ドアをくぐると、暖かい空気が頬を撫でてきた。
「荒木、実は私、ネカフェとか来たことないんだけど……」
「まず、会員になりましょう。すみません――」
荒木は受付カウンターにいる、若い男性の店員に声をかけてくれた。私は身分証を提示したり申込書に記入をしたりして、会員カードを作り終えた。
「よっしゃ、ブース選びますか!」
カラオケルームやファミリールームまであるんだ……。数あるブースの中から、二人用のブースを選んだ。廊下を進み、仕切られたブースに入る。中は思ったよりも狭い。二人分の座椅子と小さなテーブルがある。テーブルの上には、手前部分に物が置けるような小さなスペースがあり、そこ以外はモニターがぎゅっと詰まっている感じだ。
「真希さん、漫画読みます? それともネットで何か見ます?」と、荒木が慣れているように椅子にドカッと座りながら聞いてくる。
「うーん、なんかお腹空いてきたかも。食べ物のメニュー表ってある?」
私がそう言うと、荒木はテーブルの端に置かれたメニュー表を手に取った。
「これっす。俺の中ではカレーがおすすめです」
目をキラキラさせながら荒木は言う。
「荒木は、カレーが好きなの?」
「好きっす! 家でもよく作ります。隠し味にはチョコを入れます」
「チョコ!? 美味しいの?」
私は笑いながら聞き返す。
「まじ美味いですよ! 真希さん、今度家に来て食べてみてくださいよ。俺の特製カレー」と、荒木は胸を張る。
自信満々な荒木の顔が幼く見える。多分私は今、とても優しい眼差しで荒木を見つめていると思う。
「荒木の家か……」
そう呟きながらメニューを見ると、カレーは、普通、中辛、辛口の三種類あった。値段は五百円。他にもチーズやハンバーグがトッピングされたものもある。
「私は普通のにしようかな。味どうしよう……荒木は?」
「俺、甘口でいきます! 真希さんは辛いの得意ですか?」
「いや、結構苦手、かな」
「え、意外ですね」
「そうかな……私、辛いの得意そうな顔してる?」
「いや、どちらかと言えば甘口が似合います」
荒木にとって私は甘口が似合いそうなのか……。職場では結構ツンとしちゃってて自分では辛口かなって思うけれども、荒木からはそんなふうに見られていないってことかな?
私は甘口と中辛でとても迷い、結局中辛に決めた。
注文を済ませると、飲み放題ドリンクバーの飲み物を選んで持ってくるのと、漫画の棚を物色するためにブースから出た。
「真希さん、これ読んだことあります? 『花の行方』、名作っすよ」と、荒木は少女漫画を手に持っている。
「え、荒木って、少女漫画読むの?」と驚くと、彼は「いや、姉貴が読んでたんで、ついハマっちゃって」と、ちょっと照れたように笑った。
そのギャップも可愛いな。と、ついニヤニヤしてしまう。私はその漫画を手に持てるだけ持つと、ドリンクバーにある烏龍茶も手に持ちブースに戻った。
漫画を読み少し経つと、カレーが運ばれてきた。プラスチックのトレーに乗った、シンプルな見た目のカレー。スパイスの香りがブースに広がり、なんだかより一層お腹が減ってくる。
「いただきます!」
二人で同時にスプーンを手に取った。一口食べると懐かしいような味がする。学校で昔食べてたような味?
