ライトノベルが売っているコーナーでは、回斗と同じく十代の若年層の男女たち。純文学や自己啓発本などには高年層たちが多くたむろしていた。
 先輩は花から花へと飛び移るミツバチのように、一つのコーナーに立ち止まることなくいろんな本をみていた。今は児童書のコーナーで小学生ほどの男の子と一緒に立ち読みしている。その姿が何ともほほ笑ましかった。
 その隙に回斗は、目当ての品がある漫画コーナーへと急いだ。周りを見てみると、やはり客のほとんどは女性ばかりで、自分が異質な存在だと思ってしまう。少女漫画ばかりが並べられているので、それも仕方ないが。

「あった……最新刊……!」
 
 思わず声が漏れてしまうほどに喜びを隠しきれない回斗は、一冊の本を手に取った。タイトル名は、『最高のゴールを目指して』。この本は少女漫画特有の不器用な恋愛模様に、時間逆行(タイムリープ)のSF要素が合わさった稀有な作品だ。
 この世界に退屈している主人公の赤羽が、ある日転校してきたヒロインの江藤に一目惚れする。紆余曲折を得てようやく付き合えたのもつかの間、江藤が何者かに殺されてしまう。だがヒロインが死んだのと同時に主人公にタイムリープの能力が備わって……というストーリーなのだが、これがここ数年で見てきた漫画の中で一番面白い。
 伏線の張り方、キャラの魅力、ストーリーのテンポの良さ、どれをとっても一級品。にもかかわらずアニメ化されないことが、回斗は不思議でならなかった。
 すごく売れ行きがいいのか、いま置いてあるのは回斗が持っているその一冊だけだった。できればこのままレジに並んでしまいたいところだが……その姿を先輩に見られてしまう事態は、どうしても避けたいと思った。 
 ただでさえ回斗は、どもった声を聞かれすぎた。そろそろ、いや、すでに奇人のレッテルを貼られてしまっているだろう。それなのに少女漫画が好きだなんて趣味がばれてしまったら、恥の上塗りもいいところだ。そう思い、いやいや本を棚に戻そうとした時、

「買わないの? それ」
「ワァッッッ!!」
 情けなく女の子のような情けないくらい悲鳴をあげてしまい、周囲の注目を買った。肩をすくめて小さく、「すみません……」と謝る。 
「な、ななっんで先輩がここに……」
「好きだから」
「っ!?」
 甘いやりで一突きされたような感覚。回斗はたとえ言われている対象が自分じゃなくても、その言葉はとても心臓に悪かった。
「その本、つい最近漫画賞を取ったって話題だから読み始めてみたんだが、すっかりファンになってしまってな」
「へ、へ変、ですよ、ね。しょ、少女漫画好きの、お、男、ななんて……」
 
 回斗は自嘲的な笑みを浮かべながら頭をボリボリをかきむしる。先輩はしばらく黙った後、「ファンだったら……」と言葉を発した直後、突然手に持っていた漫画を取り上げてしまった。
 ペラペラとページをめくり、中身に目を通していた。とっさに漫画を取り戻そうとしたが、まるで風にそよぐ風鈴のような身のこなしですべてかわされてしまった。
 距離にして約一メートルほど空けられたところで、急にまたしても先輩は手を差し出してきた。その瞬間、ドクンと回斗の心臓がトランポリンのように跳ね上がるのを感じる。
 まただ。最初に教室をみたときと同じ、デジャヴ。いったい何なんだこれは?
 それにこれから先輩がどんなセリフを言うのかが、手に取るように分かる。回斗は予知能力にでも目覚めたのかと思った。 
 
「進むのは怖いか? 安心しろ。俺だって怖い。けどそんなの当たり前なんだ。それにお前自身、動かないといけないことは誰よりも分かってるはずだろう。行動しない理屈を考えるより――」
 
 パシンッ! と気持ちのいい音が響く。回斗は考えるよりも早く、先輩の手を握っていた。その場面は物語でも特にお気に入りのシーンのシーンだったため、周りに見られている恥ずかしさよりも先に、作品を好きな気持ちが勝ってしまった。
 そして次のセリフは、数ある名言の中でも印象に残っているものだった。
 
「先に、動いて、しまえば……いい」
 
 このタイミングでようやく、周りの客がヒソヒソと回斗たちに訝しげな視線を向けながら話し始めていることに気づいた。内容は言わずもがなだろう。
 足のつま先から下半身へと、羞恥心がうねうねと毛虫のように移動しているのを感じる。我慢できず叫び出したいと思ったその時、先輩の両手ががっしりと回斗の両肩を捉えた。
  
「めっちゃ名シーンだよね! 主人公の赤羽がタイムリープ能力を失ってやけになってたとき、事情を知らない親友の夏樹が、かつての赤羽が放った同じセリフで背中を押す場面!」

 グラグラと先輩は、まるでひまわり畑で戯れる少女のような笑顔で回斗の肩を揺らしてきた。触られた箇所から、ジワジワと非現実である感覚が湧き上がってくる。
 自分が少女漫画の読者であることを、初めて感謝した気がした。今までは他人に打ち明けまいとしてきた趣味が、まさかこんな形で接点となったことが、素直にうれしかった。

「わかってくれたようで助かった。これでもし君が言ってくれなかったら……うっかり首を絞め落とすところだった」

 最後の方の口調は塩を振りかけられた氷くらい冷え切っており、回斗は動揺を悟られないように笑って受け流した。
 それに乗ずるようにして、初めて先輩と出会った頃のことを思い出す。
 長年使われていない机や椅子が置かれた階段下のデッドスペースに、先輩は眠っていた。それを知らずに回斗は足音を大きく立てた状態で降りてしまったため、起きて機嫌がすこぶる悪い状態と目が合ってしまった。
 回斗は蛇に睨まれた蛙って、こんな感じなのかと恐怖した。しかしそれと同時に一目惚れしてしまった。自分でもおかしいなと思う。
 学校内ではいわゆる不良の生徒と認知されており、遅刻は常習犯、授業をサボったりすることも当たり前らしい。うわさの域を出ないが、目が合ったあのとき、それは真実だと思った。
 でも……今回斗の目の前にいるのは、先輩であって、先輩じゃない。年相応に娯楽を心の底から楽しみ、かわいげのある笑顔を浮かべている。
 目が釘付けになっていた。ますます期待してしまう。気持ちが肥大化していく。抑えが効かなくなっていく。

「先輩は……ズルいです」
「え? なんで?」
 本当に回斗の気持ちがわかっていないのか、まるで先輩は東大生ですら解けない知恵の輪を渡された時の五歳児のような顔をしている。
「い、いいやっ、別に……忘れて、くだ、さい」
「もしかして……君が夏樹のセリフ言いたかったとか? そうだろそうだろ〜!」
 
 と先輩はニヤニヤした顔つきを作りながら、人差し指で回斗の頬をグリグリしてきた。あまりにも的外れすぎて何も言えなかった。
 ――だからこっちも、的外れなことを言ってやろうと思った。無意識に、先輩に影響されていたと思う。
  
「違い、ますよ。あと、せせ、先輩」
「なに?」
「オレは、君じゃありません――青式回斗です。回斗って、呼んでください」
 
 しばらくポカンと口を開けていた先輩の頬が、突如として紅色に染まる。まさかそんなセリフを聞くなんて思っていなかったのだろう。回斗は若干だが、先輩と後輩という上下関係を覆せたような気がした。
 そしてそれを決定づけるようにして、先輩が一言。
 
「わかり、まし、た――」

     *

「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」

 まるでデパートを出てからずっと、息を止めているみたいだった。意を決して回斗は自然公園まで先輩を誘ったまではよかったものの、その後のプランを何一つとして考えていなかった。さっきから足音と周囲の人間の声だけが響いている。
 この場所は園内に手漕ぎボートが乗れる大きな湖があったり、美術館や図書館などの公共施設もある。特に昼間は小さな子供や親御さん、昼食をとるリーマンたちで賑わっている。 
 デパートと同じ要領で園内をぶらつき続ける。噴水を眺めたり、戯れている小学生ほどの子どもたちを眺めたり、犬と散歩する老人を眺めたり……少なくとも回斗は楽しかった。だがそれだけじゃだめなことぐらい分かっている。
 本当は先ほど言った手漕ぎボートや美術館などに行くべきだったのだが、デパートでの出来事で力を使い果たしたのか、そこまで頭が回らなかった。おまけに本を買わなかったことも悔やまれる。そんな無為な時間を過ごしているうちに気がつくと、時刻は六時を回ってしまった。

「……回斗」
「は、はい、なんです――」

 と言葉を続けようとしたその時、何の前触れもなく先輩が手を握ってきたかと思うと、そのままドムたちから逃げたときと同じように身体を引っ張られた。
 ――恐怖はなかった。教室の時のデジャヴと同様、これから先輩が何をするかが頭の中でひらめいていた。
 舗装された散歩コースから抜け出て、整備されていない木々の間を通っていく。だんだんと人けがなくなり、うっそうと雑木林が生い茂った中途半端な位置で先輩は足を止めた。
  
「ど、どうし、たんですか? 先輩……」
 回斗はわかっているが、一応確認のために訊く。
「…………」
 先輩はうつむき、何も答えようとしない。風でそよぐ葉音だけが耳にこだましている。それが回斗からしたらじれったくて、もう一度先輩と呼ぼうとしたら、
「今日は、本当にすまなかった!」
「…………え?」 
 先輩は、不祥事を起こしたフ◯テレビの社長並みに仰々しく頭を下げていた。その意図が分からず、鼻の下にキスされたときと同様に間抜けな声を出すと、 
「今日ドムとポッキー(アイツら)に追っかけられた理由、元はと言えば全部、私が悪いんだ。それを……どうしても謝りたくて……」
 
 要約するとこうだ。先輩は自分に告白してきた男子がいるらしく、名前を聞いてみるとそれは、学校でも一、二を争うほどのイケメンだった。
 だがその男子を、先輩はめちゃくちゃに貶したあげく、盛大に振ったという。追いかけてきたドムとポッキーは、その男子のファンクラブ会員らしい。今日追い回されたのは、そんな理由があったのかと回斗は知った。
  
「……別に怒ってないですよ」
「本当に?」
 先輩は上目遣い気味に真意を確認してくる。回斗はなるべく相手を安心させるような笑顔を作りながら、
「それどころか、その……感謝してるんですよ。もし、追っかけられることがなかったら、今みたいな時間は過ごせなかったですから……」
 
 頭の中では、今日一日の出来事がフルスロットルで駆け抜けてきた。
 試着室。ゲームセンター、服屋、雑貨店、本屋。たった一日で別人のように変わってしまった世界。回斗は混乱している一方で、果てしない高揚感も感じていた。
  
「……どうでもいいけどさ、」
 口元に手を当てる先輩。
「はい、何です?」
「どもり、いつの間に置いてったんだ?」
  
 と先輩に指摘され、今になって回斗は気がついた。どもることなくスラスラと言葉を発している事実に。いつもならのどに蓋をされているような感覚に襲われていたはずなのに、まるで風通しが良くなったみたいだ。
 理由はハッキリしていた。先輩と一緒に過ごせた時間。これしか考えられなかった。
 そんな想いが、沖縄の海に墨汁を垂らすようにして一気に広がったとき、表情がキリッと引き締まった感じがする。決意の顔だ。
  
