離した手の温もり

「知らないな。
俺が知る限り、いないと思う」
『そっか…』
「いたらどうする?」
『どうもしないよ。
私にはどうこうする資格ないもん』
「………」

彗くんはそれ以上何も言わなかった。

何も言えなかったのだろう。

『………私、帰るね』

もうこれ以上蒼ちゃんの話をしたくなかった。

彼には会わないって決めたんだ。

このまま話していると決心が揺らぐ。

会いたくなってしまう。

「家まで送るよ」
『え…
でもお店…』
「俺以外にもいるから平気。これでもオーナーなんでね」
『でもいいよ、悪いし』
「俺が美愛を一人で帰すと思う?」
『………』
「諦めな」
『…ありがと』
「車のキーとってくる」

相手が私じゃなかったらイチコロで落ちそうな彗くんの言葉。

本人はまるで自覚ないからやっかい。

誰に対しても底なしの優しさを垂れ流す彼は天然の人たらしだ。

私は本日二回目のため息をついた。

「お待たせ。
行こう」
『うん』

彗くんはすぐに戻ってきた。

車のキーを手中でもて遊びながら。

私達は肩を並べ、店を出る。

『彗くんってさぁ…』
「ん?」
『頑固だよね』
「は?」

店を出て駐車場までの道中、私は唐突に言った。

彗くんが間抜けな顔でこっちを見る。

彼のこんな表情を目にするのは久しぶり。

『私にお金絶対払わしてくれないし、今だって家まで送るって聞かないじゃん』
「そりゃ、相手が美愛だからね。
他の子相手ならしないよ」
『幼馴染の特権?』
「……感謝しな」
『彼女さんに怒られそう』
「…いないよ」
『え?』
「彼女」
『そうなんだ?
じゃあ刺されなくて済む』
「あのなぁ…」

彗くんは呆れた様に言った。

ずっと昔、まだ彼が大学生だった頃。

当時彗くんの彼女だった人に私達の関係を疑わられて、刺されそうになったことがある。

幸い、私は護身術を身につけていたので大事には至らなかった。

かすり傷程度で済んだ。

それ以来だろうか。

彼はあまり女性を連れ歩かなくなった気がする。

天然人たらしが女性と一線を引くようになった。

『……あれからずっといない?』
「ん?」
『彼女』
「いや、そういうわけじゃないけど。
今はいい」
『そっか…』
「美愛は?」
『私?』
「蒼以外は考えられない?」
『………。
私は…』

私は立ち止まって俯いた。

彗くんは酷い。

執拗に蒼ちゃんの話をしてくる。

忘れたいのにこれじゃ忘れてられない。

「ごめん。今言うべきじゃなかったね」
『………彗くんの意地悪。ばか』
「ごめんて」

彗くんは困った様に笑った。

私はその笑顔を見上げる。

ズルいなぁ。

そんな風言われたら許しちゃうじゃない。

「家どこ?」
『世田谷。ナビ入れるね』
「サンキュ」

駐車場に辿り着き、彗くんの車に乗った。

相変わらず、スバルのレヴォーグ。

広々とした車内は居心地いい。

私はナビに自分の住所を入力する。

この時間なら道も空いてるから二十分くらいで着くだろう。

ちょっとしたドライブだ。