波野(なみの)先輩の、お母さんを見送りに。
 娘本人に加えて、なぜか高嶺(たかね)がついていった。

「なんだか急に、愛想がよくなったわね」
「差し入れのクッキーが、おいしかったからじゃないの?」
 三藤(みふじ)先輩の疑問に、ズバリ玲香(れいか)ちゃんが答えている。

海原(うなはら)くんは、いかなくてよかったの?」
「明日の病院の付き添い、誘われてたからいいんじゃないの?」
「それはわたしも、あなたも誘われたじゃない」
「わたしたちは辞退したけど、(すばる)君は断らなかったもんねー」
「そうね。海原くんでは、あの母親には勝てないわよ」
 ……あ、あの。
 好き勝手いってますけど。
 僕も同じ室内で、空気吸ってるんですけど?


「そういえばさ! ふたりとも一回くらい、見にいかなくていいの?」
「えっ?」
「へ?」
「だって、委員長と副委員長だよ? 見てないのに、報告書作れるの?」
「い、忙しいし。なんとなくでもいいんじゃ?」
 玲香ちゃんは、なんだかそれは不満らしい。
「昴君、ちゃんと回んないとダメだよ!」
「ええっ……。書類いっぱいあるんだよね……」
「そ、そうよ。山積みなのよ」

 このとき、玲香ちゃんはいったいどんな『作戦』を立てていたのだろう?
 とにかく、いい出したら聞かない性格なので。
 僕たちは結局、視察にいくことになってしまった……。


 三藤先輩と、並んで歩くと。
 あちこちから、驚きの視線が飛んでくる。
 放送部員として一緒に過ごしていると、完全に忘れてしまうけれど。
 そうだ。委員会の人たちには、少し例外があったけれど。
 三藤(みふじ)月子(つきこ)というの存在は、本来。
 歩かないし動かない、おまけにしゃべらないキャラで超有名人だ。

「……その表現、少し誇張しすぎじゃないかしら?」
 僕にしか聞こえないように、してくれるのはいいんですけど……。
 その声を聞こうと、耳を近づけないといけなくて。
 先輩の髪の毛に当たってしまいそうで、緊張します。

 周囲からの視線を感じるが、この『小道具』のおかげか。
 どう見ても、『文化祭デート』とは思われないだろう。
 僕の腕には、委員会の腕章。
 手元には、プログラムを挟んだだけだけど、大きくて真っ赤なバインダー。
 そして、肩からかけているのは……。
「こ、こんなのいるの?」
「え〜、視察でしょ、視察!」
 なるほど、玲香ちゃんと高嶺のイタズラはこれだったのか。
 僕は、『視察中』とピンクの文字でデカデカと書かれた。
 金色の大きなタスキを、肩からかけて。
 三藤先輩とふたりで、廊下を歩いている。
 唯一の幸運は、自分の姿を、僕自身が見なくて済むことだが。
 その分、先輩は歩数の分だけ。
 沈黙する時間が、伸びていく。

「……せ、先輩は。僕と一緒に歩いて、恥ずかしくないですか?」
 僕はなんとか、会話をせねばと勇気を出して聞いてみる。
「……そ、それは。『どちらの意味』で聞いているの?」
「へ?」
 どういうことだ?
「タスキなしと、タスキありで、ですか?」
 すると三藤先輩は、いつものようにため息をつくと。
「……もう、答えなくていいわよ」
 これまた聞き慣れてきた感じのことを、僕に告げる。
 あぁ、せっかく話しを振ったのに。
 聞くだけ、無駄だったじゃないか……。




 ……まったく。
 タスキの有無なんて、無しがいいに決まっているじゃないの。

「僕と歩いて、恥ずかしくないですか?」
 いきなり聞くもんだから、相当焦ったじゃない。

 海原君の質問が、最近わたしの心をよく驚かす。
 でも、わたしの思い違いも毎度のことで。
 あぁ、きょうもまた、勘違いしてしまった……。


 並木道の『出店通り』に、視察にいくことになり。
 玄関で革靴に、履き替える。
「こ、校舎を出るから。そのタスキは外してもらえないかしら?」
「やっぱり、先輩も恥ずかしいんじゃないですか!」
 そうね、タスキは相当恥ずかしい。
 あとで玲香と由衣に、たっぷり文句をいうわよ、絶対。