「あの、先輩……」
「……なに?」
「ちょっと、自分語りしてもいいですか?」

 ――デジャヴが囁いた。今ここで話すべきだと。回斗は見えない何かに背中を押されるようにして、今までも、そしてこの先の未来も言うつもりなんてなかった心の内を話した。
 小学校三年生のとき、好きな女子がいた。だから告白した。そしてフラレた。ここまでならよくある話なのだが、回斗の場合はそこにイジメが追加される。
 たまたま告白した女子は性格が悪かったのか、その事実をクラス中の女子に言いふらして回ったのだ。その結果、常に冷たい視線を向けられるとともに、陰口を言われるようになってしまった。
 その日を境に、すっかり異性に対して連発型のどもり癖というデバフがかかってしまった。現在進行系で今も、クラスメイトの女子からはうんこの周りにタカるコバエをみるような目で見られている。
 一通り話し終えて回斗が最初に感じたのは、安堵の感情だった。話せば話すほど、まるでチューブなどを介して腹の底に積もった毒が吸い上げられていく心地よさがあった。

「そうだったのか……」
 と先輩はため息のような小さな声を発すると、
「にしてもその女子、とんだアバズレだな。せっかく告白なんて勇気出したのに、それを嘲るような真似して」
「…………え?」
 回斗はてっきり口には出さずとも、心のなかでののしられるかと思った。自分を擁護してくれるような発言は予想外だった。
「え? じゃないだろ。ひどいって思ったことがそんなに変か?」 
 と先輩はご飯を食べながら「飯はまだか?」と聞いてくるおばあちゃんのような表情をしている。
「勇気なんかじゃないですよ。ただの蛮勇です。実は告白する前から、ずっと失敗して後悔するかもしれないって考えはあったんです。自分とは釣り合わないくらいに可愛くて、人望もありましたから。
 でも逃げたらかっこ悪いなんてよく解らないプライドが働いて、弱い自分を奮い立たせた気分になって、ほんと、バカみたいですよね……」
 
 と回斗は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、無理やり笑顔を作った。まだ笑い話にできるほど強くないのに、虚勢を張った。
 あの時は後悔の直感に従うべきだったのに、それをしなかった。今更グダグダ言ったってどうにもならないのは知っている。それでも、頭で分かっていても、どもりが治ったとしても、心は、まだ……
 
「――それは違くない?」 
 と腕を組みながら首をかしげる先輩。回斗は思わず「え?」と口に出してしまいそうだった。
「ただの蛮勇じゃダメなのか? よく解らないプライドじゃダメなのか? 奮い立たせた気分だけなのは…………そんなにダメなことか?」
 まるで眼球の内側まで見透かすような鋭い視線で見つめてくる。回斗はそれだけなのに、まるで金縛りに遭った状態だった。
「そ、それは……」
「百回の戦で無敗、ただしすべての戦線から離脱している兵士より、百回の戦でちゃんと戦って百敗した兵士の方が、見どころあると思わないか?」
「先輩……」 
「そりゃ蛮勇は、勇気より劣った言葉かもしれないが……なんか勇気の進化前みたいでいいじゃないか。伸びしろを感じる」
 と先輩の言葉はとても呑気で、間抜けで、馬鹿みたいだが…………とても温かくて、優しくて、心が軽くなった。
「進化前って……ポ○モンじゃあるまいし」
 
 回斗は自分で言ってて、なんだか急に笑いがこみ上げてきた。あまり人前で笑わない性格なのだが、この瞬間ばかりはたかが外れていた。
 先輩はおかしなこと言った? と言わんばかりにポカンと口を開けている。その様子がおかしくておかしくて……ますます笑いのツボが深くなるばかりだった。
 たっぷり一分ほど笑い続けて、ようやく波が収まってきたころ、
  
「あの……ごめんなさい、急に笑ったりして。なんだか今まで悩んでいた自分が、すごくアホらしくなって」
「アホらしく?」
「さっき話したように自分は、後悔とトラウマを抱えて生きてきました。でもさっき先輩が話してくれたように、たとえ蛮勇だとしても、きっと行動することに意味があったと、そう思えました。本当にありがとうございます」
 今日先輩をデートに誘ったのも、勇気なんて大層なものじゃなかった。自分で気づいていないだけで、かなりの下心があったかもしれない。回斗はそれでもいいと思った。行動しない理屈をこねるよりは。
「どういたしまして」
   
 と先輩は小さく微笑を浮かべた。すでに時刻は七時を過ぎており、太陽付近の空は大火事のように燃え上がる赤色をしていた。
 夕風が先輩の前髪を揺らしている。回斗の心の風船は、すでにパンパンで破裂寸前だった。
 そうなってしまっている理由を知っていて、回斗はあえて無視した。今は思いがけず気持ちが高ぶっているだけだと。明日になればすぐにいつも通りに戻ると。自分に言い訳しながら。
  
「先輩、最後に一つ聞いてもいいですか?」
「ん? なんだ?」
「きょうはどうして、オレとの誘いに乗ってくれたんですか?」
 
 ついポロッと口をついて出てしまった言葉。回斗は聞くつもりなんてなかった。言わなきゃよかったと後悔した。
 このまま忘れられない青春の時間として記憶したかった。その裏の事情なんて知りたくなかった。だが一度口をついて出た言葉は、二度と当人の元へ帰ることはない。
 
「今日がこの街にいる、()()()()なんだ」
 
 今まで近くにいた、いると思っていた先輩が、ずっと遠くへ行ってしまった――
  
    *

 ――そ、そーだ回斗! この公園ってさ、ちょうど今ぐらいの時期にホタルの観賞会やらなかった? よかったら一足先に、一緒に見に行かない?
 
 回斗は先輩に連れられて、ホタルが出る小川へと進んでいた。コツコツと石畳の硬い感触が伝わる。まっすぐ南の方向をひたすらに進み続けると、木々の隙間から見えていたビル群すらも見えなくなった。森は一層深く、暗くなっていく。
 まるで天然のトンネルだった。薄く差し込む月明かりだけが唯一の道標で、後ろを見失わないようについていく。この場所は人間がほとんど手を加えていないせいか、キリギリスやコオロギの鳴き声が生き生きしているような気がした。
 
「暗いね」
「はい……」
「洞窟みたいで、ワクワクしない?」
「ワクワク、しますね……」
 
 といった回斗の声は、ひとかけらも楽しそうじゃなかった。先輩の言葉を思い出す。そのたびにチクリと針で心臓を突かれたようだった。
 回斗は発言の意図を聞いてみると、なんと先輩は今日を最後に別の学校へ転校してしまうのだという。だからその前に、何でもいいから思い出が欲しかった。それが誘いに乗った大きな理由だそうだ。
 そういえばドムが発したセリフで、「そのまま逃げられると思うなよ……!」というのは、単に逃げていたあの時を指していたのではなく、転校したことで逃げ得みたいになることが許せなかったということかと理解した。
 回斗の予測通り、心の風船はすっかり通常の大きさに戻っていた。これでいい。これがいいと思った。残念という気持ちはひた隠しにして。明日になれば消える。明日になれば、次朝日を目にしたら、きっと忘れる。それでいい。それが、いい。
 心が鈍く痛んだ。

「どうしたの? もしかしてホタル見るの、嫌だったかな?」
 明らかに心配そうな声を出して、先輩は尋ねてきた。
「い、いや、全然そんなことないです! 楽しみです!」

 回斗は体育会系のような大声を出した。先輩と一緒に綺麗な景色が見れる。今までは花火や夜景など一人で見ても二人で見ても同じだと思っていた。だが今は違う。
 行く途中にあった半円状の橋を渡る。ギシギシと木板が鳴るたび、建築年数と歴史の重みを感じた。ところどころ色が煤けたように変色しており、危ないことに中心部の欄干が完全に壊れてしまっていた。
 その下には、湖に続いているであろう暗灰色の川が息を潜めるようにして流れていた。互いに話すことがなくなったのか、このまま沈黙を貫いて目的地まで歩こうとした時、

「…………ん?」

 ペースが上がっている先輩に対して、思わず回斗は立ち止まってしまっていた。聞こえるのだ。パシャパシャと、まるで鯉が水面ではねているような音が。
 パシャ、
 パシャ、
 パシャ、
 その音の出どころは……川の真下から聞こえた。吸い込まれるように回斗は、橋から身を乗り上げるようにして正体をみようとすると、

「どうした?」
 
 と回斗の足音が聞こえなくなったことを不思議がったのか、先輩が橋を渡り終えた場所で上半身だけ振り返っていた。点き始めた園路灯の当たり具合のせいで、ほとんど顔が影に侵食されていた。
 ハッとした回斗は、その瞬間にはもうはねているような音が聞こえなくっていたことに気づいた。

「いや、なんでもないです。すいません」 
「そろそろだよ……って回斗は、ここに来たことあったりするの?」
「小学校の低学年の頃は、毎年親に連れられて行ってましたよ。でもある年にえげつないぐらい蚊に刺されちゃいまして……それっきりです」
「回斗の血ってよほどおいしかったんだろうなー。吸っていい?」
 今このタイミングで飲み物を飲んでいたら吹き出していたと思う。それくらいの衝撃発言。 
「いや唐突すぎるでしょ。先輩」
 回斗はたしなめるような口調で先輩に言うと、
「その先輩って言い方、私はずっと回斗って呼んでるのにフェアじゃないと思うな〜」
 とあっさりカウンターを返されてしまった。すぐさまアワアワと狼狽える。
「あ、い、いいや、それは……」
「あれ? そもそも、私の名前知らない感じ? 私は――」
「廻瑠……先輩」
「っ!?」
 
 脳裏に一瞬、「回斗って呼んでください」と柄でもなくカッコつけてしまった自分がよぎり、今すぐ爆散してしまいたくなるくらいに恥ずかしくなった。先輩とつけたのは、理性による最後の抵抗だった。
 とても目なんて合わせられる状態ではなく、雑草に止まって鳴いているコオロギに視線を下げた。先輩は何も言わない。目的地に到着するまで、二人分の足音が鳴るだけだった。 
  
「着いた、よ」
 
 と先輩がいかにもぎこちなく言葉を紡いだ。喜んでいるのか。びっくりしているのか。それとも引いているのか。回斗にはそれが分からなかった。
 森を抜けると、一軒の民家がすっぽり入りそうなスペースの開けた空間に出る。月明かりがゆったりと流れる小川を照らしていた。あとは雑草が囲むようにして生えている。
 
「は、はい……」
 と回斗は当惑が顔に出ないように努めた。先輩に促されて隣へとしゃがむ。
「しばらく、待とうか」
「はい……」

 お互い気まずい状態のまま、ホタルを待つことになってしまった。変に恥ずかしがらずに名前を呼べばいいものを、こんな時に限ってかつてのどもりが顔を出していたのだ。
 キリギリスやコオロギの鳴き声のおかげで助かったが、実は先輩が無言だと思っていた時間も、必死に回斗は言葉を紡ごうとしていたのだ。
 しかし結果は、川だけにすべて水に流されてしまった。十分、二十分、三十分と時が過ぎ去っても、ホタルは姿一つ見せてくれなかった。ついに先輩から、
  
「そろそろ帰らないと。親も心配してるだろうし」

 そう言うと先輩は、くるりと小川に背を向け歩き始めた。回斗も釣られるようにして後ろをついていく。
 意外にもあっさりと、()()()()()()()()()()()()。自分のことだから、名残惜しいとかもっと一緒にいたいなどという感情が湧き上がるかと思ったが、それ以上に今は幸せで満たされていた。
 今までが奇跡すぎたと思うことにした。生涯ずっと関わることのできなかったであろう人とほんの数時間だが、行動を共にできたのだ。これ以上欲しがろうとすると逆にバチが当たりそうな気がする。
 
「帰るといっても、これが最後になるのか」
 三分ほど歩き続けていると、急に先輩が立ち止まって妙なことを言ってきた。
「……最後?」
「住み慣れた……我が家に帰るのは」
「――――ッ!?!?!?!?!?!?!?」

 瞬間、回斗は息ができなくなった。今日初めて先輩を見かけたときと同じように、水の中にいるようだった。肺が締め付けられるように重く、冷たい空気が喉を刺す。
 視界が歪む。目の前でグニャリと揺れる光景は、まるで水面の下から見上げる世界のように見えた。
 身体が動かない。腕を上げようとしても、指一本すら思うように動かせない。まるで回斗の存在自体が、この空間に溶け込んで消えていくかのようだった。
 廻瑠先輩はバイバイと言わんばかりに手を振る。この異常事態に気づいていないのだろうか。いや、そんなことより……

