思わず息を呑んだ。
スッと通った鼻筋に、切れ長の美しい目。
瞳はエメラルド色で、まるで宝石のようだ。

透き通る白い肌に、滑らかな曲線を描く腰のくびれ。
さらしのように巻かれたタオルからは、大きな膨らみが窮屈そうに主張していた。

誰もが二度見してしまうような光景。
だが、俺が目を奪われた理由は、それだけではなかった。

背中にはコウモリのような翼。
尻尾の先は矢じりのようなスペード型。
そう――淫魔(サキュバス)の特徴だ。

そして何より、俺の心をざわつかせたのは、
その淫魔(サキュバス)が莫大な魔力を放っていたこと。

今の差では、天地がひっくり返っても勝てない。

ごくり。
唾を飲み込み、緊張を押し殺す。
――幸運なことに、こちらの存在にはまだ気づいていないようだ。

なら、今のうちに音を立てず――

その瞬間。
彼女の視線が、遠くからこちらへ向けられた。

目が合う。
無表情にもかかわらず、整った顔立ちが冷たい印象を強めている。

(気づかれたか。なら、もう逃げられない。動きを見て、隙を突くしかない!)

一挙手一投足に集中しなければ。
だが、目を開け続けることはできない。
俺は一度、瞬きをした。

ほんの一秒ほどだった。
瞼を開けると――

黒い翼も、鋭い尻尾も消え、ただの人間の姿に戻っていた。
魔力の気配も感じられない。

「あ、あの……お邪魔でしたよね? ご、ごめんなさい、すぐ退きますので!」

慌てた様子で滝つぼから離れていく。
命を賭けた戦闘を覚悟していただけに、拍子抜けだった。

「まぁ……命拾いしたから良しとするか」

緊張が一気にほどけたせいか、腹が鳴った。
そういえば、王城での最悪な食事以来、何も口にしていない。

「よし。飯にするか」

滝つぼにいる今、獲物は魚に決まりだ。

   ▽

「……ごちそうさま」

食事を終えた俺は休憩のため、洞穴の方へと戻っていた。
歩きながら、今後の方針を考える。

まずは負債の返済。
返済すべき魔力は267に対し、現在の所持は515。
全額返済しても、魔力は248残る計算になる。
それだけあれば、この森の魔物に対処できるはずだ。

足を止める。

「ステータス」

表示されたプロンプトの「負債元本」の項目に目を通す。
……確か返済には「リペイメント」と唱えればよかったな。

「リペイメント」

《現在、リザヤの負債元本の魔力(エナジー)は200です。返済量を指定するか、完済を希望の場合は“フルペイメント”と唱えてください》

「フルペイメント」

唱えた瞬間、体内から魔力が流れ出ていく。

《魔力の元本を完済しました。ただし、負債全体の完済は、今日(こんにち)の利子支払い後に完了します》

利子の支払いは日付が変わる直前。
つまり、今は待つしかない。

これで、返済に関してやるべきことはすべて終えた。

次に考えるべきは――
追手を薙ぎ払える力を、どう身につけるかだ。

俺は亡命者。
たとえ他国に逃れても、追手が潜んでいる可能性は高い。
出会えば戦うしかなく、負ければ捕らえられて処刑される。
リアディスやシタールへの復讐も果たせなくなる。

今が、力を蓄える最大のチャンス。
人の目が届かないこの魔境で、どれだけ強くなれるかが運命を左右する。

ただ、前貸しだけでは足りない気がした。

……スキルの使い方も磨いておくか。
その方が奴らを、完璧に殺せるはずだから。

「……さて、どう磨くか」

ステータスの「スキル」欄に目を向ける。
以前、スキルがランクアップした際に、新たな能力を二つ習得していた。

「……ん?」

改めて見ると、そのうちの一つに疑問が浮かぶ。

―――――――
リザヤ
 ・
スキル:力の前貸し
ランク1:バンスズorリースズ
複数対象への付与可能
ランク1:リース&バンス
前借りと前貸しの同時使用可能
ランク2:……
 ・
―――――――

「貸し借りの同時使用……どういう意味だ?」

複数対象への付与はイメージできるが、同時使用のほうはよくわからない。
試してみるか。

辺りを見渡す。
だが――

「…………」

魔物の姿は見当たらなかった。
仕方ない、洞穴に戻るか。

疲れがどっと出てきたので、そこで休息を取ることにした。
再び、歩き出す。

そして、目的の洞穴が見え始めた頃――

「いいだろっ!ちょっとぐらいよぉ!」
「んだべ!少し触るくらい減るもんじゃねぇべさ!」

「やっ、やめてください……!」

先ほどの美女が、男二人に絡まれていた。

「あっ!? あなたは……」

彼女が俺に気づく。

「ああん? なんだこいつ? この女の知り合いか?」
「邪魔するってんなら、容赦しねぇぞ!」

……おかしい。
あれほどの魔力を持っていた彼女が、なぜ対処できない?

「シカトしてんじゃねぇぞゴラァ!」
「兄貴、こいつ分からせてやるべ!」

俺は両手を挙げ、降参のポーズを取る。

「待ってくれ。俺は知り合いでもなんでもない。邪魔しないから見逃してくれ」

「だとよ、どうするべ?」
「ぷはっ、だっせぇ~!」

男が俺を見て笑う。

「まあ、こんな奴が俺たちに何かできるわけねぇか。通っていいぜ」

「恩に着る」

彼女の目が俺を見つめる。
諦めと恐怖が入り混じった、複雑な表情だった。

「ふん。とんだ邪魔が入ったな。二度とこんなことが起きないよう、茂みに連れてくぞ!」

「おう!了解だべ!」

男たちは彼女の細い腕を引っ張り、茂みに放り込む。

「おい、悲鳴が出たら厄介だ。一旦気絶させてから楽しもうぜ」
「おぉ、いいアイデアだべ」

気絶という言葉が聞こえた途端、茂みの葉が激しく揺れた。
必死に抵抗しているのがわかる。

「ぐっ!? コイツ、急に暴れやがって……このっ! 大人しくしろ!!」

鈍い音が響いた。