黒川からメールが届いたのは、それから一週間が過ぎたころだった。
『今週の土曜日、空いていますか。木材の件です』
黒川の事務所を気まずくあとにしてから、一度も連絡はとっていない。休日を指定された意図も読めず、莉央は戸惑いながらも「空いています」とだけ返信した。
土曜日、10時。
待ち合わせに指定された穂坂駅の北口に立っていると、ロータリーに白のどっしりとしたSUVが滑り込んできた。運転席から降りてきたのは黒川だ。
「休みの日に、悪いな」
ややぎこちないながらも、口調はいつものようにくだけたものに戻っている。莉央はホッとして小さく頷いた。
「どうぞ」
黒川が助手席のドアを開けた。莉央が革張りのシートに背をあずけ、ドアが閉まると、車内には落ち着いた香りが広がっていた。ウッディ系のコロンだろうか。少し甘くて、控えめな香り。
(黒川さんの、香りだ……)
いつも彼がまとっている香りだと気付いた瞬間、心臓がどくんと跳ねる。黒川そのものに包まれてるような感覚に酔ってしまいそうで、莉央は慌てて窓の外に目をやった。
車は緩やかに発進した。会話の糸口がつかめず、車内には静かな空気が流れる。3度目の赤信号で停まったとき、黒川がちらりと莉央に視線を向けた。
「この間は、ごめん」
「え?」
突然の謝罪に莉央は戸惑った。
「お前を傷つけた。外材が使われることになったのは、お前のせいじゃない。そんなこと、わかってた。でも……」
少しの間をあけて、黒川は続けた。
「気づいたんだ。俺、もうお前を”市の担当”として見てなかったんだよ。立場の違う仕事相手っていう線を、勝手に越えてたんだ。俺はお前で、お前は俺で、いつでも俺と一緒の考えでって……そんな風に思ってた。だから、お前を責めてしまった。……ごめん」
黒川の低めの声。
事務所での会話を思い出すと、まだ少し胸は痛んだ。でも、自分をただの仕事相手ではなく、同じ未来をみようとしている人間だと思ってくれていることが嬉しかった。こうして責めた理由を話し、詫び、莉央を変わらず信頼してくれていることも。
目を閉じて気持ちを落ち着かせ、いま告げるべきことだけを言おうと莉央は言葉を選んだ。
「いえ、私も、建物を完成させることに気をとられていたのは事実です。あきらめてはいけないところをあきらめようとして……だから、私も謝らせてください。すみませんでした」
黒川は、左右に首を振る。車内の空気は、さっきよりも少しだけ和んでいた。
「親父から電話があったんだよ。3年ぶりに話した。市役所の担当が乗り込んできたって聞いて……めちゃくちゃ驚いた。キャンセルしろって、すごい気迫だったんだって?」
黒川が含むように笑っている。
「あ、えっ、その、決して乗り込んだわけではなく、お願いに伺ったというか……でも結果的には勢いあまって……」
あたふたする莉央を、ハンドルを握ったままの黒川がちらりと見る。
「まあ、お前が行かなかったとしても、俺が行ってたけど。でも、お前、上役から、話を付けるなら自分で行って来いって押しつけられたんだろ?」
「それは……ええっと……はい。でも、なにか方法があるなら、やらなきゃいけないと思って」
黒川の設計を守りたかった。外材で作られ、見せかけだけ古く塗られた古民家など、どれだけ黒川を失望させるだろうかと思った。やれることは全力でやる――黒川が教えてくれたことだ。
黒川の左手がハンドルから離れ、莉央の右手に重ねられた。
「……!!」
「ありがとな。無茶させた。ごめん……」
黒川は、そういうと指先に力を込めた。
『今週の土曜日、空いていますか。木材の件です』
黒川の事務所を気まずくあとにしてから、一度も連絡はとっていない。休日を指定された意図も読めず、莉央は戸惑いながらも「空いています」とだけ返信した。
土曜日、10時。
待ち合わせに指定された穂坂駅の北口に立っていると、ロータリーに白のどっしりとしたSUVが滑り込んできた。運転席から降りてきたのは黒川だ。
「休みの日に、悪いな」
ややぎこちないながらも、口調はいつものようにくだけたものに戻っている。莉央はホッとして小さく頷いた。
「どうぞ」
黒川が助手席のドアを開けた。莉央が革張りのシートに背をあずけ、ドアが閉まると、車内には落ち着いた香りが広がっていた。ウッディ系のコロンだろうか。少し甘くて、控えめな香り。
(黒川さんの、香りだ……)
いつも彼がまとっている香りだと気付いた瞬間、心臓がどくんと跳ねる。黒川そのものに包まれてるような感覚に酔ってしまいそうで、莉央は慌てて窓の外に目をやった。
車は緩やかに発進した。会話の糸口がつかめず、車内には静かな空気が流れる。3度目の赤信号で停まったとき、黒川がちらりと莉央に視線を向けた。
「この間は、ごめん」
「え?」
突然の謝罪に莉央は戸惑った。
「お前を傷つけた。外材が使われることになったのは、お前のせいじゃない。そんなこと、わかってた。でも……」
少しの間をあけて、黒川は続けた。
「気づいたんだ。俺、もうお前を”市の担当”として見てなかったんだよ。立場の違う仕事相手っていう線を、勝手に越えてたんだ。俺はお前で、お前は俺で、いつでも俺と一緒の考えでって……そんな風に思ってた。だから、お前を責めてしまった。……ごめん」
黒川の低めの声。
事務所での会話を思い出すと、まだ少し胸は痛んだ。でも、自分をただの仕事相手ではなく、同じ未来をみようとしている人間だと思ってくれていることが嬉しかった。こうして責めた理由を話し、詫び、莉央を変わらず信頼してくれていることも。
目を閉じて気持ちを落ち着かせ、いま告げるべきことだけを言おうと莉央は言葉を選んだ。
「いえ、私も、建物を完成させることに気をとられていたのは事実です。あきらめてはいけないところをあきらめようとして……だから、私も謝らせてください。すみませんでした」
黒川は、左右に首を振る。車内の空気は、さっきよりも少しだけ和んでいた。
「親父から電話があったんだよ。3年ぶりに話した。市役所の担当が乗り込んできたって聞いて……めちゃくちゃ驚いた。キャンセルしろって、すごい気迫だったんだって?」
黒川が含むように笑っている。
「あ、えっ、その、決して乗り込んだわけではなく、お願いに伺ったというか……でも結果的には勢いあまって……」
あたふたする莉央を、ハンドルを握ったままの黒川がちらりと見る。
「まあ、お前が行かなかったとしても、俺が行ってたけど。でも、お前、上役から、話を付けるなら自分で行って来いって押しつけられたんだろ?」
「それは……ええっと……はい。でも、なにか方法があるなら、やらなきゃいけないと思って」
黒川の設計を守りたかった。外材で作られ、見せかけだけ古く塗られた古民家など、どれだけ黒川を失望させるだろうかと思った。やれることは全力でやる――黒川が教えてくれたことだ。
黒川の左手がハンドルから離れ、莉央の右手に重ねられた。
「……!!」
「ありがとな。無茶させた。ごめん……」
黒川は、そういうと指先に力を込めた。