「……ダ、メだ……行っちゃ……ダメ、だ…………」

 回斗の声は喉の奥で詰まった。叫びたいのに、言葉が空気に溶けて消える。
 先輩は回斗の声なんて聞こえないみたいに、ゆっくりと歩き始めた。
 その背中が、どんどん遠ざかっていく。闇の一部になっていく。
 
「…………!! そう、か……そうだったんだ……!!」 
 
 回斗は気づいてしまった。先輩に関しての恐ろしい真実に。もしこれが本当だとしたら、今までのデジャヴや小川で感じた違和感すべてに説明がつく。
 何もできないこの状況にこらえきれず、追いつこうと必死に足を動かそうとした。
 でも回斗は気づいてしまう。そもそも踏み出そうとした()()()()()ことに。
 足元はただの闇で、身体は当然物理法則にらうこともできず、真っ逆さまに落ちていく。
 落ちていく。
 落ちていく。
 
 ――終わらせるんだ、こんな世界。そしてお前は……

 回斗の頭上に声が降ってくる。今だから分かる。この声の正体は……!!
 しかし今の状態ではどうすることもできない。いくつもの悲しみと後悔の念を抱えながら、意識は深い谷底の方へと消えていった―― 
 
    *

 この世界がつまらない――いつからかそんな思いが、頭の中を漠然と支配していた。朝起きて、ご飯食べて、学校行って、勉強して、家帰って、漫画読んで、ご飯食べて、宿題して、寝る。
 そんな毎日の繰り返し。
 そんな平凡世界の繰り返し。
 そこから脱却する唯一の方法、それはズバリ……()()()()()ことだと、最近思いついた。
 でもわからない。そもそも青春とは? まずはそこからなのだ。あいにくその材料と成り得る友達もいなきゃ、恋人もいない。ただの少女漫画好きの陰キャ。自分で言うのもなんだが、最も青春から縁遠い存在だと思っている。
 少なくともわかっているのは、今の生活とは、遠くかけ離れていることくらいだ。

 ――終わらせるんだ、こんな世界。そしてお前は……

「……………………あ」

 七月二十四日。寝ぼけ眼であたりを見渡す。校舎の窓から差し込む太陽の光が、カーテンと混ざって教室の床に白色の模様を描いている。時刻は午後四時を指している。
 机の角に刻まれた誰かの落書き、
 黒板に残されたチョークの白い粉、
 右斜め前の席の高木くんが忘れていった体操袋。
 すべてが、あまりにも見慣れている。見慣れすぎている。

「まさ、か……」

 デジャヴだ。この感覚、味わったことがある。いや、味わっている。心臓がドクンと跳ね、頭の奥で何かがカチリと音を立てる。()()()()()()七月二四日が、まるでパズルのピースのようにつながっていく。
 窓の外を三羽の鳥が羽ばたいている。続いて廊下を歩く誰かの足音。誰が来るのかは、予想できていた。
 なぜなら、この世界は…… 

「おーい青式ー? 教室の鍵閉めるからそろそろ……」
「やったアアアァァァァァァァァアアアーーーッッッ!!!!!!!!!」

 回斗はまるで全身の血が沸騰したようにしてたまらず叫び声を上げた。それにビビる先生。無理もない。おそらく先生は気づいていないのだろう。それがこの世界の、いや、この物語の定石ってやつだ。
 ()()()()()()()()()()()()
 そして回斗はこの世界の主人公と考えて間違いないだろう。じゃなきゃ前回体験したデジャヴに合点がいかない。今までは退屈な世界に飽き飽きしていたが、これからはそんな必要はない。
 終わらない青春? 最高じゃないか。

「…………あれ? なんか他にも忘れてるような……気の所為か!」

 回斗は意気揚々と体育館裏へ走った。しばらくここへとどまってしまったせいで、もう先輩たちは先に体育館裏へ到着してしまっているのかもしれない。そしてもう始まっているのかもしれない。
 早く行かないと。その場に主役がいなかったら、ストーリーが破綻してしまう。
 今、この瞬間から……青式回斗の青春は、ようやくスタートダッシュを切ったのだ――
 
    *

 回斗は、順調に廻瑠先輩とのループを重ねていった。二回目、三回目、四回目……と続いても、まるで毎回初めてのような気持ちで接することができた。
 そのおかげか、回斗は先輩のいろんな表情や仕草に気づいた。
 まずはベタだが、髪を耳にかける仕草だ。ファサリとしなやかな手つきで見える耳と首のラインが、どうしようもないほどに色っぽさを演出させた。その時の無垢っぽい顔つきもまた狂わせる要因だった。
 次に小さいが、鼻歌を歌っているところだ。今までデパートの店内BGMや自然公園にいるときの風で邪魔されたのだが、よくよく聞いてみるとそれは、回斗の母親が自分と同じ歳の頃に流行ったいわゆる歌謡曲という括りの歌だった。
 なんの歌か聞いてみると、「教えてやんない」とツンとした態度で言われてしまった。ショックだった反面、その時の先輩の頬がわずかに紅潮していたのを見ることができたのはラッキーだった。
 時折言いたくなる事がある。たった二文字だけの特別な気持ち。のどに封じ込めた秘密が、蓋をこじ開けようとしてくる。そのたびに不屈の精神でソレを押し殺した。 
 そしてループは、八回目の七月二十四日を迎えて……

「そろそろ帰らないと。親も心配してるだろうし」
「…………」
 
 何度も同じ展開、同じやりとり、同じ言葉。お気に入りの漫画を何度も読み返している感覚。でも回斗はそれで満足だった。これは自分自身の性格が大いに関係していると思う。
 例えばラーメン屋に行ったとき、回斗は必ず味噌ラーメンを頼む。店のオススメが醤油でも味噌、塩でも味噌、何が何でも味噌、何ならラーメン屋ですらない食堂や、挙句の果てに海鮮料理の専門店や焼肉店ですら頼もうとする始末だ。
 でも回斗は仕方ないと思う。だって好きなのだから。
 好きな気持ちを止められないように、このループ世界がいつまでも長続きしてほしいと思うのは、当然のことではないだろうか?
 だからこそ、

「――もう、やめないか? こんな猿芝居」
「……!!」
 だからこそ回斗は、たった今先輩から取り出した言葉の意味が理解できなかった。衝撃ですっかり頭がフリーズしてしまう。
「聞こえなかったのか? こんな猿芝居、もうやめろって言ってんだ。回斗」
「…………」
 そういった先輩の目つきは獲物に狙いを定めたライオンのようで、さながら回斗は恐れおののくだけのシマウマだった。
「本当はこの世界で何をすべきか、何を言うべきか、回斗自身分かってるはずだ。それを分かってて、目を逸らして、あたかも知らないと演技して……もう見てらんないよ」
 
 先輩の最後の口調は震えていた。今、回斗には計二つの問題が目の前に立ちふさがっていた。
 一つ目は、先輩が突然ループから外れた行動をとった理由。今までがうまく行き過ぎたというのもあるが、それでも外れるなら何かしらきっかけがあったはずだ。セリフや行動を間違えたとか? それはない。
 回斗は万が一ミスのないように、まるで大統領のスケジュール帳みたいに自分がすべき行動や発言を細かくノートに取ったからだ。それに倣ってやっていれば、まず問題ないだろう。現に今まではうまくいった。今までは。
 二つ目は、このループ世界が音を立てて崩れてしまうという予感がした。根拠はない。だが先輩の「何をすべきか、何を言うべきか、」という発言に、ひどく心当たりがあった。でも言えない。言えるわけがない。
 もしソレを言ってしまったら……考えるだけで恐ろしかった。回斗の最も恐れていた事態の前兆ともよべる出来事が起きている。何とかしなければ。
  
「いや……オレは本当に……!」
  
 回斗の声は、ループした世界の中で一番頼りない存在に思えた。
 打開策を考えた。
 何も浮かばなかった。
 
「私も!」 
 と先輩の声が誰もいない自然公園に響く。それにびっくりしたのか、何羽か鳥がバザバサと羽ばたく音が聞こえた。風も幾分か穏やかになっている。 
「私も、気づいているんだ。ループした、この世界に」
「……!」
 わかっていた。言われる前から回斗はわかっていたが、いざはっきりと言語化されると、心がスプーンでえぐられるような痛みが走った。自分だけのプライベート空間に、赤の他人が土足で入ってきたかのような不快感。
「目が覚めると廊下だった。ほとんど何の前触れもなく、いきなり放り出された感じ。それと同時に、今まで私が積み重ねてきたループの記憶が、頭の中に入ってきたんだ。更衣室の出来事も。本屋の会話も。自然公園でホタルを見れなかったことも、全部」
  
 先輩の目つきは真剣だった。わざわざ口で言わなくても、望んでいることが明確に分かった。
 ()()()()()()()()()
  
「あの、先輩……一ついいですか?」
「なんだ」
「先輩は……この世界――」
「出たい」
 
 食い気味に答えた先輩からは、これ以上ない決意を感じさせた。その熱意につい引っ張られそうになるが、すんでのところで身体の軸の位置をはっきりさせる。
「嫌だ」と心のなかで回斗ははっきりとその二文字を叫んだ。本当は直接口で言いたかったが、そのタイミングがまだつかめていなかった。
 
「いや……正確には、回斗をこの世界から出したい」
「……はい? 何を言って……」
 先輩はこちらの喋る暇を与えないかのようにまくし立ててくる。
「毎回毎回同じ言葉をしゃべって、同じ行動をして、同じ展開を目にする。回斗は本当にそれで満足なの? 台本があって、何をするか決まってて、そんなの……ロボットと変わらないじゃん!」
「っ!!」
「回斗は人間でしょ? 人間である以上、回り道ばっかじゃダメなことなんて、一番わかってるんじゃないの? 
 本当は自分自身が、一番バカなことをやってるって……」
 言葉が続くより先に回斗は、突き上げるようにして一気に立ち上がり、
「余計なお世話です!」
 
 と声を荒げ、拳を握りしめて震えていた。その正体が怒りだと分かったときに、同時にその原因も分かってしまった。
 
 ――ロボットと変わらないじゃん!

