その手で、愛でられたい



〇明侑大学・看護部実習室
愛美「昔好きだった人の好物です」
匠「え……」
匠、切ない顔をする。
愛美、懐かしむように話す。
愛美「『不味いものでカロリーを取らない主義』らしくて」
愛美「しょっぱいとか脂っこいとか、文句が多かったんですよ」
愛美、苦笑いする。
匠、ハッとしたように愛美を見る。
匠M「俺と同じだ……」
匠「ワガママで大変だったろ?」
愛美、服の一部だけ濯ぐ。
愛美「そうですね……」
愛美、手を止めて俯く。
愛美「『美味しい』って一回も言われたことないのに」
愛美「いつも残さず食べてくれてた……」
愛美、目を潤ませる。
愛美「彼は不器用だったけど、たぶん愛情深い人でした」
匠、怪訝な顔で愛美に問う。
匠「何でそう思うんだ?」
愛美「……不満よりも先に幸せだった思い出が蘇るんです」
愛美「彼の顔も思い出せないのに、不思議ですよね」
愛美、匠に笑いかける。
匠、またハッとする。
匠M「一緒だ……」
愛美、匠の服を見つめる。
匠、俯いて話し始める。
匠「頭悪くて、自分より相手の幸せを願うバカ、泣き虫で、どんくさくて、虫嫌い」
愛美、不思議そうな顔で匠を見る。
愛美M「誰の悪口?」
匠「特別可愛いわけでも、スタイルが良いわけでもないし、食い意地張ってて……」
愛美、黙ったまま匠の話を真顔で聞く。
愛美M「いい所ないな……」
匠「よく考えたら、全然タイプじゃない」
匠「でも、そいつとの幸せだった記憶しか蘇ってこない」
匠、目を潤めて愛美を見つめる。
匠「相手の顔も思い出せないのに……」
愛美、切ない顔をする。
愛美M「みんな同じようなことを経験してるんだ」
愛美、匠の服を持って近づく。
愛美「シミ、綺麗に落ちましたよ」
愛美、匠に服を手渡す。
匠、服を見て口を尖らせる。
匠「まだ濡れてるぞ?」
匠M「無頓着な奴……」
愛美、きょとんとした顔。
愛美「これぐらいならすぐ乾きますよ?」
愛美M「神経質な人……」
匠、ツンとした感じ。
匠「もし俺が風邪ひいたらどうすんだ? 責任取れんのか?」
愛美、呆れたような顔。
愛美「これぐらいで風邪ひくなんて、貧弱ですよ?」
匠、愛美を睨む。
匠M「俺が貧弱だと? ムカつく女だな」
愛美、匠を睨む。
愛美M「なんて器の小さい男」
愛美「……もし万が一、風邪ひいたら看病でも何でもします」
愛美、匠に服を押し付ける。
愛美「早く着て行かないと、みんな困っちゃいますよ?」
匠、子供のように拗ねる。
匠「午前中、馬車馬のように働いたんだ。困らせればいい」
愛美、クスっと笑う。
愛美M「この人はホント、つかみどころがないな」
匠「笑ってんじゃねぇよ」
愛美「だって、あまりにも子供みたいだから」
匠、愛美の笑顔を見て抱きしめたい衝動に襲われる。
匠M「ダメだ。落ち着け」
匠、突然立ち上がる。
匠「落ち着け……!」
愛美、驚いたように匠を見上げる。
匠M「今ならまだ……」
匠、愛美に腕を回そうとする。
壮太、勢いよく実習室のドアを開ける。
匠、驚いたように壮太を見る。
壮太、怒ったように前のめりで愛美の元に近づく。
壮太「感心しないな」
愛美、焦ったように弁明する。
愛美「壮ちゃん! 服汚しちゃって、それで……」
壮太と匠、お互いに睨み合う。
愛美、困惑した顔で壮太を見る。
壮太「黒川君、君は卒業したら結婚するんだから」
壮太、愛美を抱き寄せて匠を睨み続ける。
壮太「人の彼女に手を出さないでくれるかな?」
匠、動じることなく壮太を睨む。
愛美M「そうだ……。婚約者が居るんだよね」
愛美、暗い顔をする。
匠「だから何? 別に手出してないし」
匠「婚約者が居たら他の女子と話しちゃダメなわけ?」
壮太、嫌悪感を募らせる。
壮太「愛美、聞いたか? 浮気を悪いと思ってない男だ」
壮太「こんな奴と一緒に居たらお前までおかしくなるぞ?」
愛美、壮太の呪縛のような言葉から逃れるように怯えた顔で耳を塞ぐ。
愛美M「壮ちゃんやめて……」
匠、平然と言い返す。
匠「おかしいのはお前だろ? 病んでる奴の目だぞ」
壮太、睨みつける。
壮太「うるさい! 黙れ!」
壮太、握りこぶしが震える。
壮太「俺はな、ずっと愛美だけを見てきたんだ」
壮太「なのにお前が突然現れて、彼氏面するから……」
壮太、泣き始める。
匠「彼氏面なんかしてねぇだろ」
壮太「してただろ! 忘れたならずっとそのまま忘れてろよ!」
壮太「何でまた愛美に近づくんだよ? 他の女でも良いだろ……」
愛美、泣き叫ぶ壮太を初めて見て動揺する。
愛美「壮ちゃん? 落ち着こう?」
愛美、壮太の背中を摩ろうと手を伸ばす。
壮太、愛美の手を払って怒鳴る。
壮太「お前もバカなんじゃねぇのか! 何回騙されれば気が済むんだよ?」
愛美、怯えた顔で壮太を見つめる。
壮太「忘れるぐらい辛かったなら、近づくなよ!」
愛美「何……、言ってるの?」
壮太、愛美の手首を思いっきり強く握って部屋を出て行こうとする。
その時、直下型地震が起きる。
愛美「キャッ!」
壮太、驚いて手を放して我先にと頑丈なテーブルの下に逃げ込む。
愛美、両手で頭を抑えたまましゃがみ込む。
愛美M「怖い……」
愛美、激しい揺れと恐怖で思うように動けない。
愛美M「私はここで死ぬかもしれない……」
匠、愛美の肩を抱き寄せて言う。
匠「立て!」
愛美、ハッとする。
匠、愛美を守るようにしてテーブルの下に避難する。
愛美、大きな揺れが続き、恐怖で全身が震える。
匠、愛美を抱きしめる。
匠「大丈夫。死ぬ時は一緒だ」
愛美、ハッとする。
(回想)
〇愛美のアパート・愛美の寝室(夜)
愛美、匠に背を向けて起き上がろうとする。
愛美M「早く離れないと」
愛美、ベッドから脚を下す。
愛美M「好きになっちゃダメなんだって」
匠、寝言を言う。
匠「愛美、死ぬ時は一緒だ」
愛美、それを聞いて切ない顔で部屋を出ていく。
愛美M「そんな言葉、何の覚悟があって言うの?」
(回想終了)
〇明侑大学・看護学部実習室
愛美N「その一言で、私は全てを思い出してしまった」
愛美、涙を浮かべる。
愛美M「何でこんな時に……」
匠、愛美を抱きしめ続ける。
(回想)
〇明侑大学付属病院・医学生の休憩室
賢二、笑いながら言う。
賢二「幸せはな、誰かに決められるもんじゃない」
賢二、胸に手を当てる。
賢二「自分で感じるもんなんだよ!」
匠と誠也、どこか冷めた感じで賢二を見る。
賢二、匠に熱い視線を向ける。
賢二「誰と居る時がお前は一番幸せなんだ?」
賢二「その人のために命賭けてみろ。人生、変わるぞ」
匠、切なそうに俯く。
匠M「俺だけがアイツを好きだったら、虚しいだろ……」
(回想終了)
〇明侑大学・看護学部実習室
匠M「アイツって誰だ? 俺は誰が好きだった?」
匠、震え続ける小さな愛美を見て悲しくなる。
匠M「誰が好きだったかなんて思い出せない。でも……」
匠M「今は、コイツを守りたい」
匠、愛美をギュッと強く抱きしめる。

