すき、という名前の花

 次の日。
 Bはなんだか胸がそわそわして、気づけばまた、古書店の前に立っていた。

 昨日の出来事が、ずっと心に引っかかっていた。うまく言葉にはできない。でも、何かが動き出したような気がしていた。

 「こんにちは〜」

 引き戸をガラリと開けると、古川さんがカウンターの奥で本を読んでいた。Bの顔を見た瞬間、ふっと目を細めて言った。

 「奥にいるよ」

 その一言に、Bの心臓がトクンと鳴った。

 「おじゃましまーす……」

 静かに店の奥へ進む。お客さんの気配にそっと気を配りながら、声も自然と小さくなる。

 カーテンの向こう、ひんやりとした空気が広がるその場所で、Aがひとり、机に向かっていた。

 ちいさなノートに、丁寧になぞられた「“あ”から“お”」の文字。
 その上を、Aの指がゆっくり、まっすぐ、なぞっていた。

 ときどき、口元が小さく動いている。……発音の練習だ。
 真剣なその横顔を、Bはしばらく黙って見つめた。

 ——声をかけたい。でも、邪魔はしたくない。

 そっと鞄を床に置いた。
 ほんの少しだけ、大きめな音を立てて。

 パッと顔を上げたAと、目が合った。

 「こんにちは、Aくん」

 Bは、自然に笑っていた。

 Aはスマートフォンを取り出し、「😃」のスタンプを画面に表示させて、笑ってくれた。