 否定したかった。でも、できなかった。手の横の部分が黒くなるくらいにびっしり書いたスケジュール帳を思い出す。まるで自分自身がプログラミングされた機械みたいだと思った。
 せっかく今まで無視できていた事実なのに、ここにきて回斗の心に波紋が生じていた。
 馬鹿なことやってる? 自分が?
 どうして? 繰り返しているから?
 そんなにダメなことか? ただ青春の日々を送っているだけなのに。
 好きなのに、
 好きなのに、
 好きなのに、
 この世界と……………………………………………………………………
 嫌な沈黙が流れる。
 
「……どうして」
 と放った先輩の顔は、なぜそんなことを言うのかと本当に困惑している顔だった。
「現実の世界が……自分の青春が……つまらないからです」
「なんで?」
 先輩から憐れみの表情を向けられる。そんな顔されるのも無理ない。だってこれから話す内容は、親ですら話したことはないのだから。
「この話をするのは、廻瑠先輩が初めてです」
 と前置きを言った回斗は、ゆっくりと一言ずつ噛み締めるようにして話し始めた。
 過去に夢があったこと。それも少女漫画家という子供じみた目標を掲げていたこと。そして……夢半ばで挫折したこと。
 陰ながら努力を重ねていった。ある日、小規模だが少女漫画の原稿を応募できるというネット広告を見つけ、その日から寝る間も惜しんで創作作業に没頭した。
 これまで歩いてきた人生で、あの時ほど情熱と夢と希望に満ち溢れていた時期はなかったと思う。睡眠の平均時間が三時間を切っても、ちっとも苦しくなかった。
 そして迎えた結果発表。結果は――一次審査すら通らなかった。当時小学五年生だった回斗は、まるで目の前で親を殺されたときのような絶望感を味わった。「あんなに頑張ったのに……」という言葉を小さく復唱しながら、才能のない自分自身に打ちのめされた。
 努力は実らない。
 そんな固定概念のようなものが、回斗の以降の人生で根を張ってしまい、今現在も心を養分にして成長し続けている。このままじゃダメなのは分かっているが、だからといってどうすることもできない。何をすればいいか分からないから。
 視界の景色は徐々に色あせ、モノクロに染まっていくのを止められなかった。ただ指をくわえてみているだけだった。
 
「……ですから、このループする世界こそ、オレの居場所なんです。この世界にいれば才能なんて言葉に振り回されないし、嫌な思いをしないで済むし、何より、自分の青春が――」
「本気で言ってんのか?」
 
 と言った先輩の声は、最初当人から出ているとは思えない程に低く、耳の奥を痛く刺激した。
 回斗の足は、ジリリと無意識に一歩後退していた。
 
「回斗は言ったな。現実の世界がつまらないって。自分の青春がつまらないって。だからこそ、このループしている世界のほうがずっとずっとマシだって」
「あ、ああ」
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
 うつむきながら、頬をぶん殴られたかのような怒号が先輩の口から飛び出す。身体全体がプルプルと震えており、憤怒に満ちあふれていることが分かった。
「回斗。つまらない理由、教えてやるよ」
「…………」
「世界や青春がつまらないんじゃない。お前の面白いと思う感性が軒並み死に絶えているからだ。たかが夢に敗れたからって簡単に諦めやがって。勝てるように努力すればいいだけのものを、自分の怠惰を棚上げして、あげく面白くないのは世界などと責任転嫁? これが笑い話だとしたら、センスはゴキブリの死骸以下だな。
 糞ったれ」
「いい加減にし……!!」
 
 笑い話のくだりで回斗は、いくら先輩であっても拳を振るうことに対して何も躊躇はなくなっていた。カッと目を見開き、だらりとした腕に力を入れて頬へと狙いを定めようとしたその時――自分の両頬が突如として冷たいものに捕まえられた。
 先輩の両手は、驚くほどひんやりとしていた。
 目が合う。

「一つ、言い忘れていた事がある」
「……なんですか」
「この世界はループしていると自覚したとき、もう一つ分かったんだ。それが回斗を救う方法。だからこれからやることは、必要なことだから」

 そう言うと先輩は、更衣室のときにされた鼻の下の接吻とは違い、唇と唇同士を重ねる本物をキスをしてきた。伝わる感触は信じられないほど冷たく、そして柔らかく、文字通り時間が止まったかのような感覚を味わった。
 風も、夜空も、木々も、常に聞こえてくるはずの音がすべてどこか遠くへ追いやられてしまったと錯覚する。
 ソッと唇が離される。だが回斗は数秒間はそれに気づかずに、ただただ呆然としていた。自分の頬が見なくても赤く染まっていることが理解でき、頭の中はずっとさっきのキスシーンが再生され続けていた。
 たかが数センチずらしただけで、ここまで印象が変わるのかと呑気なことを考えていた。
 だがその刹那、()()()()()()が回斗の血管を伝って全身へ流れてきた。途端に驚きの感情から、夕立のような瞬間的な憎悪に変貌したかと思うと、自分の両腕は先輩を勢いよく突き飛ばしていた。ドスンと情けなく尻もちをつかせてしまう。

「あ、ごめ……」
 
 回斗は手を伸ばして謝ろうとするも、その手を握ることなく先輩は、まっすぐホタルがいる小川の方向へ走り去ってしまった。
 徐々に小さくなっていく背中は、何も語ってくれなかった。
 全く別の意識――先輩がこの世界から自分を追い出そうとしていること。回斗にとってそれは、あってはならない裏切り行為にほかならなかった。

 ――それが回斗を救う方法。だからこれからやることは、必要なことだから。

 そう言って先輩はキスをしてきた。意図は分かっている。分かっているからこそ、回斗はかつてないぐらいに腹が立った。
「廻瑠先輩なんて……嫌いだ」

 嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。試しに口に出してみる。ズキンとおなかの内部を弄られるような痛みが走り、思わず苦痛で顔をしかめる。身体が、心が、過剰なまでに拒否反応を示していた。
 当たり前のことを言っているだけなのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。自分が自分でなくなるような恐怖、姿の見えない不安に押しつぶされてどうにかなりそうだった。

「そう、か……そう、だったんだ」
 
 痛みのおかげで分かった。どうして先輩がループから外れたのか。完ぺきだったはずの回斗の作戦が、どうして崩れたのかが。
 ()()()()()()()()()
 確かに今まで回斗は同じ言動、行動をしてきた。そうすることでループ世界の存続を図ったのだ。しかし回数を重ねるたびに、唯一変わらざるを得なかったものがある。それが心だ。
 それはまるで風船のように、徐々に少しずつだが恋という名の空気を入れられて、今回のループをきっかけに許容量を超えてしまい破裂したのだろう。
 ()()()()()()()()。たったそれだけ。
 でもそのたった一つが、回斗にとってはまるで目の前に山でも作られたかのような途方もない事実に感じる。
 この気持ちを消さないと、世界は終わってしまう。でも……そんなこと……

「でき、ない……」
 
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 回斗の声は涙で震えていた。きちんと発音できていなかった。何度言っても、何度思っても、その数百倍の好きの言葉が返ってくる。お腹の痛みは、ますます拍車がかかっていく。
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 回斗は自分の趣味に誇りが持てたこと、自分の心の内を話したとき、真剣に答えてくれたことを思い出す。あとは……そうだ、おかげで昔からのどもり症が治ったんだ。感謝しかない。なのに、なのに……!!
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 嫌いだ。 
 先輩が自分にだけ見せてくれた一面? 驕り高ぶるのもいい加減にしろってんだ。回斗はあの時の自分をぶん殴ってやりたかった。

「なんで……まだ好きなんだよぉ……!!」

 もう嫌だ、こんな気持ち。どうして、あんなヤツを好きになってしまったんだろう。自分が恥ずかしい。
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 どうしてこんなにも思い通りにならないのだろう。他人の心さえどうにもならないのに、せめて自分の心くらいうまく操りたい。しかし現状は、むしろこちら側が操られてしまっている。
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 前にも一度、こんなことがあった気がする。それはループ世界の出来事じゃない。先輩と一緒に回斗がホタルの住む小川へ()()()()()()()()()()()
 約束をすっぽかされたと思い込み、恨みの言葉を吐きながら家路についた馬鹿な自分の記憶。
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 嫌いだ。
 そう、こんな感じに。
 欲しくもない記憶が、どんどん回斗の頭の中に詰め込まれていく。嫌だ嫌だ嫌だ。さっきからずっと、この世界に浸り続けていたいという気持ちと、先輩への想いがぶつかり合っている。
 しかしそれは、あっけなく終戦を迎えた。
  
「遅いよ。もう四週目に入っちゃった」
 
 絶対に聞けるはずのない声。繰り返し聞いた声。忘れるはずのないの声。回斗はいつとはなしに、ホタルがいる小川近くに架けられている半円状の橋にいた。まるで夢の世界のような場面転換。
 こんなの反則だろ……と思ったが、じゃあループする世界なんてバリバリアウトじゃないかと自分で自分をツッコんだ。
 先輩は、橋の欄干部分のみを綱渡りのような要領で渡っていた。ふらふらと上半身を揺らしながらも、途中にある欄干の出っ張った部分をうまくまたいで回斗の方へと向かってくる。

 ――本当は自分自身が、一番バカなことをやってるって……
 
 残響する先輩の声に、回斗は何も反論しなかった。というよりできなかった。今の自分ほど似合う言葉なんて、この世にあっただろうか。
 心の奥底では全部、わかっていたかもしれない。
 幅約十センチの足元を、両腕を左右に広げることでバランスを取り、「おっとっと」と言いながらも着実に進んでいる。月明かりによって白く照らされているせいか、その様はとても危うく見える一方で、とても美しくも見えた。まるでシャボン玉のようにはかなげで、消えてしまいそうだった。
 
「何を……してるんです」

 やっとのことで絞り出した回斗の呼びかけに答えず、先輩は何を血迷ったのか小走りで移動を始めた。今いる位置は、橋の中間地点をやっと通過したところ。距離は二十メートルぐらい。ラストスパートにしちゃ、あまりにもタイミングが早すぎる。
 自分が欄干にいるわけでもないのに、回斗の心臓は喉元まで跳ね上がり、危うく息の仕方を忘れてしまうところだった。
 ――先輩が死んでしまう。
 
「っ!? どうして、そんなこと思って……」
 
 いくらなんでも大げさすぎる。考えがまとまらずグチャグチャな回斗とは違い、先輩は射られた矢のように迷いのない走りで、あっという間に渡りきってしまった。地面に着地する際、まるで体操選手が決めポーズをするように、両腕をYの字に伸ばしている。
 再度先輩を呼びかけようとしたが、それよりも早く、
 
「ゴォォォーッッッル!」

 と声高々に叫んだ。そしてポケットに手を入れたと思ったら……中から飴? のような包み紙にくるまれた何かを口に放り込んだ。よほどに好きなのか、先輩は口の中で転がしながら満足そうな笑みを作っている。
 回斗は話かけようとしたが、どうしてもそのチャンスをつかめずにいた。たった一分ほどが妙に長く感じた。ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえたと思うと、満を持してと言わんばかりに先輩が口を開く。
 
「ごめんごめん。今の飴はご褒美用としていつもポケットに入れてるんだよ。ギルティちゃんの濃旨いちごミルク味。値段は張るけどすごくおいしくて……って、まぁ回斗にはそんなことより、本題を話したほうがいいよね。
 有名な一休さんの話で、この橋渡るべからずってヤツあるじゃん? アレがもし逆だったらってどうなるかって一人でシュミレーションしてたんだけど……結構ヒヤヒヤしたなー。でも楽しかった! ちょっともう一回やってくる!」
 と先輩は、童心に返ったみたいに軽くステップしながら、さっきと合わせて五回目の綱渡りへと駆け出していってしまった。 
「…………」

 先輩の顔は、やってやったぜ! と言わんばかりに澄まし顔をしていた。回斗はそんな顔を見ていると、さっきまでこの世界との別れや葛藤の中で苦しんでいたことが、急にアホらしく思えた。どもり症で後悔していた自分を思い出す。
 でも同時に、少し安心していた。何度もループ世界で見てきた、春風廻瑠という人柄。時折見せる年齢不相応な子供らしさが、こちらと笑いのツボを押してくると同時にギャップ萌えを感じさせる。
 ああ、やっぱり自分は、先輩のことが……
 
「世界は公園だよ!」
 叫ぶように先輩は、馬鹿丸出しな発言をする。しかしそんなところも、いかにも彼女らしいなと安心した。
「さすがの回斗も、小さい頃に公園で楽しく遊んだ思い出の一つや二つ、あるんじゃない?」
「……何が言いたいんです」
「回斗は現実の世界がつまらないと言った。でも私は、その原因が回斗自身にあると言った。それもあるかもしれない。でもね、前提として世界は公園のような遊び場なんだよ。大人になる過程で、みんなそれを忘れちゃうだけ」
「……………………羨ましいな。自分はそんなふうに、考えれないです」
 
