未完成の恋ですが。~俺様建築士と描く未来の設計図~

 黒川建設は、電車で一時間ほど離れた政令指定都市に本社を構えている。モノクロを基調にしたガラス張りで重厚感のある外観は、黒川という企業の力そのもののようで、莉央の足をすくませた。でも、ひるんでいる場合ではない。

 (なんとか話をつけないと)

 莉央は息を吸い込み、拳を握りながら、自動ドアをくぐった。

 行政の対応のせいで、黒川を失望させたくなかった。莉央にとって、いまや、この図書館を黒川と一緒に作ることもひとつの夢だ。
 絵本作家になる夢はあきらめたのだと語った莉央に、黒川は言った。

 「お前、夢を叶えるために何かしたの?」

 莉央は黒川の事務所を後にした日から、同じ言葉を自分自身に問い続けた。


 そして、上層部に「外材の発注をいったん止められないか」と掛け合った。
 副市長の意向として返ってきた答えは「黒川建設の会長の同意を得られれば、キャンセルでよい」とのことだった。

 実際に黒川建設が木材を発注し、支払いが発生してしまえば後戻りはできない。時間がなかった。


 会長室に案内される。ノックの音に応じて開いた扉の向こう、重厚な机に並べた書類に目を落としていた男性が顔を上げた。60代前半だろうか。威厳のある顔立ちにどこか黒川と似た面影がある。莉央は丁寧に自己紹介をした。

 「穂坂市役所のかたか。副市長から連絡は受けている。用件は、キミから直接きいてくれとのことだったが」

 莉央は緊張で硬くなった声をなんとか前に押し出した。

 「穂坂市の古民家改修に使う木材の件でお願いに参りました。外材の発注をキャンセルしていただけないでしょうか」

 黒川会長の眉が動く。首をわずかに傾けながら、不快そうな表情になる。

 「もともと穂坂市側から、懇願された話なのだが?」

 「現場と市の上層部とで意見が一致せず、ご迷惑をおかけしてしまったことをお詫びいたします。私は現場の担当者です。現場では、外材だと目指す建物ができないと判断しています」

 莉央は会長をまっすぐに見据えた。

 「担当の建築士も、外材に塗装して見かけだけ古く見せる案や、既存の古材と外材を組み合わせた際の耐久性に強い懸念をいだいています」

 会長は、椅子を引いて立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。

 「……悠真なら、そう言うだろうと思っていた。あの家と外材の相性をよく見抜いている。あそこに特別な想いもあるのだろうな」

 その言葉には、先ほどまでとは違う、どこか柔らかい響きがあった。

 莉央はスケッチブックを取り出した。

 「これを、見ていただけませんか。黒川さんと、完成イメージを話し合いながら、私が描いたものです」

 ゆっくりとページをめくる。
 新緑の大樹を抜けた先にたたずむ古民家、屋根裏にあつらえた畳敷きのスペース、子どもの背丈に合わせた本棚、当時の石のままの土間、昔の調理道具を残した台所。

 「これを実現するためには、どうしても外材では叶いません。どうか、キャンセルをお願いします」

 莉央は、スケッチブックを会長に差し出した。無言で受け取った会長は、自らページをめくり、時おり前の絵に戻っては、またページをめくった。

 長い沈黙ののち、会長は机の電話の受話器をとった。

 「ああ、黒川だ。先日指示したベトナム材だが。……そう、穂坂の図書館用の。……キャンセルだ、全部」

 (ほう)けたように、莉央は会長を見つめていた。「これでいいのかね?」と問われ、ようやく我に返る。

 「あ、あっ、ありがとうございます!」

 思わず大きな声が出た。

 「礼には及ばない。キミの度胸に感心しただけだ。それにしても、副市長は……私の機嫌をそこねまいと、若い職員に火中の栗を拾わせるとはな」

 会長は鼻を鳴らした。

 何度も頭を下げ、会長室をあとにしようとする。感謝と安堵で胸が満たされ、足取りも軽かった。
 だが、ドアに手をかけたところで振り返った。わずかな期待がわきあがったのだ。

 「あ、あのっ!」

 「まだ何か用かね」と会長。

 「木材のヒント、いただけないでしょうか」

 図々しいのは承知のうえだった。でも、このかたなら――黒川の父なら、真剣に取り組もうとする人間に手を差し伸べてくれるのではないか。莉央はそう思った。

 「予算内の木材がどうしても見つからなくて……どんな小さなヒントでもいいんです」

 会長は驚き、すぐ、あきれ顔を見せた。

 「何を言っているんだ、キミは。いち職員だろう? なにもそこまで……」

 「黒川さんが目指している建物をどうしてもかたちにしたいんです。私は、あの人の想いを支えたいと思っています」

 会長の目がわずかに見開かれた。それから、ふ、と笑みを見せてから窓際へと歩いていく。
 本社の最上階からは、東都平野が広く見渡せた。しばらく考えるようなそぶりを見せていた会長は、言った。

 「……穂坂杉」
 「ホサカ、スギ……」

 莉央は繰り返した。その名が、このプロジェクトの希望になるかもしれない。