「私……」
傍らの響を見上げると、興奮した様子で手を叩いていた。
「すごいよ、昼寝ちゃん!」
掛け値無しの賞賛に、瑞音はようやくホッと肩の力を抜いた。
「最高の演奏だった!」
喜んでもらえたのなら何よりだ。
(でも不思議……)
最初は弾くことすら怖かったというのに、気づくと演奏のことしか考えていなかった。
「少しわかった気がします」
「何が?」
立ち上がり、歩きながら瑞音は振り返った。
「先輩の言う、憑依、ってやつです」
「気持ちいいでしょ?」
響がニヤッと笑う。
(不思議……現役を離れてこんな感覚を味わえるなんて)
(このブランクが私には必要だったのかもしれない)
またピアノが弾きたい――素直にそう思える。
響にそう伝えようとした時だった。
「瑞音!」
一番聞きたくない声がした。
人混みの中から現れたのは若い細身の青年――松岡洋一だった。
以前働いてた会社の社長の息子で、瑞音にしつこく交際を迫った挙げ句、家まで押しかけてきたストーカーだ。
「ようやく見つけた!」
洋一はずかずかと近づいてくる。
瑞音は恐怖で声も出なかった。
「会社は辞めるし、マンションは引き払ってるし――」
洋一が首を傾げる。
「ずっと探していたんだ。話をしよう、瑞音」
(呼び捨てにしないで、話なんかありません)
そう言いたいのに、喉に石が詰まったかのように声が出ない。
パニックに陥りかけたとき、すっと響が瑞音の隣に進み出た。
「気安く名前で呼ぶの、やめてくれるかな?」
この声音――瑞音は映画を思い出した。
あの主役のホストの声だ。
いつもの響とは違う、甘ったるい、だけどどこか危険な香りのする声――。
長身の響の出現に、洋一があからさまに戸惑った顔をする。
「瑞音は俺の女だから」
そっと肩に手が回される。
「近づくとタダじゃすまさないよ?」
「な、なんだおまえっ……」
怯みながらも食い下がろうとする洋一を、響が冷ややかに見下ろす。
「だーかーら、瑞音に近づいたらブチのめす、って言ってんの」
響がすっと手を延ばすと、洋一の額を指で弾く。
「いてっ!」
「二度と瑞音の前に現れるんじゃねえぞ、ストーカー野郎」
低く押し殺した声には、明確な殺意が含まれていた。
洋一も気づいたのか、顔を強張らせている。
下手に刃向かうと殺されるかもしれない――そんな緊張を孕んだ声だった。
「いくぞ、瑞音」
「は、はい……っ!」
力強い手に押されるようにして、瑞音は歩き出した。
洋一は追ってこなかった。
商業施設から出ると、そっと肩から手が離れた。
「大丈夫?」
響が顔を覗き込んでくる。
その表情も声も、いつもの響だ。
「は、はい」
「あれが例のストーカーだよね? しっかり脅しといたからもう来ないと思うけど……」
「すごい迫力でしたね。あれってホスト役の……」
「うん。あの役に一瞬に戻れたよ。無敵の悪役ってやっぱり強いよなー」
響がにやっと笑う。
「でも、ヒヤヒヤしました……」
洋一は瑞音にとって理屈の通じない相手だ。
刺激したら、どんな行動を取るのかわからない。
「大丈夫大丈夫。今、鍛えてるし。次の役もアクションが必要でさ。格闘技を週に三回習ってるから。フェイントからのボディブローとか得意よ、俺」
「ダメですよ……! 仕事に差し障ります!」
自分のせいで暴力事件など、とても申し訳なさすぎる。
「昼寝ちゃんを守るためならそれくらいやるよ」
響が屈託なく笑う。
瑞音は思わず涙ぐみそうになった。
「ありがとうございます……」
「さ、お茶でもして帰るか。昼寝ちゃんは何か行きたい店ある?」
何事もなかったかのように笑う響に、瑞音は微笑み返した。