 大人になること――それはたぶん、最も青春から遠ざかっていく一つだと思う。でもすべての人間は、それに抗うことなんてできやしない。時計の針が決して逆方向に進まないように、誕生日のろうそくが毎年一本ずつ増えてしまうように。
 生涯を八十年ほどだとすると、青春とよべる期間は約二十年。残りの期間はずっと大人だ。本当は子供のままがいいなんてみんな思っている。回斗もそう思っている。でもダメなんだ。ダメなんだよ! 
 大人であることを受け入れて、諦めて、失って、絶望して、嘲笑して、地に這いつくばって生きる。それが人生じゃないだろうか。
 そうやって後ろ向きに、期待せず、あらかじめマイナスのバリアを張って考えたほうが、キズが最小限で済むじゃないか。
 回斗は今更気づいた。青春を求めてしまったからこそ、かえって自分の青春を傷つけてしまったことに。期待してしまったからこそ、かえって世界への絶望を深めてしまったことに。
 自分の青春の加害者は、自分だった。 
 自分の世界の加害者は、自分だった。
 先輩は欄干に棒立ちした状態で、何も言わずこちらをみている。文字通り見下されているので、さらに回斗は自分がみじめに思えた。

「――()()()()()()()
「…………え?」
 
 先輩は謎の言葉を残すと、身体の向きを川が流れている方向へと向けた。それと同時に回斗は、まるで氷塊に後ろからハグされたかのような悪寒を覚えた。橋へと身体を動かそうとするも、どうしてか一歩も動けなかった。
 次の瞬間、まるで狙ったかのような拍子で雲に隠れていた月が顔を出し、先輩とその周辺を照らし出した。それは演劇のワンシーンに見えた。

「回斗」
「は、はい」
「自分に嘘をつきな。でも決してそれは、自分自身を偽ることじゃない。自分が信じたいと思う方向、信じたら面白いと思うことにのみ、嘘をつくんだよ」
「……言ってる意味が、わから、ないです……」
 
 回斗はそんな質問より、今すぐにでも先輩の元へ行きたかったのに、相変わらず身体は足先一つ動かす事が出来なかった。 
 言い終えた先輩の顔は、しょうがないな……と言わんばかりに破顔していた。まるで何かを覚悟したみたい――と思ったときには、とっくに欄干にあったはずの彼女の身体は、川へと投げ出されていた。
  
「め、廻瑠先輩!!!!」
 
 ようやく身体が動いた。急いで回斗は先輩の落ちた欄干へ身を乗り出したが、()()()()()()()に気づいた。その答えにたどり着くと同時に、自分も同じように川へ真っ逆さまに落ちていることに気がつく。
 ――欄干が直っている?
 どうして気づかなかったのだろう。先輩が綱渡りしている時点でおかしいと思うべきだったのだ。でも今は、そんなことより……
 
「廻瑠先輩! どこです!? どこですか廻瑠先輩! 廻瑠先輩! 廻瑠先輩! 廻瑠センパァァァアアアーーーーーイッッッ!!!!」

 バシャバシャと力の赴くがままに手足を動かし、無駄に回斗は体力を消費していた。無理もなかった。なぜなら落下して間もないであろう先輩の姿が、髪の毛一本発見できないからだ。はたから見れば、自分一人だけがおぼれているかのような絵面。
 一応潜ってみたが、当然夜の川は月明かりをほとんど通さず、グニャグニャとした歪な闇が襲いかかってくるようだった。身体にまとわりつく冷たさ、プカプカと浮いているペットボトルやスナック菓子などのゴミが鬱陶しくてしょうがない。

「っ!?」

 ズキンと頭に電撃が走ったかのような痛みを受ける。
 直感で分かった。これは予兆だ。本当の記憶を取り戻す前振りだと。
 そんなものはいらない――と回斗は心のなかで叫びつつも、脳みそは信じられない速度で過去へと逆行していく。まるでブレーキを失った暴走機関車のごとく、止める術なんてなかった。

「あ、ああ……あああ…………」
 
 そうかそうか、そうだったんだ。ようやく分かった。
 ループの最初のとき、先輩の身体が一瞬濡れているように見える理由。
 先輩を最初と最後に見かけた時に感じる、水の中のような苦しみの正体。
 いくつものデジャヴに、ホタルが来なかった事実を、あんなにあっさりと受け止められた自分。
 先輩はここにいない。それがはっきりわかった。もっと言ってしまえば、()()()()()()()()()()()()
 回斗の頬に、ゆっくりと涙が伝っていく。どんなに嫌なことでも、いざ目の前に迎えてみれば不思議と心は穏やかだった。月明かりは素知らぬ顔をしながら、川面を宝石のように照らしていた。

    *
  
「きょうはどうして、オレとの誘いに乗ってくれたんですか?」 
「今日がこの街にいる、()()()()なんだ」
 そう言うと青式は、「最後の日?」と言ってる意味がわからないのか首をかしげる。
「今日を最後に、この街から出るんだ。親の転勤が決まったらしくてさ。夏休み明けは別の学校に行くんだ」
「…………そう、なんですか」
 園内灯に薄く照らされた青式の顔つきは、あからさまに元気をなくしていた。廻瑠はどうしてなんだろうと思いつつ、話を続けることにした。
「はっきり言ってこの街には、これといった思い出がなくてね。だからこそかな……最後に爪痕というか、なんかしよう! と思ってて。そんなときに、」

 ――オレと――デートして、くれませんか? 

「なんて知らない男子から誘われちゃったから、面白そうだし乗るしかないと思ってね。このビッグウェーブに」
「面白そう……ね……」
 
 廻瑠はなぜ青式がその部分を反芻するのかよくわからなかった。ただでさえさっきも元気をなくしていたのに、その度合いが一層濃くなっているのを感じた。
 息が詰まるような沈黙が訪れる。何とかそれを破るために思案を巡らせた結果、
  
「そ、そーだ回斗! この公園ってさ、ちょうど今ぐらいの時期にホタルの観賞会やらなかった? よかったら一足先に、一緒に見に行かない?」
 青式の肩を叩いてやると、ビクリと電流を流されたようなリアクションをしてきた。自分の手はAEDじゃないぞと思う。
「あ……オレも、見たいと思ってました。ホタル」
 
 青式はまだ慣れていないのか、作ってる感満載の笑顔を向けてくる。
 対して廻瑠はかなり浮足立っていた。実はホタルを見ること自体が初めてで、いつもはテレビやネット越しにしか見れていないものが現実で拝めるという事実に、内心歓喜していた。

「行こっ! ホタルが帰っちゃう前に!」
「ちょ、ちょっと先輩!」
 
 廻瑠は力強く青式の手を引く。それが彼をとことん勘違いさせる行動なんて知らずに。
 純粋に、無垢に、無邪気に、傷つける。

    *

 月明かりの薄い光が木々の間を縫い、林道にまだらな影を落としている。涼しい夜風が葉を揺らし、かすかなざわめきが響く中、廻瑠と青は黙々と歩いていた。
 さっきから会話はない。いや、正確に言うと会話はできているが、すぐに途切れてしまう。ほとんど一問一答状態だ。
 道中にホタルの豆知識が書かれている看板をみたりして何とか話題を探すも、青式のトイレを目の前にして漏らしてしまったかのような沈んだ顔をみてしまうと、とても話す気になんてなれなかった。

「暗いな」
「はい……」
「洞窟みたいで、ワクワクしない?」
「ワクワク、しますね……」
「…………」
「…………」

 いっそ話さないほうがマシだと思える。だが葬式じゃあるまいし、せっかくのホタル観賞なのだから楽しんでいきたい。廻瑠は思い切って賭けに出た。不意に月明かりの途切れたタイミングを見計らって、道の脇に生えた茂みに隠れる。
「先輩?」
 
 と間抜けな声を出してキョロキョロし始めたのと同時に、廻瑠はわざと大げさに声を張り上げ青式の前に立ちはだかった。
「うわッ! びっくりした!」なんて反応を期待したのに、青式はただ一瞬だけちらっと見て、「……置いてっちゃいますよ、廻瑠先輩」とたった一言、吐き捨てるように言われた。まるで心がここにないみたいだった。
 青式の様子は廻瑠が転校すると言ってから。そんなに離れるのが嫌なのだろうか。まさか自分のことが……と考えて、そんなわけがないと頭を振る。
 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 廻瑠は唇を尖らせながら、青式の横に並んで歩き出した。他にどうすれば元気になってもらえるだろうと、少し焦っていた。
 絡みすぎるとうざいと思われるかもしれない。でも放っておくわけにはいかないと思っていた。なんとかして、せめて今夜だけでもその暗い顔を吹き飛ばしたかった。
 そして思いついた。廻瑠の()()()()()()提案を。

「回斗、競争しよう」
 廻瑠は急に立ち止まり、ボソッと宣言した。
「は?  走る?」
 
 青式が怪訝そうに眉を上げる。いかにもお前は何を言ってるんだ? と言いたげだ。だが廻瑠は了承を得るよりも先に、脱兎のごとく駆け出した。
 こういうモヤモヤしたときは身体を動かすに限るってテレビか雑誌に書いてあったような気がする……気がするだけど。廻瑠のスニーカーが砂利を蹴る音と、遅れて青式の少し重い息遣いが、夜の静寂に響いた。「待ってくださいよー!」なんて泣き言を言ってるが、聞こえないふりをする。
 街灯の光が途切れるたびに、闇が一瞬だけ廻瑠を飲み込む。それがなんだか妙に楽しくて、思わず笑いながら走ってしまった。

「ハァ、ハハ、ハァ…………ハァ……」
 
 廻瑠は一足早く橋の地点に到着する。このままホタルのすみかまで行ってもよかったのだが、さすがにいま以上に距離を離してしまうのは気が引けた。
 橋の中心あたりまで歩くと、欄干に寄りかかる体勢で下の川を見下ろす。夜の川面は黒く、なんだか吸い込まれそうだった。そこに少しばかりの街灯の白い光が混ざって混濁している。

「…………ッ」
  
 その時、今まで吹いてきた風とは比べ物にならないほど大きな突風がすぐ近くを素通りした。思わず目を細める。だからかもしれない。ギシギシと欄干にガタがきていることに気づけなかったのは。
 再度川を見下ろした瞬間、ガキッと嫌な音がした。次の瞬間、欄干は体重を支えきれずに崩れて落下し、あとを追うように廻瑠もバランスを失い川に落ちた。
 
「うわっ!」
 
 叫び声が喉から漏れたが、すぐに冷たい水が全身を飲み込んだ。深さはそれほどなく、川の流れも穏やか。普通ならおぼれるような事態なんて起こらないはずなのだ。
 しかし、先ほど全速力で走ったことでの足の負担がトリガーとなって、川に落ちたという最悪な時機に右足に鋭い痛みが走った。 つってしまったのだ。

「ぐぅっ…!」  
 
 筋肉が硬直し、思うように動かせない。パニックと恐怖が全身を支配した。 廻瑠は水の中で必死にもがいた。肺が締め付けられるように苦しく、視界は暗く濁っていた。それがまたパニックと恐怖を加速させた。
 早く酸素を、酸素を、酸素を。酸素を。酸素を。
 手を伸ばす。唯一外気に触れる事ができた右手を、力いっぱい動かす。
 パシャ、
 パシャ、
 パシャ、
 園路灯が遠くで揺れている。そこに、橋の上から覗き込む青式の姿が見えた。いや、見えた気がした。私の目は水でぼやけ、彼の表情はわからなかった。
 
「回斗!  助けて……!」  
 そう叫んだつもりだったが、口からは泡しか出なかった。声は水の底に沈み、届かない。 すべて水泡となって上へ上り、プクプクと意味のない音になるだけだった。口や鼻などの穴に汚い川の水が絶えず押し寄せてくる。
 廻瑠は川の底で、もはや抵抗する力を失っていた。足の痛みは消え、代わりに全身が冷たく、感覚が薄れていく。青式の声が聞こえた気がしたが、それはもう遠い幻だった。
 
「……………………」

 意識が闇に沈んだ――

    *

 「ここ、か……」
 
 夏の夜の空気はむっとしていて、遠くでキリギリスの声が響く。小川の水面は、月明かりを映してキラキラと揺れていた。
 ここへ来るのは久しぶりだった。小学校低学年の頃は毎年親に連れて行ってもらっていたが、ある年にこれでもかというほどに蚊に刺されてしまって以降は近づくことすらしなかった。

 ――そ、そーだ回斗! この公園ってさ、ちょうど今ぐらいの時期にホタルの観賞会やらなかった? よかったら一足先に、一緒に見に行かない?
 
