◇桃髪の女

「何でかは自分でも分からない....かな」

戸惑いながらも、彼を見る。
すると、首を搔き始めていた。

「.......!」

これは、毒が回ってきている証拠。

「少しじっとしてて」

私は尻尾の先端を彼の首元に刺す。
急いで毒を吸い取らないと。

首付近の、血と混じった毒素を抜き始める。

「ありがとう」

「えっ?」

「治療してくれてるのは伝わるから」

しばらくして、「で、さっきの質問の続きだけど」と彼が話し始める。

「もしかして今のあんたは、サキュバスの人格か?」

「?どうして?」

「治療法もそうだけど、力の使い方がわかっているみたいだから」

そうだった。
少し前まで私は、力を使いこなせなかった。

「......正直に言って、どの人格かも分からない」

と続けて理由を話す。

「無意識に力の使い方がわかるから、サキュバス化の影響もあるかも。でも、人だった時の記憶も残ってる」

人格の境目が曖昧になってきているのかもしれない。
何となくだが、感覚としてそんな気がした。


「なるほど。だとしたら…サキュバスと人、両方を併せ持つ人格かもな」


話しているうちに、全ての毒が抜けた。
尻尾を外すと、彼が「今更だけど」とじっと見つめる。

「毒を吸い取って、あんたの体は大丈夫なのか?」

「うん。多分、平気」

特訓と称して昔から毒攻撃を受けてきた。
そのおかげか、毒の耐性は割とある。

まぁ、だからこそ…
その耐性を超える、猛毒のポーションを使おうと思ったのだが。

ボロ…ボロ…ボロッ!!

「ん?何か崩れる音がしないか?」

石くずが落ちる音だろうか。音は徐々に大きくなり、そしてついに――

ズガァァァン!!

大きな岩が地面に落下し始める。

「これって、洞窟が崩壊する前触れだよな」

「!!」

私のせいだ。
自分の放った風圧で、洞窟が耐えられなかった。

「急いでここから離れるぞ!」

「うん」

私は慌てて走り出そうとするが、急にめまいがして地面に倒れ込んだ。

「!?おい、大丈夫か?」

「…あれ?体が動かない…どうして?」

「吸い取った毒のせいだろ」

おかしい…。
私には毒の耐性があるはずなのに。

「ほら、おんぶするぞ。しっかりつかまれ」

彼の逞しい背中に思わずしがみつく。

(これが…男の人の背中)

思っていたより広く、しっかりしていて温かい。
意識すると、再び心臓が高鳴る。

「全力で飛ばすから、しっかりしがみつけよ」

その瞬間、彼の背中から何かが流れてくるのを感じる。

「この流れは、いったい……?」

「あぁ、魔力を流してるんだ。ステータス変動で速さに集中させるために」

彼は思い切り地面を蹴り上げ、洞窟の中を駆け抜ける。
道中、落下する瓦礫を避けながら…。

――不思議な人

魔力だけでなく、あなたの全てが私にとって特別に見える。
瓦礫で危険な状況でも、恐怖を感じないほど。

落下する音や振動、外部のことは何も聞こえない。
勇敢に駆ける彼の姿だけが、視界に焼き付いていた。

――きっと、私は恋に落ちたんだ…。

まだお互い名前も知らない関係。
それなのに、私は彼の虜になってしまった。

「………」

より強く背中に縋りつく。

でも、これは実らない恋だ。

彼との楽しい時間も、案内と共に終わる。
それからは、また追手に怯える日々。

本当は、名前も素性もすべて打ち明けたい。
でも話せば、彼を巻き込んでしまう。
だって、私は魔王に追われる立場。

好きだからこそ、これ以上近づいてはいけない。
この人に身を委ねることは許されない。

――このまま時が止まればいいのに。

薄暗い感情とは裏腹に、外の光へと私たちは向かっていく。

  ▽

....間一髪で助かった。
あと数秒遅ければ、私たちは洞穴の崩壊に巻き込まれていたかもしれない。

「あんた、痛むところはないか?」

その後すぐに、私の体調を気遣ってくれた。
些細な気遣いが、とても嬉しい。

「はい、大丈夫です」

「本当か?姿も元に戻ってるし、相当体力を消耗してそうだが」

コウモリの毒が想像以上に強烈だった。
その結果、体の免疫がMPを大量消費し、淫魔の姿を保てない状態に。

でも、免疫のおかげで毒による痛みはすっかり取れた。

「体力は削られましたが、毒の症状は大分よくなったので」

彼の不安そうな視線は消えない。

「あ、あの」

これ以上心配させないよう、話題をそらすことにした。

「先ほどは、貴方にため口で話してしまってごめんなさい」

「ん?あぁ、別に気にしてないぞ。俺も敬語使ってないし」

「でも、恩人の前でため口は…」

「あんたも同じだろ」

「えっ?」

「あんたに何度も命を救われた。この毒だって、耐性の無い俺なら死んでいたかもしれない」

「.........」

不意にかけられる嬉しい言葉。
…そっか。

――私、この人の役に立てたんだ。

意識した途端、照れてしまう。

「だから、もう敬語使わなくていいんじゃないか?」

彼の提案に思わず笑みを浮かべてしまう。

「うん。分かった。これからは素で話すね」

これ以上距離を縮めてはいけない人。
近づくほどに、危険な目に合わせてしまうと分かっているのに。
自分の感情が止められない。

スウゥゥゥゥゥ...

感傷に浸っていると、ふと異変に気づいた。どこからか微かに漂う魔力の気配。
肌に触れる空気がわずかにざらつく。

私は周囲を警戒するように目を細めた。
その瞬間――

地面に漆黒の光が揺らめき、じわじわと広がっていく。

「!?これって魔法陣?」

...!!
地面から黒いオーラをまとった魔物が現れた。まるで地獄から這い上がってきたかのような気味悪さ。

私は思わず身震いした。