未完成の恋ですが。~俺様建築士と描く未来の設計図~

 初めて訪れた黒川の設計事務所は、築年数が経っているであろうビルの2階にあった。「こちらから説明にうかがう」と伝えたとき、電話越しの黒川の声には一瞬の沈黙があった。莉央の声音から、よからぬ異変を感じ取ったのかもしれない。

 事務所の扉を開けた黒川の表情は、どこかこわばっていた。古めの外観とはうらはらに、中はシンプルで整然としていた。無駄のない空間に3人のスタッフが黙々とパソコンに向かっている。
 パーテーションで区切られた一角にあるソファをすすめられ、腰を下ろした。

 「で、話って?」

 問いかけられ、莉央は本題に入った。
 予算の削減が決まったこと、国産材の使用は見送られ、外材を用いる方針が示されたこと。そして、その木材の手配は、副市長が黒川建設に依頼したこと。

 黒川は一度だけ大きく息を吐き、視線を斜めにそらせてからつぶやいた。

 「わかってねえな」

 その一言が誰に向けられたものなのか、莉央にはわからなかった。けれど、知るのも怖かった。

 「お前はどう思う」

 唐突に向けられた問いに、莉央はとまどった。

 予算の都合上、外材を使うしかない。でも、主な部分だけでも国産材を残すなど、当初の意図を残す道はある。完成するなら……少しでも市民のためになるなら、プロジェクトを失うよりはましだと、莉央は思っていた。

 「完成させることを目標とするなら、かなめの部分だけ国産材にするなど……そういった調整はできないかな、と」

 「完成させればそれでいいってこと?」

 黒川の片方の眉が上がった。

 「かなめの部分だけっていうけど、なら、見た目がそれっぽければいいって話になるんだよ。国産材と外材は全然違うんだ。湿度、硬度、香り。その違いが建物の雰囲気だけじゃなくて、寿命にも関わってくる。元が古いものなら、なおさら相性がある。簡単に外材にすり替えられない」

 黒川の声は低く、感情をおさえているようだった。

 「第一、副市長が勝手に発注したって話だろ? 俺に何の確認もなく、材料の質も風合いも無視して、値段だけで決める。そんなの、どうやって納得しろっての?」

 彼の言葉は、材料の話を越えて、自分たち行政そのものを否定しているように聞こえた。次第に、声に熱がこもる。

 「そっちは完成しさえすれば市民が喜ぶって思ってるのかもしれないけど、ほぼ外材なんかで作ったら、近い将来必ずガタがくる。だれも責任をとらないお役人と違って、俺たち建築士は名前を出してモノをつくってるんだ。そんなものに、自分の看板貼れるかよ」

「……」

 返す言葉がなかった。
 ふたりの間には重い沈黙が横たわっている。先に静寂を破ったのは黒川だった。

 「話は、わかりました」

 もう、話すことはない――明確な線引きに、莉央は無言で席を立つしかなかった。黒川のあとについてドアまで来ると、彼は振り返らずに言った。

 「宮本さん、今後の連絡は事務所あてにメールでお願いします」

 ――宮本さん。

 その呼びかけに、黒川の顔を見ることなどできはしなかった。黒川にとって、莉央はもう”そっち側”の人間だった。