 先輩のその言葉が、回斗の頭の中で何度もリピートされる。彼女の笑顔。軽やかな声。あの瞬間、回斗は表面にこそ出ないものの、胸中ではかなり舞い上がっていた。ついさっきまで面白そうという発言にへこんでいたのに、我ながら現金なやつだなと思う。
 スマホをみて時間を確認する。午後七時半。先輩はどこで道草を食っているのだろう。まぁそれはそれとして、道中に立てられたホタルの豆知識の看板によると、ホタルが活動時間のピークを迎えるのは八時から九時の間らしい。さすがにその時間帯になったら来るだろう。

「楽しみだな……」

 回斗は小川のほとりに腰を下ろし、膨張して粉微塵になりそうな心臓を必死に押さえていた。まだホタルは出てこない。
 七時四十分経過……まだホタルは出てこない。
 七時五十分経過……まだホタルは出てこない。
 八時経過……まだホタルは出てこない。
 八時十分経過……まだホタルが出てこない。先輩が隣にいない。
 八時二十分経過……まだホタルが出てこない。先輩が隣にいない。
 八時三十分経過……まだホタルが出てこない。先輩が隣にいない。
 八時四十分経過……まだホタルが出てこない。先輩が隣にいない。
 八時五十分…………………………………………経過。まだホタルが出てこない。
  
 先輩が、隣にいない――

    *

「……あ」
 
 次の瞬間、回斗は夜の教室に立っていた。
  
 ついさっきまで川にいたはずなのに、今さら全然驚くようなことじゃなかった。服も当然のように乾いている。校舎の窓から差し込む夕日が、カーテンと混ざって教室の床に朱色の模様を描いている。時刻は午後七時半時を指している。
 机の角に刻まれた誰かの落書き、
 黒板に残されたチョークの白い粉、
 右斜め前の席の高木くんが忘れていった体操袋、
 すべてが、あまりにも見慣れている。見慣れすぎている。

「長い夢を、見ていた……」
 
 真の七月二十四日、競争により走り去っていく先輩の姿を最後に、一度たりとも姿を見かけなかった。それもそうだ。だって――川でおぼれて死んでしまったのだから。来なかったじゃない。来れなかったんだ。
 にもかかわらず回斗は裏切られたと勘違いして、自分の青春を、自分の世界を、何より先輩を呪いながら家路についたんだ。そして翌日に、同級生が話しているのを聞いて訃報を知った。
 
「…………」

 そして回斗は、いつの間にか深夜に事故現場である橋に立っていた。時間の経過があいまいで、現実を生きていたはずなのに、ずっと夢の中のような気分だった。
 周辺には規制線があったような気がしたが、よく覚えていない。とにかく立っていた。
 
 ――先輩、オレは……
 回斗の声がむなしく反響し、寒さでわずかに色づいた息がはるか上空へ吸い込まれていく。あの夜、もっとちゃんと走っていれば。あの夜、もっとちゃんと橋の下をみていれば。すべて、後の祭りだった。
 ――先輩、オレは……
  
 声が震える。回斗はそれを夜風のせいにして、欄干の出っ張った部分を利用して上に乗った。当たる風の割合がグッと増える。気持ちがいい。心が伽藍洞(がらんどう)になったせいか、風通しの良さを感じた。人生で誰もが迎えるソノトキだというのに、心は過疎化が進んだ農村のように静かだった。
 先輩の笑顔がちらつく。先輩の匂いがちらつく。先輩の感触がちらつく。先輩と過ごした時間がちらつく。一人で抱えるには、きれいすぎて、繊細すぎて、重すぎてつぶれてしまう。
 いや、先輩の死を知ったその瞬間から、もう潰れていたかもしれない。

 ――最後に――好きだと伝えたかったな。
 
 そう言って自分、青色回斗は、先輩の後を追うように川へと身を投げたんだ。

「オレは……死んだのか?」
  
 どれくらい時間が経ったのかはわからない。だがはっきりしていることは、これまで過ごしてきたループ世界は、回斗の願いが作り出した幻想であることだ。
 ここは天国だろうか? 個人的なイメージとしては、全員カレーうどんを絶対に食べていけないような真っ白な服を着ていて、コスプレみたいに頭に輪っかなんか付けてるのかと思ったが……それは外界の人間の好き勝手な妄想だと知った。

「回斗」
 いきなり名前を呼ばれてびっくりした。窓側の一番後ろの席に、先輩は座っていた。
「先輩……いたんですか」

 川に落ちて溺死してしまった先輩。こんなにはっきり見えて、こんなにはっきり感じている。おそらく生きている普通の人間からしたら、何も映っていないのだろう。それが見えるということは……
 先輩はしばらく外を眺めていたが、やがてゆっくりと立ち上がり、こちらに向き直った。その瞳には、悲しみや優しさなどいろんな感情が複雑怪奇に入り混じっていた。
 教室に沈黙が落ち、時計の秒針の音だけが小さく響く。回斗は胸の奥で何かざわめくものを感じ、思わず一歩後ずさった。だがそれと同時に気がつく。自分が今一番しないといけないことに。

「あっ……その、先輩――」
「謝らなくていい。あれは競争しようなんて言い出した私が招いた事故なんだから」
「で、でも……オレがもしあの時、ちゃんと橋の下を確認していれば……!」
 
 タラレバを言ってもどうにもならないことぐらい分かっている。それを先輩に言うことで、傷つけてしまうことも。だが口からあふれ出る後悔の津波をとめる術を、回斗は知らなかった。まともに目を合わせられない。
 時間経過で濃紺に染まったタイルに視線を落としていると、先輩は何を思ったのか、いきなり手を握ってきた。そしてその手を自分の頬へあてがう。彼女にはないはずの温かな体温が、じんわりと染み込むようにして回斗の身体に伝わってきた。
 トクン、トクンとうるさいくらいに心臓が高鳴った。死んでいるはずなのに、おかしいなと思う。無意識にもう片方の手でワイシャツの裾を握り、ギュッと力を込めた。
 
「あったかいだろ? でもこれは幻。神様が許してくれた、優しい嘘でしかない」
「…………」
「だけどもう間もなく、そんな嘘も終わる。回斗にはその前に、()()()()を言ってもらわないといけない」
「ある言葉って……あっ」 
 頬にあてがわれていた手が離される。回斗は自分の頬が急上昇した温度計みたいに赤く染まった。 
「わかってくれたようで助かった。これでわざわざ私に言わせるような真似をしたら……うっかり首を絞め落とすところだった」
「それ、今となったら笑えない冗談ですよね。ははっ」
 溺死も、絞死も、同じ呼吸ができなくなる死因だ。実はあのデパートのとき、すでに自分の死を予期していた……と考えて、回斗は馬鹿らしくなってやめた。今となっては、もうどうでもいいことだ。
「回斗、一つ訊いてもいい?」
「なんですか」
「まだ回斗にとって現実の世界は、つまらない場所か?」
「…………」
 
 まず最初にも言ったが、青色回斗という人間は陰キャだ。友達もいなければ、もちろん恋人もいない。本来ならバラ色で楽しいはずの青春時代に、一人さみしく少女漫画を読み漁るモノクロの自分。
 危機感はあった。このままでいいのかと。このまま、一生に一度きりの大事な時間を活用しないでいいのかと。
 ()()()()()だった。自分から身体を動かそうとしなかったのだ。なら結果はそれ相応の境遇、人生となるだろう。
 だが厚かましいことに、自分は世界がつまらないなんてとんでもない戯言を言ってしまった。あの時、あんなに先輩が怒るのも無理ない。もしあの場で彼女を殴ってしまったら、自分で自分を殺すだろう。まぁもう死んでいるから、それは叶わないか。

「現実の世界は……」
 
 話を戻すが、回斗が陰キャだからこそ、たった数時間という短い付き合いが、まるで夢みたいで、奇跡みたいで、心の底から嬉しかった。
 だから、ただの思い出づくりとして利用されただけと聞いたときはすごくショックだったが……あとになって一緒にホタルを見ようなんて言われた時は、本当は飛び上がるほど嬉しかったのだ。
 このたった一つの感情を手に入れられた、もしくは感じられただけでも、自分は陰キャになった甲斐があるもんだと回斗は思った。決して強がりじゃない、本当の気持ち。
 だから答えは、すでに決まっていた。
 
「つまらない――と、()()()()()()
「思ってました?」
「今まで自分は、あれこれ理由をつけては人付き合いを避けていました。それが最も自分の世界から、色を失くすことだと分かっていても。
 でもあの日……先輩をデートに誘った七月二十四日。変わったなんて仰々しい言い方かもしれないけど……けど! 少しは前に進めたんじゃないかと思います。そのきっかけをくれたのは、ほかでもない先輩なんですよ?」
「回斗……」
「死んでしまった今、振り返ってみると……現実の世界も、案外悪くなかったんですね」 
 直接死というワードを出したせいか、必然的に沈黙の時間が流れた。だが別に隠す必要もないと思う。言い終えたあとの回斗をみる先輩の目つきは、なぜだか儚げだった。 
「先輩?」
「あ、いやいや、なんでもない」
 
 先輩はブンブンと頭と手を振った。回斗は今だからこそできる質問を思いついた。自分は少しでも思い出作りの手伝いができたか否かである。
 回斗としては、少しも気の利いたセリフやかっこいいところを見せる事ができなかった。せっかくのデートなのにエスコートすらできず、逆に気を使わせる始末。情けないったらありゃしない。
 訊くことはとても怖かった。だが死んでしまった先輩にとって、最期の日である七月二十四日は重要な意味を持つはずだ。それを確かめない選択肢はなかった。

「あの、」
「ん? なんだ」
「その……えっと……」
「…………」
「オレは、先輩の思い出づくりに貢献――」
 
 言い終えるより早く、回斗の唇には先輩の人差し指が添えられていた。目が合う。一瞬が永遠にとも思える時間が経過する。
 暗くなり始めた空から、青白い月が顔を出し始めた。月光はまるで、別の世界からの訪問者のように、そこにいる先輩の姿を幻想的に浮かび上がらせる。

「百億点の花丸だよ。回斗」
 そう言って人差し指を自分の口元に当てた先輩の表情は、まるですべてのしがらみや苦しみから解き放たれたように穏やかな表情をしていた。髪は月光を受けて銀色の輝きを放ち、目元が神秘的な影を落としている。
「先輩は、やっぱりずるいです」
「……かもね」

 あ、認めるんだ。と心の中で回斗がツッコんだ瞬間、なんだかすごく笑えてきた。前にも言ったが、あんまり人前で笑っているところを見せない主義なのだが、先輩の前だと違う自分になった気分だ。
 先輩も同じようにして笑い始めた。これが最初で最後の笑いの共有になるんだろうなと考えると、心の端っこの部分で悲しみが芽生えた。 
  
「あ、忘れてた。ある言葉を言ってもらうためにここだと、いささかムードに欠けると思わないか? 回斗はそう思うよな? な?」
「え、ムード?」
 この人は何を言っているのだろう。先輩が突飛な発言をするのは、今に始まったことじゃないけど。
「うんうん、そうだそうだ。間違いない。絶対に間違いない」
 先輩は顎に手を当てながら一人頷いている。
「ちょっと、勝手に話を……」
「ということだから、これからメイン会場に移りたいと思うんだけど、()()()()()はいいよな?」
「え? メイン? それに覚悟って……」
「よーし今行こう! すぐ行こう! 吉幾三!」
 
 先輩はビシッと窓の外を指差した。回斗が入り込む余地は一切なく、そのメイン会場とやらに行くことになったのだが……再び手をつながれてドキリと心臓が不器用に踊りだす。
 そのまま教室のドアの前まで移動する。外に行くのかと思ったら、なぜか先輩はそこで立ち止まってしまった。それっきり俯いてしまい詳しい表情が見えない。
「先輩……?」と問いかけようとしたが――それよりも早く顔を上げたと思ったら、回斗に向かってニヤリと、まるで某漫画の計画通りのような笑みを向けてきた。

「クライマックスは――派手にいかないと面白くないからな!」
 
 次の瞬間、先輩は走り出した。回斗の手を引いて、教室の床を蹴る。驚くほど軽やかで、まるで重力が機能していないようだった。窓が近づく。ガラスが目の前に迫る! 死んでいるのに死を覚悟して、ギュッと目を閉じた。
 
 ガシャアアアァァァ――――ッッッッッン!

