未完成の恋ですが。~俺様建築士と描く未来の設計図~

 「なあ……お前にとって、このプロジェクトは何だった?」

 黒川が窓に視線を向けたまま、聞いた。

 あらためて尋ねられ、莉央は初めて黒川に出会ったころを思い出していた。
 ただただ、彼の情熱と専門性に圧倒されるばかりで、この仕事に手を挙げたことを後悔もした。でも、今はあのときとはまったく違う想いが心に芽生えている。

 「私にとっては、仕事も人生も”なにもないこと”が良いことだと思っていました。でも、今回初めて自分からやってみたいって思う仕事に取り組んで、うまくいかないことがあっても自分で考えて、行動して、黒川さんをはじめ、地域の皆さんが協力してくださったからなんとか乗り越えて……充実していました。地域整備課の仕事も悪くないって、今はそう思えています」

 窓を見上げながら、胸の前で指を組んだ。湧き上がる黒川への感謝を残さず彼に告げたかった。

 「あと……またイラストを書き始められたのも、このプロジェクトに関わって、黒川さんに出会って、励ましてもらえたからです。やっぱり私、絵を描くことが好き。絵本作家になりたいって気持ち、まだちゃんと残ってたって気付かせてもらえました。仕事も人生も、自分からなにかを起こすことを怖がっていたら、得るものも何もないんだって、わかったんです」

 黙って莉央の言葉を受け止めていた黒川が、数秒の()のあとに口をひらいた。

 「そうか。それ、近くで見てた俺も感じてた。……嬉しかったよ」

 普段は強気で遠慮のない黒川が、喜びを率直に伝えてくれる。彼の優しさが胸に沁みた。
 莉央は聞き返した。

 「黒川さんは? このプロジェクトはどうでした?」

 黒川の口元が柔らかくほころぶ。

 「思い出の家が生き返って嬉しかったってのもあるけど……お前に出会えたこと。それが一番よかった」

 特別な意味を含んだ言葉に、莉央は驚いて黒川に顔を向ける。すると彼は薄い闇の中で、漆黒の瞳を莉央に向けていた。

 「お前のこと、はじめは、ただの役所の上司のおつかいだと思ってた。上役の言いなりで、弱気で、このプロジェクトに大した興味もないように見えた。だけど、俺の誤解だった。お前は、真面目で、ひたむきで……芯が強い。今までそれを活かす機会がなかっただけで、本当は自分の力で前に進める強さがある。そういうお前がまぶしくて、いつの間にか目が離せなくなってた。……今は……」

 黒川はいったん言葉を区切った。伏し目がちに瞬きをしたあと、また視線を莉央にまっすぐ合わせる。

 「今は、誰よりもお前を大切に思ってる。お前が……好きだ」
 「……!」

 吸った息が、戻ってこない。

 莉央は言葉を返そうとした。――私もです、と。

 けれど、たった一言が言えなかった。あふれる想いが大きすぎて、胸の奥で熱を持って渦巻き、声に出なかった。ただ、口をあけたまま、何度か唇が動くだけ。突き上げてくる感情は苦しいくらい幸福で、満たされているものなのに、伝えようとすると難しくて。
 心臓が内側から激しく胸を叩いて、痛いくらいだ。

 黒川は莉央の手に触れてそっと握った。戸惑う莉央を受け止めてくれる、そんな優しい手のひらだった。

 「こども図書館は完成したけど、俺の気持ちはまだ終わりじゃない。未完成なんだ。お前と一緒に、お前とのこれからを、もっといい形にしていきたいんだよ。だから……俺と付き合ってください」
 「黒、川さん……」

 かろうじて彼の名前を呼んだ刹那、握られていた手が黒川に引き寄せられた。あ、と思った瞬間に、莉央は黒川に肩を包まれ、そのまま胸に抱きしめられた。

 「……『はい』か『イエス』で答えろよ。でなきゃ、放さない」

 莉央の髪に鼻先をうずめた黒川が、いつもの強さで声を押し出してくる。

 「え?」

 思わず笑いがこぼれ、莉央の緊張も一気にほぐれた。

 「もう……強引ですね」

 「しかたないだろ。どうしてもお前が欲しいんだから」

 小さく笑いあいながら、お互いの額をつける。
 黒川の肩越しに見える窓に、きら星がひとつ、輝いている。未来のふたりを祝福してくれるかのようなきらめきに、莉央は目を細める。

 この場所で出会って、言葉を交わして、すれ違って、でもまた向き合って――ようやくたどり着いた”今”を、そして、”これから”を大切にしていきたい。
 彼と一緒なら、どんな未来の設計図だって描いていける。
 莉央は小さく頷いて、その思いを黒川の胸に預けるように、頬を寄せた。