ためらい

「いえ、当店では、チップは丁重にお断りしてますよ。あ、社会人の方でしたか?それは失礼!よかったら、お詫びにどうぞ」
 目の前の彼は、焼き菓子をいくつか渡してくれた。
「ありがとう。ふふっ、大サービスですね」
 ドリンクと焼き菓子を受け取ると、私は店内で文庫本をめくり始めた。
 時折、顔を上げると、さっきの男性が少し照れたような笑顔を見せる。
 初対面の人と、こういうflirtingのようなやり取りをするなんて、久しぶりだ。
 就職氷河期に大学を出て、二年だけ神奈川県内で働いたが、当時はまだ、セクハラ、パワハラが横行していた時代。
 安月給の大半が高い家賃に消えるだけの暮らしに疲れ、嫌いな地元に帰るしかなくなった。
 地元に戻ったら戻ったで、休む間もなく、親戚が就職のコネを持ってきて、しばらくは休みたいなどと言おうものなら、恩知らず!俺の顔を潰すのか!と激怒される始末。