〇明侑大学・食堂
彩、脚が震えて腰を抜かす。
彩、倒れてくる大きな鉢植えを見つめる。
彩M「死ぬ……!」
彩、目をギュッと閉じる。
賢二、鉢植えを押さえる。
賢二「逃げて!」
彩M「賢二くん……」
彩、目を開けると目の前に賢二が居る。
彩M「いつもいい加減でヘラヘラしてるのに……」
彩、賢二の頼もしさに感動して涙を流す。
賢二、彩が立ち上がれないことを察する。
賢二「うぉぉぉ!」
賢二、鉢植えをなぎ倒して彩を守るように抱きしめる。
賢二「もう大丈夫! 俺が守るから」
彩「賢二くん……」
彩M「こんなに男らしい人だったんだ……」
彩、ホッとしたように微笑む。
賢二、彩をお姫様抱っこして外に避難する。

〇明侑大学・看護学部実習室
激しい揺れが続く。
愛美N「私は不謹慎だ」
愛美、匠にしがみつく。
愛美N「このまま地震が続けばいいなんて……」
匠、愛美を抱きしめる。
愛美N「そしたらずっと先輩のそばに居られるのに」
揺れが小さくなる。
愛美N「そんな儚い願いは叶うことなんてない」
愛美、匠から離れて暗い顔で俯く。
愛美N「先輩、私思い出しちゃった。だから……」
匠、愛美の泣き顔を見つめる。
愛美N「もう一緒には居られない」
愛美、悲しい顔で匠を見つめる。
匠N「何故か、もう一緒に居られないと思った」
匠、愛美の後頭部に手を回す。
匠N「ここで逃がしたら、一生巡ってこない」
匠、愛美に口づけする。
匠N「このチャンスを無駄にしちゃいけないんだ」
愛美、目を見開いて固まる。
匠、真剣な目で愛美を見つめる。