「これ、美味しいね」
「でしょ! ここのカレーは、侮れないっす」
荒木は得意げな様子でふふんと鼻を鳴らした。彼は会社以外でも常にテンション高めだな。疲れないのかな。
「荒木は、職場以外でもいつもこんなテンションなの?」と、食べながらふと聞いてみた。
「普段はそんなに。なんか、真希さんと一緒だからいつもよりハイになってますね」と、カレーを頬張りながら荒木は笑った。その言葉に、なぜか少しドキッとしてしまう。
「荒木は、お世辞が上手いよね」
「俺、お世辞は苦手かな……本当に思ったこととかしか言えないっす」
近距離で見つめ合い、胸の辺りがモゾモゾしだして、なんだか気まずく感じてくる。私は視線をカレーに移すと、カレーを黙々と食した。
先に完食した荒木は、空のコップを持つとブースから出ていった。ドリンクバーでコーラやオレンジジュースや……色々適当に混ぜた謎のドリンクを作って戻ってきた。
「それ、美味しいの?」
「分からないっす。感覚を信じて冒険してみてます」
そして荒木はひと口飲むと「意外と美味しい……」と呟く。
私もカレーを完食した。
「私もドリンクバー行くから、食べ終わった食器持ってくね」
「あざーっす!」
荒木は二年前に入社してきた。この軽い感じのお礼も、出会った時からこんな感じだった。荒木だから気にならずに受け入れられていたなと、ふと思う。
食べ終えたふたりの食器を使用済み食器置き場に置いてから、ドリンクバーのコーンスープをカップに注いだ。注ぎながら、荒木と今一緒にここにいるキッカケを思い出す。
終業時間の間際に、急にまとめないといけない取引先との書類が私のところに来た。就業時間内で仕事を終わらせてさっさと帰りたかったから、正直「このタイミングで?」と、心の中でイラッとしていた。その時に「ひとりじゃ大変だから俺も手伝いますよ」と、荒木が申し出てくれたのだ。
そんなきっかけで、今に至る。
戻ると荒木はモニターで青春っぽいアニメを見始めていた。私は横で漫画の続きを開く。
この狭い空間で、無言でそれぞれ好きなことをしている。荒木とこんな時間を初めて過ごしたけれど、とても心地良かった。絶対にこの環境、あの苦手な上司やあの同僚と一緒だったのなら逃げ出したくなるな。
――本当に、荒木と一緒にいるこの環境は心地よい。
「真希さん、今日はなんか、楽しそうっすね」
漫画本が三巻に差し掛かるタイミングで荒木が話しかけてきた。
「うん、こういう時間は久しぶりだから、すごく楽しい」と、私は素直に答える。
「真希さんが楽しそうで、良かったっす」
荒木のお陰で、仕事の疲れが少しずつ溶けてゆく気がした。
*
相変わらずそれぞれ好きなように過ごす私たち。私は十五巻まである漫画を全て読み切りたくて、集中して読んだ。
足早に時間はかけてゆき、気がつけばもうすぐ午前の四時。
「そろそろ始発の時間かな? 漫画最後まで読めなさそう……」
私の言葉を聞くと荒木がスマホを覗き込む。
「始発は五時十分の電車っすね。帰る準備、始めます? ちなみにその漫画はアプリでも読めますよ」
「そっか、じゃあ続きはアプリで読もうかな? というか、駅まで、また歩くのか……」
「タクシー拾います?」
「……ううん、荒木が大丈夫なら、また歩きたいかな」
「俺は、余裕っす」
一緒に歩く時間も好きだったから、また歩けて嬉しいな――。
あと五分でもいいから少しでも長くここにいたいな、すごく名残惜しい。だけどブースを出ると、受付で精算を済ませた。
*
「荒木、実は私、ネカフェとか来たことないんだけど……」
「まず、会員になりましょう。すみません――」
荒木は受付カウンターにいる、若い男性の店員に声をかけてくれた。私は身分証を提示したり申込書に記入をしたりして、会員カードを作り終えた。
「よっしゃ、ブース選びますか!」
カラオケルームやファミリールームまであるんだ……。数あるブースの中から、二人用のブースを選んだ。廊下を進み、仕切られたブースに入る。中は思ったよりも狭い。二人分の座椅子と小さなテーブルがある。テーブルの上には、手前部分に物が置けるような小さなスペースがあり、そこ以外はモニターがぎゅっと詰まっている感じだ。
「真希さん、漫画読みます? それともネットで何か見ます?」と、荒木が慣れているように椅子にドカッと座りながら聞いてくる。
「うーん、なんかお腹空いてきたかも。食べ物のメニュー表ってある?」
私がそう言うと、荒木はテーブルの端に置かれたメニュー表を手に取った。
「これっす。俺の中ではカレーがおすすめです」
目をキラキラさせながら荒木は言う。
「荒木は、カレーが好きなの?」
「好きっす! 家でもよく作ります。隠し味にはチョコを入れます」
「チョコ!? 美味しいの?」
私は笑いながら聞き返す。
「まじ美味いですよ! 真希さん、今度家に来て食べてみてくださいよ。俺の特製カレー」と、荒木は胸を張る。
自信満々な荒木の顔が幼く見える。多分私は今、とても優しい眼差しで荒木を見つめていると思う。
「荒木の家か……」
そう呟きながらメニューを見ると、カレーは、普通、中辛、辛口の三種類あった。値段は五百円。他にもチーズやハンバーグがトッピングされたものもある。
「私は普通のにしようかな。味どうしよう……荒木は?」
「俺、甘口でいきます! 真希さんは辛いの得意ですか?」
「いや、結構苦手、かな」
「え、意外ですね」
「そうかな……私、辛いの得意そうな顔してる?」
「いや、どちらかと言えば甘口が似合います」
荒木にとって私は甘口が似合いそうなのか……。職場では結構ツンとしちゃってて自分では辛口かなって思うけれども、荒木からはそんなふうに見られていないってことかな?
