遠くでバタバタと足音が聞こえて来る。ユスティーナは重い瞼をゆっくりと開いた。視界に映ったのはよく見慣れた天井だった。ユスティーナの部屋だ。身体が怠くて、頭がクラクラする。

私……ー。

「姉さん‼︎」

「ロイド……?」

勢いよく部屋の扉が開き、弟のロイドが血相を変えて入って来た。余程急いで来たのか、息を切らして全身汗をかいている。

「そんなに汗をかいて、大丈夫?」

「姉さん!」

「⁉︎」

「僕じゃなくて、自分の心配しなよ‼︎分かってるの⁉︎倒れたんだよ⁉︎」

弟はベッドに駆け寄って来るとしゃがみ込みユスティーナの左手を両手で握った。

「ロイド?」

弟は俯き、身体が震えていた。様子がおかしい。ユスティーナは逆側の手を伸ばしロイドに触れようとするが、その手を掴まれてしまう。

「心労で倒れたんだろう。どうせあの下らない噂の所為なんだ、分かってる……」

握られている手に少し力が加わるのを感じた。本当に何時も弟に心配ばかり掛けていて、情けない。これでは姉失格だ。

「ロイド、心配掛けてしまって、ごめんなさい。でも私は大丈夫だから……」

ユスティーナは力なく笑った。


◆◆◆


その日、ロイドは久しぶりに騎士団に顔を出しに登城していた。剣術の腕は嗜む程度で、決して褒められたものではない。それに正直余り剣術自体も好きではない。だが父からの強い勧めもあり、騎士団に入団した。ただやはりやる気がないので、毎日通ったのは初めの一ヶ月程で、それからはほぼ通わずじまいで、今は籍だけがあるだけの状態だ。
それでも一ヶ月に一回くらいは顔出さないと、除隊になってしまうのでたまにこうして登城していた。

何時も通りやり気なく訓練をしていた時だった。侍従が慌てた様子でやって来たかと思えば、姉のユスティーナが倒れたと報告を受けた。
ロイドは急いで帰路につくが、その途中である人物を見かけた。
レナードとジュディットだ。思わず廊下を走る足を止めた。

あんな噂が流れているのに、まだ一緒にいるとは本物の莫迦なのか、それとも意図的にやっているのかがもはや判断し兼ねる。

『……』

だがあんなのでも一応姉の婚約者に変わりない。一応知らせておいた方がいいか……そう思い近付こうとした時だった。レナード達の元へ、侍従が駆け寄って来る。ロイドは反射的に死角に身を隠した。

『レナード殿下!』

『どうした、騒々しい』

『今し方、ユスティーナ様がお倒れになられたと連絡がありました』

どうやらロイドが知らせるまでもなかった様だ。そう思い踵を返そうと思った。だが……。

『ユスティーナがか⁉︎分かった、直ぐに行く』

『待って、レナード!』

ジュディットの声に、ロイドは踏み出した足を止めた。

『ジュディット、すまないが……』

『行かないで、レナード。私を一人にしないで……』

『ジュディット、流石に今日ばかりは……』

彼女はレナードに抱きつき上目遣いの涙目で必死に引き止めていた。

『……』

『お願い……今は、どうしても一人になりたくないのっ……レナードっ、私には貴方しかいないの……私の事を分かってくれるのは、貴方だけなの、お願い……』

流石にまさかと思いながら、二人の遣り取りを眺める。

『…………すまないが、適当に花を見繕ってオリヴィエ家の屋敷に届けて欲しい』

その瞬間、スッと感情が消えていく感覚を覚えた。この期に及んで、あの男は倒れた婚約者の姉ではなく、あの女を選んだのだ。

『は?いえ、しかし……殿下っ』

『聞こえなかったのか?』

『……』

侍従は一瞬何を言われたのか理解出来ていない様子で動揺が隠せていない。レナードとジュディットに交互に視線をやり、暫し黙り込んだ。

『……承知、致しました』

睨み付ける様な視線を主人であるレナードへ向けて、それだけ言うと彼は足早に去って行った。あんな反抗的な態度、普通ならあり得ない。ただそれだけレナードに対して呆れ腹立たしく思えたのだろう。他人である彼でさえそう思うんだ。身内である自分は、その何倍もの怒りを感じるに決まっている。

怒鳴りつけて殴り飛ばしてやりたい衝動を抑え、ロイドは今度こそ踵を返した。今はユスティーナの事の方が気掛かりだ。

そして屋敷に戻ると、急いでユスティーナの部屋へと直行したのだった。