 ただ、お願い。
 委員会の腕章は、つけたままでいて。
 それさえあれば、ほら。
 これは『文化祭デート』ではなくて、ただの視察だと。
 海原くんと歩いていても、『恥ずかしくない』から……。




「……海原くーん!」
 ……えっと、あれは。前作でもチラリと登場していた。
 三組の、女の子です。
「たこ焼き買って〜、い、いかないねぇ……。ご、ごめんなさい!」

 同じクラスのサッカー部の、女子マネージャーも、
 四組の陸上部の、女の子も。
 なにかを売ろうとしては、消えていく。
「もしかして、買うお金がないと思われてるんですかねぇ?」
 どうしてみんなが遠慮するのか思い当たらず、口にしたのだけれど。
 ……って。
 えっ……。

「随分と、女の子に顔が広いのね……」
 ふ、藤色の怒りのオーラが。
 僕の真横からものすごい量で、湧き出ている……。

「三藤先輩、し、視察ですからね」
「わたしは、そのつもりでいるわよ」

 え、笑顔までは求めませんから……。
 せめてそのオーラを出さないで。
 く、くれませんでしょうか……。


「あのぅ……」
 突然、死神のような声がした。
 まぁ、死神にはまだ。会ったことはないのだけれど。

「ひ、ひとついいですから……。買ってもらえんませんか……」
 なんだ、死神じゃなくて山川(やまかわ)か。

「……貧乏神、みたいだったわね」

 どっちにせよ、ろくな神様じゃない。
 珍しく山川が、三藤先輩に反応しなかった。
 それくらいアイツは、既に疲れ果てていた。

「……海原くん、本当に食べる気なの?」
 三組の女の子に勧められたたこ焼きは、それなりにおいしそうだった。
 にも関わらず、男子バレー部のそれは……。
「紫色のたこ焼きって、世の中に存在するのね」
「ちなみに、タコ入っていないらしいです」
「もはやたこ焼きとしての存在意義、どこにもないじゃない……」
 死神、いや貧乏神。
 どっちでもいいけど、山川から。
 タコのない、紫色の、ビックバン寸前の球形みたいな塊を。
 頼むから買ってくれと、泣きつかれた。

「海原くんは、大人になっても友達だからって。お金貸したりしたら絶対ダメよ」
 山川は、最初。それは百五十円だといってきた。
「親友価格で、百円にするからさぁ……」
 三藤先輩が、冷たい目で僕を見るので。
 それを値切って、五十円で買った僕だけど。
 三藤先輩の助言を、忘れないようしようと心に刻む。

「先輩、まずはおひとつ。いかがですか?」
「タコの入ってないたこ焼きなんて、絶対食べないわよ」
 では、タコさえ入ってたら。
 たとえそれが紫色でも、食べてくれるのだろうか?

 怖くて、聞けない。
 でもどうしたらいいんだ? 
「ちょうどいい人が、こちらにくるわよ」
「へ?」
 お母さんが、バスに乗ったのだろう。
 並木道の奥のほうに、波野先輩と高嶺が見える。

「あ〜。委員会の仕事しないで、あ・そ・ん・で・る〜」
 波野先輩は、そういいながらも。
 ちゃっかり目線で、僕が手に持つ異物を確認して一歩後退している。
「距離、近いし! ちゃんとタスキ、つけなよね!」
 高嶺は吠えながら、ガッツリ目線で獲物を捕獲しているらしい。
「ほれ、おごりだ」
 まさかと思いつつ、手元の物体を皿ごと渡すと。
 アイツはまとめてふたつずつ、口に入れながらあっというまに食べ終わった。

「……ところで、これなに?」
 八個すべてを、食べ終えてから聞くなよな……。
「山川特製の、たこ焼きだ」
「ウゲッ、や、山川のなの……」
 先にいわなくて、よかった。
「それにドーナツじゃなかったの? そもそも、タコ入ってなかったじゃん!」
 いや。紫色のドーナツでも、食べたくないし……。

「タコの入っていないたこ焼きだって、存在するのよ」
 あれ? 三藤先輩。
 さっきは思いっきり、非難していませんでしたか?
 そうか……。
 高嶺と同じ発想だと、思われたくないんですねきっと。
「なによ?」
「どうかした?」
 ふたりが、思わずニヤついてしまった僕を見るけれど。
「ま、いっか。パン食い競争のアレよりは食べられた!」
 高嶺は、よほど機嫌がよいらしく。
 世界は平和なまま、視察を終えられる。

 ……はずだった。