 パラパラと月明かりに照らされた破片は、瞬く間に夜の闇に吸収されていく。鋭い音が響いた。夜の風が一気に頬を撫でた。でも、痛みは全くない。驚いて目を開けると、回斗は宙に浮いていた。いや、飛んでいた。

「え、え、ぇ……えええ!?!?」 
 後ろを見ると、見るまもなく校舎が遠ざかっていく。夜の市街地が、まるで宝石箱をひっくり返したようにキラキラと輝いていた。街明かりが点と点で繋がり、まるで巨大な星座のようだった。回斗は先輩の手を握りながら、夜空を滑るように進んでいた。
「子どもの頃からの夢、かなったんじゃない?」
 とゴウゴウとした風の音に混じって先輩が笑う。彼女の髪が大気に乱れ、まるで夜そのものと溶け合っているようだった。
「初めてはタケコプターって決めてたんですよーっ!」
 と回斗は冗談を言いつつも、その声は恐怖で震えていた。何かしらしゃべっていないと意識を保てなかった。
「じゃあ手離しちゃおっかなー?」
 
 という頃には、とうに先輩が握ってくれた命綱という名の手が離されたあとだった。間髪入れずして、回斗の心臓に杭が打ち込まれて停止……したような気がした。
 ド派手な投身自殺を図ってしまったのか目をつぶったが、いつまでたっても痛みは訪れなかった。再び目を開けると、変わらず夜を彩る街明かりの地面が敷かれている。

「殺す気かアンタはーッ!!」
「アッハハハハハハハハ! 落ちてく瞬間のあの顔、あの顔……プププ、ハッハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!」
 と相当おかしいのか、先輩は両手でお腹を押さえながら笑いまくっている。そして回斗をその場に残したまま先に行ってしまった。
「笑ってんじゃねェーーーッッッ!!!!」
 
 と言葉は荒々しくとも、回斗の表情は今までのループ世界とは比べ物にならないほど眩しい笑顔を浮かべていた。それは、この世界を卒業することを決意しないと決して手に入らないものだったと思う。 
 しばらく先輩を追いかけているうちに街を越え、森の暗闇が見えてきた。木々の間をすり抜け、風が涼やかに変わる。やがて、彼女はゆっくりとホタルの出る小川に降下した。足が地面に触れると、柔らかな土の感触が伝わってきた。

「とうちゃーく!」
 と先輩は、いつぞやの橋のときのようにYの字でポーズを決めた。時計を見ると、八時ちょうど。辺りは静かで、川のせせらぎだけが聞こえる。
「……ちゃんと出てくるのか……?」
 と回斗は少し心配していた。ループする世界では、散々一匹もホタルがわかない世界をみてきたからだ。
「大丈夫だよ。ほら、見て」
 と回斗は先輩の指の差した方向を見やった。小川の上流あたり、雑草の中から浮き上がるようにして――ふっと小さな光が揺れていた。
「いた……!」
 と回斗は思わず声を上げた。一匹のホタルが、ゆっくりと光を点滅させながら浮かんでいた。淡い黄緑色の輝きは、まるで夜に息づく小さな星だった。
「もしかして、回斗はこの程度で満足してるの? クライマックスはまだ……」
 
 と先輩の言葉が続くより先に、一つ、また一つ。まるでスイッチが点灯するようにして、ホタルが次々と姿を表した。
 光の粒は急激に数を増し、縦横無尽にそこら中を飛び回っている。ある時はワルツを踊るときのように穏やかに、またある時はロックのように激しく情熱的に。
 まるでそこら一帯だけ昼間になってしまったかのような眩さに目を細めようとしたが、その行為はとてももったいないと思った。夢だからこそ成立する光景に、回斗は言葉を失っていた。
 こんなに息をのむような美しい景色、ループする世界では絶対に味わうことなんてできなかった。

「始まったばかりだ」 
「うわぁ……」
 
 と思わず回斗は感嘆の声が漏れてしまった。しばらく今まで見ることができなかった分も含めて幻想的な光景に酔いしれていると、まるでホタルの動きが事前に訓練されていたかのようにピタリと止まる。
 五秒ほどの短い期間だった。それが共通のシグナルなのかは解らないが、みるみるうちにホタルは小川を覆い尽くし始めた。
  
「な、何を……」
 
 回斗は目の前の状況を整理できなかった。ホタルの光は、小川を舗装するようにして完全に埋めてしまい、光り輝く一本の道となった。その両脇も同様に、黄緑色の光で丁寧に装飾されていく。
 ただでさえ非現実の世界にいるのに、ここまでくるともうお手上げだった。ただボケたみたいにあんぐりと口を開けて、事の成り行きを見守っていた。
 次に回斗が意識を取り戻したのは、先輩に手を握られたときだった。

「――最高のゴール、だね」
「…………はい」
  
 それ以上の言葉は要らなかった。回斗は一歩、また一歩と小川へ向かって歩き出す。踏んでも大丈夫なのかと一瞬悩みはしたが、少し先に進む先輩をみて、結局はそれにならっていくことにした。
 直感で分かった。これは天国の階段ならぬ、天国へ続く道なのだと。温かい感触が胸に広がる。これから自分は、一番好きな人と、一番遠くの場所に行くんだ。
 まるで自然のバージンロードだった。できれば結婚式の儀式にのっとって、手をお腹のあたりに当てた状態で歩きたかったが、そんな心の余裕を回斗は持ち合わせていなかった。
 氷が溶けるようにして、徐々に心が軽くなっていく。先輩が死んだことに対してのショック、まだわずかに残っていたどもり症の過去の悩みやトラウマ、それと先ほど空中で手を離されたことに対する恨みなどが、すべて光の中で溶けていく。
 先輩の横顔を見ると、いつもより少し遠くを見ているような気がした。ホタルの光の助力あってか、ただでさえ整然とした顔がさらに際立っていた。凝視するとまたからかわれそうなので、チラ見程度で済ませておく。

「……先輩、どこまで行くんですか?」
 と回斗が尋ねると、先輩は静かに微笑んだ。
「あとちょっとだ。それにまだ言ってもらってないぞ」
「あ……」

 この瞬間まで回斗は、先輩に告白をしなければならないという重要な任務があることをすっかり忘れていた。ついホタルの黄緑色に脳を染められてしまっていた。
 たった二文字。たった二文字だ。そう何度も頭で呪文のように唱えても、 一向に言葉がのどから絞られてこない。代わりに出るのは、もはや懐かしいどもりの言葉ですらない何か。歩き方がおぼつかなくなっていく。
 偶然前を見ると、道はわずか五メートルほど先から途切れている。そしてそれを示すようにホタルたちが、まるで徒競走のゴールテープのようにフワフワと飛んでいた。
 最高のゴールは、もう目前だ。
 回斗の足が無自覚に早まる。告白は歩き終えたあとでも遅くはないだろう。せめて手だけでも一線を越えたいと伸ばしたその時、突如として先輩が手を離したと思ったら、

「お先」 
 と一足早く駆け足でいってしまった。すかさず回斗も続こうとしたその瞬間、先輩が振り返り、鋭い目で動きを制してきた。
「回斗、ここまでだ」 
「え…?」
 回斗は困惑した。先輩に握られて温かかったはずの手が、まるで保冷剤を押し付けられたようにして冷たくなっていく。その声にはどこか冷たい響きがあった。
「それ以上進んだら、本当に戻って来れなくなるぞ」
 先輩の言葉は静かだったが、胸に突き刺さる重さがあった。
「どういう……意味ですか?  一緒に、最高のゴールを目指して……ここまで、来た、じゃないですか」
 途切れ途切れに回斗の声が震える。ゾクリと嫌な予感が背中にのしかかってきたようだった。先輩は目を細め、悲しげに微笑んだ。
「――回斗、お前はまだ()()()()()
「……!!」
  
 言葉の意味がわからなかった。生きている?  そんなことあるわけない!……と強く言いたいのに、なぜだか回斗は、一言もしゃべれないでいた。それは第六感があったからかもしれない。
 ループするたび、必ず最初に聞こえていた言葉。

 ――終わらせるんだ、こんな世界。そしてお前は……

「早く、出てい、け……」
 
 回斗が口に出したと同時に、寸分の狂いもなく、まるで歯車と歯車ががっちりかみ合ったようだった。胸が締め付けられるような痛みに悩まされる。
 目を合わすのが辛くなり、下に降ろす。そして思い知らされてしまう。先輩との間に隔てられた、決定的な壁を。
  
「足、足が……!!」 
 透けている。見えるのはボロボロになった靴先やほどけかけたヒモではなく、ホタルが作ってくれた光の道だった。
「卒業を決意した今、回斗はこの世界に不適合なんだ。本来だったらここにいてはいけない存在。それによくありがちだろ? クライマックスには、感動的な別れのシーン! ってね」
「そんな……ち、違います! オレは先輩が死んだその日の夜、ちゃんと死んで……」
「死んでない。私がループから外れた時の発言を忘れたのか?」
「ループから外れ……ハッ!」
  
 ――いや……正確には、回斗をこの世界から()()()()

 あの時の回斗は、先輩への怒りで完全にスルーしてしまっていた。自分が死んだ……というのはすべてただの思い込みでしかなかったのだ。
 でも……でも……それでも……
 
「思い出したか? ならよかった。じゃあ回斗――」
「嫌です」
「…………今なんて」
「嫌です。って、言ったんです」
 音もなく、回斗の足がすり減るようにして消えていく。先輩の顔が、穏やかな顔つきから一転、怒りで醜く歪んでいく。だが意見は変わらなかった。
「どうして……!」
「だってオレは……先輩と一緒に死ねると思って、天国に行けると思って、だから告白をしようと思ったんです!
 それなのに、何が原因かオレだけ生き延びてて、だからこれでサヨナラって、そんなの……納得できるわけないじゃないですか!」
「回斗……」
 ボソッと言った先輩の顔は、少しだけとても心苦しそうに変化した。
「とにかくオレは、体が消えちゃう前にゴールします。そしてついていきます。先輩のいない現実に帰るくらいなら、いっそ死――」
 言葉を言い終えるより先に先輩は 、ヒョイッとさっき超えたはずのゴール地点より内側に戻ったかと思うと、異性の力とは思えないほどの威力で回斗の頬を引っ叩いた。脳が揺らされたような衝撃を受け、しばらく放心状態になる。 
「いい加減にしろよ……」
 その声は、かつて回斗の口が過ぎたために先輩から喝を入れられたときのと同じだった。しかも今度は胸ぐらをつかまれるというオプション付きで。
「いい加減にしろよテメェーッッッ!!」
「っ!?」
 こんなに怒っている先輩を、回斗は見たことがなかった。またマシンガンのような説教が始まるかと身構えたが――その二つの眼球から流れ出す雫に、困惑と同時に釘付けになってしまった。
「どう……して……」
「私は……」
 目       涙涙涙
 目       涙涙涙
「私、は……」
 目            涙涙涙涙涙
 目            涙涙涙涙涙
「私は――やり直したかったんだよぉ!!」
 耳をつんざくような先輩の言葉。それは単にのどから発せられたものではなく、文字通り心の叫びに思えた。
「転校をきっかけに、新しい土地でやり直せるって思ってた。でも死んじゃった。死んじゃったんだよ! ずっと不良の自分が嫌いだった。斜に構えてばっかで、周りと違う孤独に酔って、あたかも自分が特別な存在だと思ってて……
 でもそれは、嘘、なんだよ」
 先輩の声は、涙にぬれて震えている。
「……ごめん、なさい」
  
