離した手の温もり

「ごめん、引き止めて」
『平気。
まだ十二時前だし』
「連絡先変わってないから連絡して」
『うん。またね』

私は彗くんの車から降りた。

時刻は午後十時半。

今からお風呂に入ったり何やかんやして、零時にはベッドに潜り込めるだろう。

私は車内に乗る彼に手を振ってマンションの中へ入っていく。

1LDK五階建ての平均的な住処。

引っ越してきたばかりなのでまだ荷解きが終わっておらず、段ボールがいくつか散乱している。

エレベーターで五階まで昇り、我が家のドアの鍵を開けて中に入っていく。

このままベットにダイブしたいが、ぐっと私は堪えた。

寝落ちして朝を迎える未来が目に見えている。

その夜、私がベットに眠りについたのは零時を少し過ぎた頃だった。


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翌日の午後。

会社の食堂で昼食をとった後、ひと足先に自分のデスクに戻っていた私はスマホと睨めっこしていた。

昨夜、彗くんに連絡しろと言われたからには連絡しなければいけない。

チャット通話アプリを開いたはいいが、なんて送ったらいいのだろう。

「原田?」
『あ、如月さん…』
「何してんだ?しかめっ面して…」

そんな険しい顔をしてただろうか。

怪訝そうな顔をしてこちらを見つめる如月さん。

彼の手元にはビニール袋が提げられている。

コンビニで買った昼食だろう。

『いえ、なんでもないです…。
これからお昼ですか?』
「ん?
ああ、まあな」

如月さんはいつもコンビニ飯だ。

食堂での方が安いのだが、時間が勿体ないという理由でデスクで仕事をしながら食事しているのをよく見かける。

本当に根っからの仕事人間だ。

『コーヒー飲みます?
私、淹れますよ』
「いや、いい。まだ休憩時間だろ。
飲みたかったら自分でやる」
『私も飲むのでそのついでですよ。
スイッチ押すだけですし』
「……じゃあ頼む」
『了解です』

私はデスクから立ち上がって給湯室へ足を向かわせた。

うちの会社の給湯室にはドデカいコーヒーメーカーが各部署に二台ある。

キャラメルラテやカフェラテなど種類はコーヒーショップ並みに豊富。

仕事中はいつでも飲み放題。

忙しい時はこれが身に染みる。

私だけかも知れないが。

給湯室には誰もおらず、静まり返っていた。

私は紙コップにカバーをつけて、コーヒーメーカーのスイッチを押す。

両方ともカフェラテ。

砂糖なし。

コーヒーが淹れ終わるまで少し時間があった。

私はポケットからスマホを取り出して、また睨めっこを始める。

『………』

なんでこんなに彗くんにメッセージを送ることだけのことで悩まなくちゃいけないのだろう。

面倒になってきた。

もういいや。

スタンプだけ送ろう。

『これでよし!』

彗くんにスタンプを送ったら私はスマホをポケットにしまった。

それと同時にコーヒーメーカーから電子音が流れる。

淹れ終わったようだ。

香ばしいコーヒーのいい香りが漂う。