私は甘口と中辛でとても迷い、結局中辛に決めた。
注文を済ませると、飲み放題ドリンクバーの飲み物を選んで持ってくるのと、漫画の棚を物色するためにブースから出た。
「真希さん、これ読んだことあります? 『花の行方』、名作っすよ」と、荒木は少女漫画を手に持っている。
「え、荒木って、少女漫画読むの?」と驚くと、彼は「いや、姉貴が読んでたんで、ついハマっちゃって」と、ちょっと照れたように笑った。
そのギャップも可愛いな。と、ついニヤニヤしてしまう。私はその漫画を手に持てるだけ持つと、ドリンクバーにある烏龍茶も手に持ちブースに戻った。
漫画を読み少し経つと、カレーが運ばれてきた。プラスチックのトレーに乗った、シンプルな見た目のカレー。スパイスの香りがブースに広がり、なんだかより一層お腹が減ってくる。
「いただきます!」
二人で同時にスプーンを手に取った。一口食べると懐かしいような味がする。学校で昔食べてたような味?
「これ、美味しいね」
「でしょ! ここのカレーは、侮れないっす」
荒木は得意げな様子でふふんと鼻を鳴らした。彼は会社以外でも常にテンション高めだな。疲れないのかな。
「荒木は、職場以外でもいつもこんなテンションなの?」と、食べながらふと聞いてみた。
「普段はそんなに。なんか、真希さんと一緒だからいつもよりハイになってますね」と、カレーを頬張りながら荒木は笑った。その言葉に、なぜか少しドキッとしてしまう。
「荒木は、お世辞が上手いよね」
「俺、お世辞は苦手かな……本当に思ったこととかしか言えないっす」
近距離で見つめ合い、胸の辺りがモゾモゾしだして、なんだか気まずく感じてくる。私は視線をカレーに移すと、カレーを黙々と食した。
先に完食した荒木は、空のコップを持つとブースから出ていった。ドリンクバーでコーラやオレンジジュースや……色々適当に混ぜた謎のドリンクを作って戻ってきた。
「それ、美味しいの?」
「分からないっす。感覚を信じて冒険してみてます」
そして荒木はひと口飲むと「意外と美味しい……」と呟く。
私もカレーを完食した。
「私もドリンクバー行くから、食べ終わった食器持ってくね」
「あざーっす!」
荒木は二年前に入社してきた。この軽い感じのお礼も、出会った時からこんな感じだった。荒木だから気にならずに受け入れられていたなと、ふと思う。
食べ終えたふたりの食器を使用済み食器置き場に置いてから、ドリンクバーのコーンスープをカップに注いだ。注ぎながら、荒木と今一緒にここにいるキッカケを思い出す。
終業時間の間際に、急にまとめないといけない取引先との書類が私のところに来た。就業時間内で仕事を終わらせてさっさと帰りたかったから、正直「このタイミングで?」と、心の中でイラッとしていた。その時に「ひとりじゃ大変だから俺も手伝いますよ」と、荒木が申し出てくれたのだ。
そんなきっかけで、今に至る。
戻ると荒木はモニターで青春っぽいアニメを見始めていた。私は横で漫画の続きを開く。
この狭い空間で、無言でそれぞれ好きなことをしている。荒木とこんな時間を初めて過ごしたけれど、とても心地良かった。絶対にこの環境、あの苦手な上司やあの同僚と一緒だったのなら逃げ出したくなるな。
――本当に、荒木と一緒にいるこの環境は心地よい。
「真希さん、今日はなんか、楽しそうっすね」
漫画本が三巻に差し掛かるタイミングで荒木が話しかけてきた。
「うん、こういう時間は久しぶりだから、すごく楽しい」と、私は素直に答える。
「真希さんが楽しそうで、良かったっす」
荒木のお陰で、仕事の疲れが少しずつ溶けてゆく気がした。
*
相変わらずそれぞれ好きなように過ごす私たち。私は十五巻まである漫画を全て読み切りたくて、集中して読んだ。
足早に時間はかけてゆき、気がつけばもうすぐ午前の四時。
「そろそろ始発の時間かな? 漫画最後まで読めなさそう……」
私の言葉を聞くと荒木がスマホを覗き込む。
「始発は五時十分の電車っすね。帰る準備、始めます? ちなみにその漫画はアプリでも読めますよ」
「そっか、じゃあ続きはアプリで読もうかな? というか、駅まで、また歩くのか……」
「タクシー拾います?」
「……ううん、荒木が大丈夫なら、また歩きたいかな」
「俺は、余裕っす」
一緒に歩く時間も好きだったから、また歩けて嬉しいな――。
あと五分でもいいから少しでも長くここにいたいな、すごく名残惜しい。だけどブースを出ると、受付で精算を済ませた。
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