陽菜紀のバラ色の頬に涙が一筋、伝った。

「灯理には生きてほしい。
私の最後のお願いよ。
今までだって散々我儘に付き合ってくれたでしょう?今回も…」

「いやだよ!」私は激しくかぶりを振った。

「陽菜紀の我儘はもうたくさんよ!今度は……今度は私が我儘言う番」

「だめ、幾ら灯理のお願いでも、それはきけない」陽菜紀も首を横に振った。


―――『………せさん……中瀬さん!』


遠くで誰かが私を呼ぶ声が聞こえてきて私は振り返った。男の人の声だ。でも声は聞こえるのにその姿は見えない。

誰―――………

「ほら、行って。あなたの王子様が待ってる」

「王子様……って?」

「私と“彼”趣味が合うみたい。私の好きなお話も『白雪姫』だったの」

“彼”―――“王子様”――――………?

誰………なの…

陽菜紀は私の両肩に手を置き、そしてゆっくりと両手を包んだ。

「いい?灯理は悪い魔女の毒リンゴを食べただけ。ちょっと呪いに掛かって眠ってるだけなの。
目覚める方法は分かるよね」

そう言われて私は目をまばたいた。それは誰もが知るおとぎ話。

『中瀬さん!』

私は耳をそばだてた。今度ははっきりと聞こえた。姿は見えなくても分かる。

あれは―――

「陽菜紀……あれは、おうじさまじゃなくて、けいじさんよ」とちょっと笑いかけると

「彼なら灯理を幸せにしてくれる。間違いないわ。本当は私が灯理を幸せにしたかった。
けれど―――……」


ごめんね


陽菜紀はそう続けて、私の手を握った指先をそっと離した。

「陽菜紀…!」

陽菜紀の手が遠ざかる。どんどん……どんどん………

やがてそれは完全に私の目の前から

消えた。



―――――
――


「中瀬さん!しっかりしろ!もう少しだから!もう少しで救急車が到着するから」

うっすら目を開けると必死な形相で私を抱きかかえ、私の頬を痛くない程度に打つ曽田刑事さんの姿が目に映った。意識を失わないようそうやって叩いているのだろう。

「け……じさん……?」

何とか聞くと、曽田刑事さんは、はっとなったように目を開き慌てて私の頭や頬を撫でる。相変わらず乱暴な手つきだけれど、私嫌いじゃないわ。

「中瀬さん。しっかり……!」

「け……じさん……しら……ゆきひ……め……の、の……ろい……といて……」

あなたなら解ける。きっと―――

私の切れ切れの言葉を何とか理解したのだろう刑事さんがちょっと微笑んで、私の顔に自分の顔を近づけてきた。

曽田刑事さんの後ろの、夜空に一つ輝く星が見えた。


明けの明星だ。