「……なんかさっきの後輩さん。急いでたね?」

 わたしの隣の、五組の男子が。
 なにかいっている。

 ……さっきは『機器部』の後輩さんって、いったくせに。


「おぉっ!」
「えっ、お前! も、もしかして?」
「い、いやぁ……。ちょっとさぁ〜」
 目の前に追加の男子たちが、現れて。
春香(はるか)さん、こいつら俺のクラスでさぁ〜」
 隣の男子が、またなにかいっているけれど。
 もうわたしの心には、響かない。

「……用事を思い出したので、ここでゴメンね」
「ええっ! な、なんで?」
「だから、用事を思い出したって、いったんだけど?」

 やり取りを聞いていた、追加の男子たちが。
 いきなり焦りはじめる。
「あ、なんか微妙なときだったら。ご、ゴメン!」
「俺たち、友達だからついコイツに……」
 なにが、微妙なときなの?
 つい、どうしたの?

 わかるよ、わかる。
 だって、『文化祭デート』していたんだよね、わたしたち?
 だから、そんなときに邪魔をしたって勘違いした。
 そうだね、友達思いなのは悪いことじゃないよ。

 わたしは、追加の男子たちのほうを見て。
「ううん、わたしのほうこそ。急に思い出しちゃって、それになんだか気をつかわせてしまって、ゴメンなさい。あと、本当に申し訳ないんですけど。ここで少しだけ、待っていてもらえますか?」
 一気にそう告げると。
 続いて隣の、もはやただ立っているだけのもうひとりに、話しかける。
「すぐ終わるから、ちょっとついてきてもらってもいい?」

 そうやって、せめてもの、やさしさというか。
 いや、違う。
 わたしの気まぐれで、迷惑をかけたことへの配慮というか。
 とにかく少しだけ、人の気配が減った場所へと誘導した。


「……あのね。いまどき『機器部』とか呼ぶのって、前近代的っていうか。すっごく情報が古いなって思ったんだ」
 多分。この人はなんのことかさえ、わからないだろう。
「だからきっと、わたしのことだって。ちっともアップデートとかしてないんだろうなって、思っちゃった」
 えっと、ちょっと表現がキツかった?
 いや、わかっていなさそうな顔だね。それならいいか。
「もし、色々文化祭を見て回る準備とかしてくれていたのなら、ごめんなさい。でもわたし、ちょっと軽率だった自分をすっごくいま、反省しています」
 ……もう、この辺でいいかな?
「だからきょうはありがとう。あとはお友達と、楽しんでね」

 ここまでいっても、なんの返事もない。
 じゃぁ、あとはお友達さんに、任せておこう。

「……いや、一応。俺、ずっと前から!」
 やっとなにか、しゃべったと思ったら。
 あの? 『一応』って、どういうこと?
「春香さん、かわいいなって思っててさぁ〜」
「……そっか、じゃぁ。失礼します」
 なるほど。
 お互い、間違ったことをした。
 少なくともそう思えたから、よかった。

 ところが、去りかけたわたしに。
 案外五組の男子は、しつこくて。
「ね、ねぇよかったらさぁ〜」
 まだわたしを、引き留めようとしてきて。
 困った、静かな場所にこないほうがよかった。
 そう思って、動けずにいたのだけれど……。



「よう、陽子(ようこ)!」
 ……えっ?
 いまの声って、誰?

 わたしが慌てて振り返ると。
 長岡(ながおか)(じん)が、そこにいた。
「えっ?」
 五組の男子が、驚いている。
 いや、わたしも驚いている。

「長岡先輩?」
 どう見ても本人だけど、わたしは思わず確認する。
「おう。なんだ、邪魔したか?」
 先輩は、わたしに向けてそういうと。
 今度は隣の男子に向かって、同じセリフを繰り返す。
「いえ、別に……」
 その男子は、短く答えると。
 わたしにはなにもいわず、そのまま消えていった。


「……なんか、邪魔したかもな。悪かった」
 長岡先輩が、頭を小さくかきながらわたしにいう。
「い、いえ。ある意味助かりました。ありがとうございます」
 ありきたりだけど、それがこのときの。

 ……わたしの偽らざる、気持ちだった。




 ……偶然見かけて、ちょっと驚いた。

 春香(はるか)陽子(ようこ)が、海原(うなはら)じゃない男とふたりきりで?
 いやそれより、なんか困ってないか?
 
 その直感が、どうやら当たったようだ。

 目の前のふたりを、見ていたら。 
 俺は都木(とき)美也(みや)から、夏の終わりに。
 海原が好きだと、聞かされちまったときのことを思い出した。


 美也は、俺が知る限りでは中学の頃からずっと。
 一学年下の幼馴染の、春香陽子を気にかけていた。
 俺は、なんだかんだと春香陽子が好きだったけれど。
 彼女には、色々あって……。
「いまのあの子には、親友が必要なの」
 そういいきった、美也の熱意は。
 俺のそれよりも、本物だった。

 その美也が、海原を好きになって。
 どうやら俺が好きな、その子もなんというか……。
 まぁ、それはさておいて。
 後輩のアイツは、確かにいいヤツだけど。
 しっかし、その彼女になるのは大変そうだぞ……。


 ……いま、すぐ目の前に。
 春香陽子だけが、ひとりでいる。
 実は、いままで何年もそんなこと。
 ありそうで、ほとんどなかったんだよなぁ……。

「……長岡先輩?」
 なんだよ春香陽子、その目はどうした?
 あ、あんまり見ないでくれよ……。

「……ちょっと、疲れました」
「そうか。俺もちょっと、色々思い出した」


 ……なぁ、美也。

 ……おい、海原。


 少しだけ、少しだけだ。
 俺の、わがままを許してくれ。


「な、なぁ? ちょっと時間あるか?」
「お礼にちょっとなら、ありますけど?」

「そ、卒業祝いだと思って。一緒に文化祭、どっか回ってくれないか?」
「えっ? でも、卒業ってまだ先ですよ?」
「だ、ダメか?」
「長岡先輩と、かぁ……」

 海原、どうだ?
 春香陽子がな。俺の誘い、じゃなくてお願いを。
 『ちょっと』考えてくれて、それからな。
「じゃぁ、よろしくお願いします」
 そういって、俺に笑ってくれたぞ!

「ま、まず二階にいくぞ」
「はい」
「それから、三階のな……」
「長岡先輩。ちょっとの割に、いっぱいないですか?」
「い、いや俺。足早いからさ……」
「わたし、走って回ったりしませんけど?」


 ……おい、海原。
 『陽子』って呼んだこと、お前はないだろ?

 俺はきょう、初めて呼んだぞ。
 な、なかなか、いいもんだ……。

 もう一度いう。
 これは、俺のわがままだ。
 文化祭デート、卒業祝いに楽しませてもらうぞ。

 だから。頼む。


 ……陽子を、あまり悲しませないでやってくれ。




 ……美也ちゃんがむかし、聞いてきたっけ?
 
「ねぇ陽子。長岡君のこと、どう思う?」
 あのときはね、特になにも思わなかったよ。

 でもいまね、なんかちょっとだけ思った。
 長岡先輩って海原君みたいな感じが、どこかする。

 でも、ふたりはまったく別人だ。
 比べるなんて、ふたりに失礼だね。

 それに海原君のこと好きだったんだよね、わたし。

 え? じゃぁわたし。
 長岡先輩のことは……。


 ……恋するだけでは、終われない。
 わたしは、そんなことはとっくに知っていて。

 ただ、このとき。


 ……気づいただけでは、終われない。


 別の、なにかが。

 わたしの中で。
 ……やや確信めいて、動き出した気がした。