「放送部って文化部だけど、文化祭とは無縁ですね……」
「そうかしら? ゆっくりできて、いいじゃない」
高嶺由衣と三藤月子が、そんなゆとりある会話をかわせるほど。
午前十時の放送室は、おだやかなときが流れていた。
中庭に完成した、特設ステージでは。
メインで出演する軽音部がそのまま、業者と共に音響を担当し。
お笑い同好会の人たちが、司会進行などを仕切ってくれている。
一方講堂のステージは基本、吹奏楽部がメインとなり。
文化祭実行委員長の都木美也、会計の春香陽子のふたりが。
雑務のついでに、機器室に詰めくれている。
あとは機器部、もとい放送部としては。
特に期待されている役割は、ないようだ。
転入生の赤根玲香は、初めての文化祭を。
波野姫妃と一緒に、まわっている。
「演劇部の舞台がなくなったから、去年見られなかった分も回ってくるね!」
ひょっとしたら、空元気もあるかも知れないけれど。
波野先輩のことだ。そうやって、前に進んでいるのだろう。
「で……。アンタはさぁ〜」
高嶺よ、その続きはいわなくてもわかるから不要だ。
どうせ、朝からずーっと書類作業ばっかりしている僕に向かって。
それで楽しいかとか、聞くんだろ?
「……放送部は暇でも、『委員会』は忙しいんだよ」
「そうね、体育祭と文化祭が終わっても。精算、記録、報告書に……」
あぁ、三藤先輩!
みなまでいわずとも、結構です。
仕事が、山積みなのだけは自覚していますので……。
「……だからそろそろ、わたしも戻るわ。高嶺さんは、休んでくれていて結構よ」
わたしとの会話が、休憩時間だったようで。
月子先輩はそういうと、アイツの隣でまた電卓を叩きはじめる。
……わたしは、別にひとりでのんびりしたいわけではない。
いまここで、居眠りできるほど太い神経も持っていない。
確かに今朝も、いつもより二本早い列車で登校した。
それだけじゃない。
お弁当だって、急いで食べ終えているし。
帰りの列車も、毎日遅い日が続いている。
そりゃぁ、疲れてたまに寝ちゃってるけれど。
でもわたしの知る限り、海原は一度も列車の中で寝ていない。
それだけじゃない。授業中も、きっと家に帰っても……。
要するに。アイツはちょっと、働きすぎだ。
わたしだってちゃんと、心配してあげている。
……あと、まだ終わってもいないけれど。
今年の体育祭も文化祭も、例年になく充実していると評判だ。
それぞれの実行委員会が、チグハグなままバラバラにやってきたことを。
今年は『わたしたち』が、『本部』としてよくまとめて。
きちんとサポートできているからだと、藤峰先生が得意げに話していた。
その立役者は、間違いなく海原昴。
ただ、それを支えているのは三藤月子。
悔しいけれど、このふたりの働きがほぼすべてなんだと。
わたしは、ちゃんとわかっている。
……だからいま。
校内で楽しそうに過ごしている人たちに、知って欲しい。
あなたたちのために、このふたりは。
いまもこうして、みんなのために働いていると。
でも、恐らく。いや、きっと。
このふたりは、そんな感謝は求めない。
だからこそ。
無理をしないで、欲しいのに……。
果たしてわたしは、ふたりの役に。
きちんと立てて、いるのだろうか……?
……ふと。放送室の扉をノックする、上品な音が聞こえた。
「わたしが出る!」
わたしが、ふたりのためにできること。
そのひとつはそう、身軽なフットワーク。
そう思ったわたしは。
「なにかご用ですか!」
どこかの部活の子かと思って。勢いよく扉を開いた、のだけれど……。
「え、えっと……」
「はじめまして。波野姫妃の母親です」
「えっ?」
「あなたは、高嶺由衣さんかしら?」
「ど、どうしてわかるんですか……?」
姫妃先輩のお母さんが、先輩とそっくりの笑顔でわたしを見る。
「きれいな栗色の髪の毛、教えてもらっととおりのスカート丈。あと、わたしが想像したとおりの。かわいいお顔だから……かしら?」
えっ、なんだか。
スラスラとほめてもらえているの、わたし?
「……姫妃さんが家で山ほど話したから、ですよね。ご無沙汰いたしております」
固まっている、わたしの隣で。
丁寧に一礼しながら、月子先輩があいさつする。
……え、もしかして。
顔見知り、なの?
「……お、お久しぶりです」
「もう、海原君。ついこのあいだも、お会いしたばかりでしょ?」
なに、この人。
わたしのときの笑顔とは、また違うその表情。
そんな笑顔で、海原と会話しちゃうんだ……。
……よく、わからないけれど。
親子でコイツと仲良しっていうのに、胸の奥のどこかがざわついた。
「なぁ高嶺、放送室にご案内してもいいか?」
「えっ?」
どういうこと?
なんでそこまでサービスしちゃうの?
「先輩のお母さんはここの高校と、そして放送部のずっと前の卒業生だ」
「そ、そうなんだ……」
「ちょっと海原君。『ずっと前』は余分じゃない?」
「えっ……。し、失礼しましたっ!」
「そうね海原くん、反省しなさい」
「は、はいっ!」
卒業生とかいわれると、断る理由がない。
いや、そんなことより。
……この三人。
なんでそんなに、仲よくしてるの?
「ちょっとママ! 勝手にひとりでこないでよ!」
「あら。返信がないから、ここかと思っただけよ?」
「え、姫妃のお母さんですか? はじめまして!」
「こちらこそはじめまして。赤根玲香さんね」
「ウソー! なんでわたしだって、わかったんですか〜?」
それはきっと、姫妃先輩が家でいっぱい話してたからだよ。
そう。わたしのこともちゃんと、話してくれていた。
だけど、だけど……。
両手にたくさんの食べ物を抱えた、先輩と玲香ちゃんを見て。
「せっかくですので、少し召し上がられては?」
「あら、よろしいの?」
「うわっ、月子が愛想いいなんて珍しい〜!」
「ほんとだ! ママ、これはレアキャラだよっ!」
なんだかみんなが、距離感をどんどん縮めているのに……。
「ちょっと由衣、手伝って!」
「は、はい……」
そうやって、答えたのに。
えっと……。
わたし、わたしは……。
なんだろう、どうしてだろう。
わたしだけが、なぜだかこの世界に馴染めない。
だからわたしは……。
「の、飲み物買ってきます!」
そういって、誰の返事も聞かずに。
放送室から離れようと、走り出した。


