理由なんてない。
 でも、あの声が遠ざかってしまうのが、どうしようもなく怖かった。

 リュミは手探りで壁を伝いながら、一歩一歩扉へと近づく。
 足元はまだおぼつかない。けれど、その一歩一歩に意志が込められている。

 外の気配が、少しずつ穏やかになっていくのを感じる。
 まるで、リュミの存在を察知して、魔物の気が静まっていくかのように。

(リュミが近づいているって、わかるの……?)

 扉の前に立ったとき、胸の奥に不思議なあたたかさが広がった。
 懐かしい誰かに、もうすぐ会えるような──そんな予感。

 視界がぐらりと傾き、壁に肩がぶつかる。
 それでも、リュミは扉に指先をかけた。

 魔力で張られたはずの結界が、ほんの少しだけやわらかくなる。まるで、リュミの手がそれを拒絶していないと理解したかのように。
 スキル《ふわふわ》が、知らず知らずに発動しているのかもしれない。

「……っ!」

 背後で、男が息を呑む。
 まさかリュミがこんなことをするとは思わなかった──と驚いているようだ。

 扉をゆっくり開けると、魔物がいた。
 ふわふわとした体を揺らしながら、静かにこちらを見つめる天吼の白獣。

 先ほどまで暴れていたその姿が嘘のように静かだ。
 黄金色の瞳が、まっすぐにリュミを見つめている。

(……リュミはここにいるよ……)