傍らの響を見上げると、興奮した様子で手を叩いていた。
「すごいよ、昼寝ちゃん!」
掛け値無しの賞賛に、瑞音はようやくホッと肩の力を抜いた。
「最高の演奏だった!」
喜んでもらえたのなら何よりだ。
(でも不思議……)
最初は弾くことすら怖かったというのに、気づくと演奏のことしか考えていなかった。
「少しわかった気がします」
「何が?」
立ち上がり、歩きながら瑞音は振り返った。
「先輩の言う、憑依、ってやつです」
「気持ちいいでしょ?」
響がニヤッと笑う。
(不思議……現役を離れてこんな感覚を味わえるなんて)
(このブランクが私には必要だったのかもしれない)
またピアノが弾きたい――素直にそう思える。
響にそう伝えようとした時だった。
「瑞音!」
一番聞きたくない声がした。
人混みの中から現れたのは若い細身の青年――松岡洋一だった。
以前働いてた会社の社長の息子で、瑞音にしつこく交際を迫った挙げ句、家まで押しかけてきたストーカーだ。
「ようやく見つけた!」
洋一はずかずかと近づいてくる。
瑞音は恐怖で声も出なかった。
「会社は辞めるし、マンションは引き払ってるし――」
洋一が首を傾げる。
「ずっと探していたんだ。話をしよう、瑞音」
(呼び捨てにしないで、話なんかありません)
そう言いたいのに、喉に石が詰まったかのように声が出ない。
パニックに陥りかけたとき、すっと響が瑞音の隣に進み出た。
「気安く名前で呼ぶの、やめてくれるかな?」
この声音――瑞音は映画を思い出した。
あの主役のホストの声だ。
いつもの響とは違う、甘ったるい、だけどどこか危険な香りのする声――。
長身の響の出現に、洋一があからさまに戸惑った顔をする。
「瑞音は俺の女だから」
そっと肩に手が回される。
「近づくとタダじゃすまさないよ?」
「な、なんだおまえっ……」
怯みながらも食い下がろうとする洋一を、響が冷ややかに見下ろす。
「だーかーら、瑞音に近づいたらブチのめす、って言ってんの」
響がすっと手を延ばすと、洋一の額を指で弾く。
「いてっ!」
「二度と瑞音の前に現れるんじゃねえぞ、ストーカー野郎」
低く押し殺した声には、明確な殺意が含まれていた。
洋一も気づいたのか、顔を強張らせている。
下手に刃向かうと殺されるかもしれない――そんな緊張を孕んだ声だった。
「いくぞ、瑞音」
「は、はい……っ!」
力強い手に押されるようにして、瑞音は歩き出した。
洋一は追ってこなかった。
商業施設から出ると、そっと肩から手が離れた。
「大丈夫?」
響が顔を覗き込んでくる。
その表情も声も、いつもの響だ。
「は、はい」
「あれが例のストーカーだよね? しっかり脅しといたからもう来ないと思うけど……」
「すごい迫力でしたね。あれってホスト役の……」
「うん。あの役に一瞬に戻れたよ。無敵の悪役ってやっぱり強いよなー」
響がにやっと笑う。
「でも、ヒヤヒヤしました……」
洋一は瑞音にとって理屈の通じない相手だ。
刺激したら、どんな行動を取るのかわからない。
「大丈夫大丈夫。今、鍛えてるし。次の役もアクションが必要でさ。格闘技を週に三回習ってるから。フェイントからのボディブローとか得意よ、俺」
「ダメですよ……! 仕事に差し障ります!」
自分のせいで暴力事件など、とても申し訳なさすぎる。
「昼寝ちゃんを守るためならそれくらいやるよ」
響が屈託なく笑う。
瑞音は思わず涙ぐみそうになった。
「ありがとうございます……」
「さ、お茶でもして帰るか。昼寝ちゃんは何か行きたい店ある?」
何事もなかったかのように笑う響に、瑞音は微笑み返した。