 回斗は今までの出来事を思い起こしていた。更衣室のとき、本屋のとき、自然公園のとき……ほぼすべてで先輩は、いままで学校で見てきた一面とは異なっていた。もしかしてあの時こそ、彼女にとって本当の自分ではないだろうか。
 驕り高ぶっていた自分は、決して無駄ではなかったのだ。
 年不相応な振る舞いは、先輩なりに溶け込もうとしてくれたのだろう。それをあろうことか自分は……バカすぎて言葉も出ない。
 
「回斗、約束しろ」
「……なんですか」
「私の分も……青春を生きろ」
 
 そういった先輩の顔は、さっきまでの怒りが嘘のように消えていて、回斗に柔和な笑みを向けてきた。生きろ――というストレートな表現を使われて、ドクンとわざとらしく心臓が鼓動する。
 先輩が回斗の身体に目を落としつつ、ゴール地点を越えた。身体の透過は下半身をのみ込み、みぞおちのすぐ近くまで迫っていた。
 頭で考えるより早く、回斗の答えは決まっていた。 
  
「わかりました。恥ずかしいくらいの青春見上げ話、期待しててください。その代わり、オレがヨボヨボなジジイになってそっちにいったとき、今度は先輩から声かけてくださいよ?」
 軽く笑いながら言うと、ハッと驚いた表情をした先輩は、再び目から大粒の涙を流しつつ、今まで見た中で一番の笑顔を浮かべながら、
「…………うん!!」
 精一杯の先輩の頷く姿をみて、回斗の胸の中はブワッと温かくなった。
「ですから先輩、いや、廻瑠」
 
 いきなり名前で呼ばれたものだから、先輩の頬がパッと赤く色づいた。それがまたすごくかわいくて……回斗はずっと見ていたいと思った。
 でも……言わないといけないよな。
 
「――大好きです。それだけは、死んでも譲りませんから」

 次の瞬間、パキンッ と何かが折れたような音が聞こえた直後、今まで淡い光だったホタルがにわかに輝きを増した。世界がグニャリとゆがみ、上と下の感覚がなくなる。回斗は手で視界を覆った。
 意識が完全に途絶えるその刹那、最後に聞こえた先輩の言葉を、自分は一生忘れることはないだろう。

「ありがとう。私も――!!」

 最高の思い出は光にのまれた――
 
    *

 小川のほとりでは、まるで夢の中のような光景に変わっていった。薄暗い空に浮かぶ星々が、微かな光を放ちながら静かに見守る中、小川の水面はホタルの光で煌めいていた。まるで小さな妖精たちが、夜の帳の中で舞い踊っているかのようだ。
 流石に先輩と一緒に見たときと比べると迫力に劣るが、これはこれで風流があるなと回斗は思った。というよりこれが普通なのだ。現実の世界では、ホタルがまるで意思を持って道などを作ったりはしない。
 これからちょっとずつなれないといけないな。
 観賞会に訪れた人々の笑い声やささやきが、風に乗って川の流れに溶け込んでいく。子どもたちは興奮した様子で手を伸ばし、ホタルを捕まえようとするが、その小さな光の精霊たちはすぐに逃げていく。大人たちはそれを見守りながら、思い出に浸るように、かつての夏の夜を思い返しているように見えた。
 
「…………」

 回斗は一週間前、先輩とホタルの光の中で別れた直後のことを思い出していた。
 最初に目が覚めたとき、自分は仰向けの体勢だった。その身体全体を覆うようにして、ホタルの黄緑色の光が輝いている。ぼんやりと春のようなちょうどいい暖かさで、心地よい空間。まるでライトアップされた棺桶の中にいるようだった。
 回斗はその神秘的な光に引き寄せられるように身を起こそうとすると、あたかもエレベーターにいるかのような浮上する感じに襲われた。時間にして十秒もたたないうちに、外からザバァ と水から顔を出したときと同じ音が聞こえた。
 ここで初めて外の景色を拝めた。自分が落ちた半円状の橋の裏側と、オレンジ色の光が縁取るように白くきらめく朝日の太陽が見えた。
 朝が差し込み、ホタルたちの輝きは次第に薄れていった。彼らは、川の水から回斗を守ってくれたのだろうか。そんなことを考えながら、自分は再び降りかかってきた睡魔の誘惑に勝てず、眠りについた。
 それからの日々を一言で表すなら、ちょうどよい言葉がある。光陰矢の如し、だ。回斗は七月二十五日の放課後から実に八日間、行方不明だったのだと母親から聞かされた。
「今までどこに行ってたのよ!」とかつてない剣幕で怒られたが、まさかループする世界で春風廻瑠という人と過ごしてましたなんて言えるわけがない。
 ずっと自然公園で気絶してましたというすこぶる無理やりな言い訳をなんとか信じさせたあと、身体の異常を確認したが、どこにも怪我はなかった。まるで夢から覚めたように、ただの時間が過ぎ去っていっただけのように感じた。 
 あとは先輩との約束を果たすことしかやることがなくなった。でも、今日は、

「疲れたなぁ……」

 ため息と同じようにして言葉を吐いた。今まで回斗がやってきたことの一部として、まずデパートの本屋にある少女漫画コーナーへ行った。
 そこで自分と同じ好きな漫画を見ている人にさりげなく「自分もその漫画好きなんですよ」や「よかったら一緒に見せてくれませんか」などと声がけしたのだが……今思うとかなり迂闊だったなと思う。もれなく距離を取られるは、無視をされるは、ナンパクソ野郎と勘違いされるはで散々だった。
 次に回斗は、夏休み中も活動している漫研に、自分の作品を飛び入りで見せたりした。趣味から始まる友達やその他の関係性のほうが、ずっと構築しやすいと思ったからだ。
 しかし結果はこれ以上ないほどにボロクソに酷評された挙句、部員全員から鼻で笑われてしまった。しかし自分でも驚くほど傷は浅かった。これは成長ととらえていいのか、それとも無我の境地に達しただけなのかよくわからなかった。
 最後に回斗は公民館で誰彼構わず声をかけたりしたが、本屋と同じ状況になるだけだった。唯一違う点があるとすれば、不審者として一度警察に指導されたぐらいだ。
 そんなこんなでときは流れ――今現在回斗は、ホタル観賞会に来ていたというわけだ。

「帰るか」
 
 回斗は十分にホタルを観賞したので、小川をあとにする。カップルや家族連れの観客とすれ違いながら、先輩の落ちた半円状の橋に差し掛かった。さすがに欄干部分は、以前より強固に修復されている。
 意図せずして川の下に目を通したあと、しばらくは月の明かりを頼りにしながら舗装された林道を歩き続ける。するとやがて、焼きそばや焼き鳥などの香ばしい匂いが鼻腔をつついた。ホタルの観賞会を利用して、たくさんの出店が出ているのだ。
 周囲にはたくさんの人々がいて、笑い声や歓声が響き渡っていた。回斗は食事することも考えたが……あいにく今は、これっぽっちも食べ物が胃に入る気分じゃなかった。
 デパートや漫研での出来事が積み重なり、精神的なストレスとなってずっと身体に住み着いている。それが今の状態だ。

 ――私の分も……青春を生きろ。
 
 今でもよく、先輩の言葉が脳内に轟く。それに従ってこれまでやってきたが……やはり現実というのはうまくいかない。でもそういうものなのだと思う。
 うまくいかないのが現実。
 予定調和にならないのが現実。
 失敗するのが現実。
 それでも立ち向かわないといけないのが……現実というやつなのだろう。まるで実体を持たない怪物だ。時々戦うのが嫌になる。
 それにまだ正直な話……まだ回斗には青春がよくわかっていなかった。
 友達を作って友情を深めることが青春?
 恋人を作ってキスやセックスをすることが青春?
 そんな単純なことじゃないなと、今になって思う。
 ここに至るまで回斗は、様々な気づきを得た。それにより喜んだり、絶望したりすることもあった。
 夢の努力を途中で投げ出した半端者だということ。
 思うだけで行動に移さなかった怠け者だということ。
 自分の青春や世界の加害者は、自分だということ。
 先輩が自分にだけ見せてくれた一面があったこと。
 初めて自分の趣味を誇れたこと。
 現実の世界が、案外悪くなかったと思えたこと。
 好きな人が、できたこと。
 そのすべての始まりが、本当の七月二十四日に回斗が、先輩をデートに誘ったことから始まったのだ。
 青春が何かは分からないが……青春の入り口ならよく分かった気がする。それは……

「やるよ」
 と突然背後から声が聞こえた。その声は先輩の次に聞き覚えがあった。振り返った瞬間、自分の嫌いなタイプの臭いだったため、思いがけず眉間にしわを寄せた。目の前には牛すじの刺さった串。
「ドムと……ポッキー!」
「は? 何言ってんだ? オメェ」
 ほとんど夜と同化したポッキーが、思考が止まったかのような顔つきで回斗をみていた。
「もぐもぐ……そんなこと、より、牛すじのどて焼き串、もぐもぐ……食うか?」
 
 ドムがもう片手で唐揚げ串を貪りながら、串を突き出してくる。なぜこの場に二人がいるのかと戸惑いはしたが、厚意を無下にはできずに回斗は、ドムから牛すじ串をもらった。
 相変わらず牛の臭いがあまり好きになれない。料理動画という視覚で見たときはあんなにおいしそうだったのに、嗅覚が入った瞬間に一気に評価が下がってしまった。
 でも……()()()()()()()()()()。 
 口いっぱいにあけて思いっきりかぶりつく。最初に気持ち悪いと思っていた牛すじの溶ける食感が、だんだんと癖になる。次に味噌とみりんの甘辛い味付けが舌の上で踊りだし、ゴクリと飲み込んだ瞬間――回斗の何処かで、新たな扉が開かれたような気がした。
 これは……これは……すごく、

「おいおい、涙が出るくらいにおいしかったのかよ」
「すごく、すごく、すごく…………すごく、お゛い゛じ゛い゛で゛ず!!!!」
  
 もちろん、美味しすぎて泣いたわけではない。今までうまくいかないこと続きだったせいか、誰かの何気ない優しさが傷口に塩くらい身にしみて感極まったのだ。
 だがそんな自分を回斗は認めたくなくて、嘘をつくことにした。
 先輩と別れるときも同じことをした。本当はついていきたい気持ちを抑圧して、一人生き延びるという決断を下した。
 ――約束を胸に。見上げ話の期待を、裏切りたくはないから。
 
「そんなにおいしいなら、もう十本買っちゃおうかな……自分用の」
「いやお前のかい!」
 漫才をしているドムとポッキーを横目で見ながら、その場をあとにする。人混みを縫うようにして進み続けると、自然公園の入り口が見えてきた。
 一歩、また一歩と近づいていく。人々の喧騒が少しずつ遠のいていく。視界の端に一瞬、キラリと流れ星が瞬いた。
 青春の入り口。それは――()()()()()()()()()()()()、なのかもしれない。
 まだ回斗は、世界の百分の一すらも回りきれていない。これから少しずつ、たまに嘘をつきながら歩いて行こう。
 塩味の効きすぎた牛すじのどて焼き串をほおばりながら、そんなことを考えた――