あのね、先生



そう、あれは
忘れもしない10年以上前の話——


中学二年の春。


数学がどうしても苦手で、
親に勧められるまま、近所にあった個別塾に入った。


今までも、集団塾、家庭教師……
と色々な形で両親に入れさせらたが、どれも合わなかった。

塾は、苦手な勉強をひたすら強制的にやらされる場所。
正直、いいイメージなんて無い。


楽しい場所じゃないし、面倒だし。
通いたくなんてなかった。


そんな中、不安と緊張、
そして憂鬱で始まった個別塾の初日。


室長室で室長から説明を受けて、
「じゃあこっちに」と案内された。



案内された先には——


白いシャツに深い緑色の
カーディガンを羽織った、

爽やかな雰囲気の男の先生が
こちらを向いて立っていた。


肌はやや白く、
ゆるっとしたこげ茶で無造作な髪。

少し長めの前髪は横に流していて
整えすぎずナチュラルにまとまっている。


その柔らかな目元や落ち着いた雰囲気は、
どこか年上らしい安心感がある。

時折、口元にできるえくぼが印象的だった。


この人が私の担当なのかと思ったら、一気に緊張が増した。


しかも、個別指導なんて初めてで——
できれば女性の先生がよかった。


親族以外の男の人は、ちょっと苦手だ。



「はじめまして。今日から担当する佐野です」



佐野先生は、緊張で固まっている私に
そう声をかけてくれた。


落ち着いた声。
穏やかな微笑み。


初めて会ったのに、どうしてか
少し緊張がほぐれた気がした。



この日から、
佐野先生は、私の数学担当になった。



先生は大学生。
中学生の私から見れば、遥かに大人だった。


授業もわかりやすく、数学が苦手な私でも
理解できるように、ゆっくりと教えてくれた。

何度も同じところを間違えても、
嫌な顔一つせずに「次はきっとできるよ」と励ましてくれる。


雑談もたくさんして、

いつも教室で最後の1人になるまで
先生とケラケラと笑いながら喋っていた。



気づけば、塾に行くのが楽しくなっていた。



帰り際に「またね」と微笑まれると、
それだけで胸が高鳴る。



どんどん先生のことが、
好きになっていくのがわかった。



そして高校二年の冬、

私は、先生に気持ちを伝えようとした。




「あのね、先生——」




けれど、その先の言葉が出ない。


「……やっぱり、なんでもない」


私は笑って誤魔化した。




——所詮、私は高校生。


彼は大学生。




向こうからしてみれば、
私なんかきっとまだ子供で、




脈なんてないんだ。




先生は大学卒業を機に、
塾を辞めることになり、


私は最後まで何も言えないまま、
別れの日を迎えた。





——そして、私は現在(いま)、一人の先生の前にいる。





ーーー